国王陛下の寵姫ですが、別れさせ屋をさせられています!

七緒ナナオ

第1話 ある婚約破棄の一部始終

 グロリオサ夫人が纏う真っ赤なドレスの裾が揺れている。

 大胆に開いた胸元は紳士達の視線を釘付けにし、口元にぽつりと落ちた黒子が淑女達の噂心を誘う。


 ある侯爵主催の夜会で、夫人はひとりの若い紳士に寄り添っていた。

 アラン・レイク子爵子息——結婚間近な婚約者のいる紳士に、だ。


 夫人がアランに何事か囁いて、白く滑らかな指先で卿の唇をなぞる。

 すると、アランは夫人を伴い、壁の花と化していた婚約者のもとへ向かった。

 そうして——


「ライラ・リリック伯爵令嬢。君との婚約を、ここで破棄する! ……私の純潔を捧ぐに相応しい女性に、愛を誓う!」


 途端に、広間ホールがざわめき、婚約破棄を言い渡されたライラの顔から血の気が失せる。

 驚きのあまり目を見開いたライラの肩が、ブルリと震えた。


「こんな……こんなことって……うぅっ!」


 ライラはこぼれ落ちようとする涙を堪え、貴族達の視線から逃げるように広間を去る。


「……グロリオサ夫人ですわ。この社交期シーズンで何人目? リリック伯爵令嬢は本当にお気の毒ね」

「エドリック陛下の寵愛を受けてなお、愛を求めるなんて……陛下が夫人に甘いのをいいことに、やりたい放題ですわね」


 恋の噂が絶えないヴァルデュア王国の毒婦。

 国王エドリック・ヴァルデュアが溺愛して止まない寵姫。


 それが、グロリオサ夫人の肩書きであり、社交界に広まる評判だ。


 けれど、広間の隅で囁かれる嫌味と悪口など、グロリオサ夫人は気にしたことがない。

 走り去るライラの背中を見つめていると、アランが夫人の細く妖艶な腰を抱き寄せる。


「グロリオサ夫人……いや、ノエラ・グロリオサ伯爵夫人。私はあなたと真実の愛の虜。どうか今宵、私のものになってくれ!」


 公衆の面前であることを忘れたか。アランが熱っぽい眼差しでグロリオサ夫人に迫った。

 あちこちで上がる小さな悲鳴と、囃し立てる紳士達。

 やはり気にせず、夫人はアランの耳元に唇を寄せ、吐息混じりに囁いた。


「アラン卿、こんな夜に無謀な決断をなさるなんて……勇気がありますわ。とても素敵よ」


 夫人の声はまぁるく甘い。けれど、どこか冷たい響きが混じっている。


「……でも」


 するり、と。アランの腕からすり抜けて、夫人がバサリと扇子を広げた。

 困惑するアランの視線を真正面から受け止めて、グロリオサ夫人は目を細めて微笑んだ。


「わたくし、言葉だけなんて信じられませんの。きちんと、正式に、ライラ嬢との婚約を破棄したのなら……あなたにいい夢を見させてあげましょう」


 毒婦の妖艶な笑みに、アランが顔を赤らめる。

 それを見ても、夫人の心は空っぽだ。豊かな胸の内には、空虚が詰まっている。


 ——陛下のご命令は、果たせましたわ。


 グロリオサ夫人はゆっくりと。アランに背を向けて、騒がしい夜会を後にする。



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