幽世語り

二ノ前はじめ@ninomaehajime

水底

 私の村には人身ひとみ御供ごくうの風習があった。

 

 連日の雨が止まず、川が氾濫はんらんして何人もの死者が出た。村人は川の神が怒り狂っていのだと言った。生贄いけにえを差し出さなければならない。

 村長は私を選んだ。生来から目が悪く、その白濁はくだくした瞳を村の子供たちは気味悪がった。治る見込みはなく、大人になっても大した労働力にはなれないだろう。


「お前は神さまの元へ帰るんだよ」

 

 両親は言った。悲しそうな表情をしながら、その裏に厄介払いができる口実こうじつを得た仄暗い感情を感じ取った。

 この時代、子供が無事に育つ保証はなかった。七つまでは神のうちとされ、いつ取り上げられるかわからなかった。だから、神の元へ帰る。

 

 私は白装束を着せられ、篠突しのつく雨の下で崖に立たされた。目が悪くとも、崖の真下で激流がとどろいているのがわかる。後ろには両親や村人が控え、村長が祝詞のりとめいた言葉を口にした。


御許みもとへお返しもうす」

 

 背を押された。私の体は空中へ放り出され、真っ逆さまに落ちてそのまま濁流に呑まれた。

 あらがいようのない力で体が押し流された。不思議と息苦しくはなく、地上にいたときよりも景色が鮮明に見えた。さまざまな物が流されていた。流木、大小の岩石、足を滑らせたのか仔鹿の死体まで水に運ばれている。私はその子をあわれんだ。

 お前、災難だったね。

 

 まだ薄い体毛の仔鹿とともに流された。このまま川の果てへ流されるのかと思ったら、水の底へと沈んでいく。ここまで深い川だっただろうか。延々と沈みながらこう思った。まるで、海だ。

 地上の仄かな光さえ遠のいていく。口から泡が立ち昇った。肺はとっくに水で満たされているだろう。なのに、全く苦しみを感じない。もしかしたら私はとっくに死んでいるのかもしれない。

 

 だって、ほら。ありもしないものが見える。蛍火ほたるびにも似た光の群れが私の体をすり抜け、一箇所に集まって大きな魚の輪郭りんかくを形成する。輝く魚が暗い水底を照らして、幻想的な光景を浮かび上がらせた。

 

 数珠じゅずつなぎに輪をつらねたものが長躯ちょうくをくねらせ、目の前をよぎる。あれは話に聞く海月くらげだろうか、透明な膜を膨らませてはしぼませて優雅に泳いでいく生き物がいた。その透き通った内部には、へその緒が繋がった胎児が身を丸めている。他にも、形容しがたいものたちがいた。大きな球体が絶えず泡立ち、破裂している。全容が掴めないほどの巨大な何かが、その瞳に逆さまになった私の姿を映した。

 

 奇々きき怪々かいかいな存在のあいだをすり抜けながら、なおも私の体は沈んでいく。あの仔鹿の亡骸なきがらも同じ流れに乗ってついてきていた。いいよ、気の済むまで来ればいい。

 

 やがて数え切れない何かが私を追い越していった。よくよく目をらせば、人の形を模した紙だった。そして思い出す。私の村では、厄を移して川に流す流しびなの行事を行なっていたことを。流された人形がどこに行き着くのか、いつも不思議に思っていた。

 やがておびただしい流し雛は私たちとともに、水の底に開いた亀裂の中に吸いこまれていった。体を押し流す力は弱まり、穏やかな浮遊感とともに沈下していく。多くの人形が逆さまに沈んでいく先で、私は見た。

 

 美しいかすりの着物をまとった黒髪の少女が、深淵しんえんに身を横たえていた。身長を遥かに超えた長髪が周囲にたゆたっている。自分とほとんど変わらない年齢の見た目をしていたけれど、その存在が神だと直感した。

 

 無数の流し雛に飾り立てられた黒髪の少女は、静かにまぶたを開く。恐ろしいほど整った容貌をしていた。透き通った瞳が私を映し、仰向けのまま白魚しらうおのような両手を掲げた。同時に黒い髪が伸びてきて、私と仔鹿を包みこむ。薄れていく意識の中で思った。

 

 ああ、神の御許へかえる。

 

 どれほどの時間が経ったかはわからない。暗転した意識が再び戻ったとき、私は這い上がった川のほとりで激しく咳きこんでいた。肺の中の水を吐き、その苦しみで生を実感した。

 

 私は助かったのか。この白濁した目で見た光景は、全て今わの際に見た幻だったとでもいうのか。すると、すぐそばで薄茶色の脚がぼんやりと見えた。濡れそぼった髪の隙間から見上げると、うっすらと見覚えのある仔鹿が身震いして全身の水を弾き飛ばしていた。

 呆然とした。確かにこの子は濁流の中で死んでいたはずだ。それが今は私の顔に鼻面を近づけて、しきりに匂いを嗅いでいる。

 

 私は地面に座りこんだまま、川面を見た。豪雨は止み、雲の隙間から太陽の光が差している。あれほど荒れ狂っていた川は落ち着きを取り戻し、今は泥の色をしている。何かが岩に引っかかっていた。

 めしいた瞳にはっきりと映ったのは、自分自身の亡骸なきがらが青白い死に顔で天を仰ぐ姿だった。

 

 ならこの私は、一体誰なのだろう。

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