イラつき霊能者は、今日も呪う

アザゼル9

第1話

第1話 田浦廃村の夜へ


 荒れた坂道を、三脚の足が引きずられていく音がした。

 手持ちのライトが揺れるたび、斜面のシダとコンクリ片が白く浮いては沈む。カメラに向けられた自撮り棒の先で、若い男が息を切らして笑った。


「や、やば……これ、マジ……。えーっと今日は、田浦廃村。有名な“帰らずの集落”。夜の九時——うしみつ時、直前!」


 画面の端で、コメントの弾幕が滝のように流れる。

 《行け!》《ビビってんのか》《ガチなら神回》——煽りの文字列は彼の背中を押す。いや、崖に押し出す。


 男は鳥居の折半を跨いだ。神社の輪郭はとうに崩れ、手水舎は穴だけが口を開けている。

 その穴の縁から、黒いものが一枚、はがれてゆらめいた。

 風はない。葉は動かない。黒い影だけが上流へ流れるみたいに、坂をのぼって彼の足元へ寄ってきた。


「え、ちょ、なんだ、これ、霧……? うあ、カメラが」


 ノイズが走った。

 視聴者数が跳ねる。

 ライトが勝手に焦点を失い、廃屋の窓ガラスにピントが吸い込まれる。窓の向こうに、人影。いや、ガラスの“内側”に、貼りつく掌の跡——古い。爪の筋が、五本とも欠けている。


「おい、やめ……って、あ、はは、神回、だな——」


 笑い声が裏返る。

 石段の上、暗がりの奥で、なにかが立った。形は人、しかし節が多すぎる。肘が二つ、膝が三つ。こちらへ折れながら来る。

 コメントが途切れた。視聴者の指は止まらないのに、文字が出ない。電波は生きている。アプリも落ちていない。ただ、「声」が重くなっているだけだ。

 男の首筋の産毛が、すべて同じ方向へ倒れた。呼ばれている。彼の家族史でも、視聴者の誰かでもない場所から、まっすぐに。


「う、うわ、待っ、や、やべ、逃げ——」


 視界の端で、影が跳ねた。

 カメラが地面へ落ちる。

 レンズが下草の間から空を向く。空は木々で切り刻まれて格子になり、その間を黒が流れていく。

 男は走る。けれど、足の運びが自分のものではない。膝と足首の間に、余計な関節が一本増えたような、あの黒い節の歩き方で、彼の脚は勝手に曲がる。

 息がひっくり返り、舌が噛まれる。血の味が映像に載らないのが救いだ。

 最後に映ったのは、木の幹にめり込む三脚の足——金属が木目を裂く音。

 画が止まった。配信は終わらない。誰かの笑い声が後ろから入った。「ウヒヒ」。でもそれは、彼のものではなかった。


     ◇


 翌朝。

 私は、机に肘を乗せたまま、教科書を閉じる。ベルが鳴る前だが、黒板の数式はもう全部、頭に入った。入ってしまった。だから退屈。

 窓際の最前列、名門女子校の三年二組。私は、黒瀬(くろせ)しじま。

 前髪は目にかかり、髪は腰までのボサボサ。猫背。胸は重い。スカートは校則ギリギリ長くしている。

 話すときは、喉がうまく開かない。だから小さく、ブツブツと。すぐにこう言われる——


「すみません。なんて言いましたか?」


 クラスの子は、私と距離を取る。私はそれでいい。人は嫌い。でも、金は好き。

 だから私は、放課後は霊能者をやっている。仕方なく。

 腕は、それなり。いや、最強の範囲に入ると、たぶん思う。思わされる。

 机の横には、女子校指定の黒いカバン。中身は普通じゃない。神気を含む荒縄、御札、藁人形。

 そして、私の背後霊たち。

 匂いで追跡する犬霊「ハチ公」。

 日本刀を抜く戦国武者「スサノオ」。

 祟り神の格まで落ちた古屍「アラハバキ」。

 移動用の老女、地面を滑るターボババア。

 呼べば来る。縛れば従う。捕らえた霊は、飼う。

 弱いくせに分不相応なことをするやつは嫌い。自分から心霊スポットに行くバカは、もっと嫌い。そういうのは、助けない。基本。自業自得。


 チャイム。

 担任が入ってくる。席替えの話。私は聞きながす。教室の片隅、机の裏——御札が一枚、剥がれて落ちた気配。拾う。微かに湿っている。昨夜、近所で誰かが勝手に招いた小物を、黙って封じた名残だ。

 黒板に書かれる連絡事項のあいだ、スマホが震えた。通知は匿名掲示板型のオカルトサイト「零域」。そこに私は、**“裏庭の犬神”**として載っている。有名、といえば有名。怖がられている、とも言う。

 DM。本文は短い。


> 友人が田浦の廃村で行方不明。

あなたのページ、読みました。

お金は払えます。会ってください。




 授業後、返した。


> 横須賀の喫茶店。今夜七時。

夜からしか霊は出ない。話はそこから。

料金規定、サイト通り。




 送信して、机をたたむ。

 クラスメイトが寄ってくる気配は、ない。良い。私は立ち上がる。廊下を歩く速度は、遅い。けれど、用があれば背後霊で移動する。そういう時だけは、早い。

 今日は歩く。金は動く時に取る。


     ◇


 横須賀中央の雑居ビル一階、昭和の名残みたいな喫茶店。木の扉。鈴の音。煙草の匂いはない。

 角のテーブルに、ひとりの女がいて、両手で紙袋を抱えていた。年齢は私より少し上。二十前後。化粧は泣いたあとの跡がある。

 私が席につくと、彼女は立ちかけて、また座った。


「は、はじめまして。えっと……“裏庭の犬神”さん、ですか」


「……う、ウヒヒ。黒瀬でいい、です」


「す、すみません。なんて?」


「く、黒瀬。でいい、です」


 彼女は小さく会釈してから、紙袋を押し出した。束ねた封筒。私は開けない。まず話。


「……依頼、は?」


「彼氏が、YouTubeで“心霊めぐり”の配信をしてて。昨夜、『田浦廃村に行く』って出て、そのまま……帰ってこなくて。わたし、近くまで車で行ったんですけど、ヤバいって感じて、入れなかった。少し霊感はあるほうで……。ごめんなさい、わたし、怖くて」


「正解、だね。入らないのが、正しい」


 店主が水を置く。氷が音を立てる。

 私は小声で続ける。ブツブツと、規約の確認。


「……サイト、読んだ?」


「はい。『自分から心霊スポットに行ったバカは救いません。救いたければ数百万円以上。行っていない者が、行ってしまった者を探す場合は数十万円。救うなら追加料金』……ですよね」


「うん。で、金は、あるのか?」


 彼女は即答した。


「あります。彼がこれまでの広告収入を、わたしに残してくれていて。もし探してもらえるなら、相場で」


 私は、少しだけ首をかしげる。

 今回の線引きは、簡単だ。本人はすでに死んでいる可能性が高い。救出の契約ではなく、真相調査と遺体の所在確認。通常価格でいい。

 私は封筒をひとつだけ抜き取り、中身を見ずにカバンへ入れた。手触りで、数十万円あるのがわかる。


「……受ける。まずは、昨夜の配信記録を、全部。あと、彼の持ち物の匂い。ハンカチとか。ハチ公に嗅がせる」


「はい、全部、持ってきました」


 彼女はUSBメモリと、洗いざらしのTシャツを差し出した。

 私は頷いて、名刺を一枚置く。白地に黒文字。「黒瀬しじま/除霊・封印・捕縛」「連絡先:零域DM」。裏には小さく「危害を加える者は呪い殺す」——注意書き。

 読む彼女の指先が、ほんの少し震えた。


「……夜に動く。霊は昼に出ない。今日は一度戻って準備。進捗は、この名刺の裏のコードに。LINEじゃない。私の板」


「わかりました。よろしくお願いします」


「うん。戻ってこなくていい人なら、そう言う。あなたは、戻してほしい?」


 彼女は、息をのみ、そしてうなずいた。

 私はそれ以上は聞かない。必要ない。値段と境界だけ合えば、情は入れない。


     ◇


 店を出る。夜の匂いが濃くなる。

 私は路地に入り、背を伸ばす。猫背は少し楽にする。

 ターボババアの名を、息に混ぜて呼ぶ。

 アスファルトの上に、影が一枚、ざり、と擦れて現れ、モップのような裾を引きずりながら私の足元に寄ってくる。

 私はボサボサの髪を耳にかけて、低く言う。


「……田浦。匂いは、これ」


 Tシャツを開け、ハチ公を呼ぶ。空気の下層がふくらみ、鼻先だけの黒い犬型が出る。無臭の鼻が、布に触るだけで情報を飲み込む。尻尾はない。匂いの筋だけが、私の脳の後ろを引く。

 スサノオはまだ呼ばない。剣は抜けば、何かが返ってくる。

 アラハバキは、鎮める時だけでいい。今日はまだ、観察。


 私は、足を一歩、前へ。

 ターボババアの裾が私の足首に巻きつき、路面が後ろへ滑る。世界が動く。私は歩幅を変えない。移動だけが速い。

 街灯が線になり、港の匂いが広がる。横須賀の夜は、軍港の鉄と油の味がする。

 田浦へ入る坂の下で、私はいったん止まった。結界の縁が、見える。昨夜、あの男が裂いた場所だ。

 破れ目から、笑い声が漏れてくる。私の笑い方に似た音。けれど、それは私ではない。


「……ウヒヒ、は、私の台詞。紛い物」


 私は御札を一枚、舌で湿らせ、指で折って藁人形の腹に貼る。

 荒縄を肩から下ろし、地面に印を切る。

 犬が鼻を上げる。匂いの筋は、真上の闇へと伸びていた。

 私は、足を一歩、破れ目の内側へ。


     ◇


 廃村は、音が少ない。虫もいるはずなのに、鳴き方を忘れている。

 ハチ公の鼻が、廃屋の裏手で止まる。そこに、三脚の足が落ちていた。一本だけ、歪んで木目が食い込んでいる。

 私はしゃがんで触れる。まだ冷たい。昨夜の残り。

 土に、靴跡がある。男のサイズ。重心が崩れ、膝が関節を増やされた歩幅になってる。——つまり、連れて行かれた。追われて、ではない。“噛まれて運ばれた”。

 私は、アラハバキの名を口の内側で転がし、祟りの向きを確かめる。

 この村の祟りは、古い系譜と新しい怨嗟が、ねじれて重なっている。地形のせいだ。谷が音を溜める。配信がその蓋を開けた。視線が千本、刺さった。

 ——弱いくせに、呼ぶから、こうなる。

 私は心の中で吐き捨てる。弱いのに分不相応。嫌い。

 けれど金はもらった。仕事はする。


「……出て、来い」


 私は御札を三方向へ投げた。荒縄が勝手に走って、三本の線を結ぶ。三角の上に、古い井戸がある。

 スサノオを呼ぶ。

 空気が一枚、鋭くなる。私の右肩の少し後ろ、刀身だけが存在して、柄も鍔もないのに、抜かれた音がした。

 井戸の中から、関節の多い影がのびる。昨日、男を飲み込んだやつ。

 私は藁人形を井戸へ落とし、荒縄の片端を影に投げる。縄は空中で神気を吸い、蛇みたいに動いて影の関節に巻きつく。

 スサノオの刀身が一寸、横へずれる。切らない。切ると増える系だ。

 私は封じの言葉を、喉を使わず、舌だけで言った。口の形が合えばいい。声はいらない。

 影が痙攣する。

 井戸の底から、あの男のスマホが鳴いた。通知音。受信者は、彼女。

 ハチ公が鼻をひくつかせ、下を向く。

 私は、荒縄をさらに締め、アラハバキを一瞬だけ立てる。祟り神の名は、ここの土のほうが先に覚えている。だから、短く借りる。私のほうが強い。

 影は縮み、人間ひとり分の大きさになって、井戸の口から離れた。

 私は御札をその額に貼る。額がどこかは、もう関係ない。額としてほどよく効く場所に、貼るだけ。

 封印。

 影は、私の背中の裏へ入った。新しい背後霊。名前は、あとでいい。仮置き。

 私は井戸の縁に手をかけ、スマホを引き上げる。泥だらけだが、まだ生きている。

 画面には、配信アプリの終了していない枠。コメント欄は空白のまま延々と上に流れていた。重い声のせいだ。

 私は電源を落とし、ポケットへしまう。


「——所在確認、完了。真相は、帰って説明。救出は、別料金。……まあ、もう遅いけど」


 夜風が吹いた。

 私はターボババアに裾を握らせ、村を出る。

 背後で、井戸の蓋が勝手に戻る音がした。もう、ここはしばらく静かだ。


     ◇


 喫茶店の前に戻ると、時刻はまだ十時半。私は中には入らない。夜が明けてから報告する。泣く声は、朝のほうが少しだけ静かに響く。

 代わりに、名刺の裏のコードで、板に短く書く。


> 受領:前金(数十万)。

動画・持ち物受取。

夜間調査完了。所在確保。

詳細は明朝。

追加対応(救出・弔い)は別料金。




 送信。

 私はスマホを閉じ、路地の奥で立ち止まる。

 弱いくせに呼ぶやつが嫌い。でも、金を払うやつは、嫌いではない。

 肩の後ろで、新しい影が、しゅうしゅうと鳴る。躾はこれから。従わなければ、砕いて撒く。

 私はボサボサの髪を直し、猫背のまま、笑った。


「……ウヒヒ。次は、誰?」


 横須賀の夜は静かだ。港の灯りが、遠くに並んでいる。

 私は歩く。遅く。でも、必要な時は、早く。

 明日の朝、喫茶店で話す。料金は、規定どおり。情は、混ぜない。

 そういう仕事だ。そういう私だ。


— 完 —


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