第3話 覚醒の鼓動

「先輩! 連れてきました!」


 クレスが回復術士を伴って駆け戻ってきた。術士は到着するや否や、すぐに詠唱を始める。

 流れるような言葉と共に、淡く温かい光が、未だ横たわるガイフォンさんを包み込んだ。


 痛みに耐えるように「ハァハァ」と細い呼吸を繰り返す彼の姿に、俺はただ強く願った。


 ――頼む、助かってくれ。


 その祈りを打ち砕くように、前線から耳をつんざくような叫び声が響き渡る。

 

「動ける奴はすぐに戦線に復帰しろ! 大量の魔獣が来るぞ!」

「まだ……来るのか……?」

 

 辺りを見渡すと、大量の負傷者が倒れている。

 このまま前線が崩壊すれば、彼らは皆、魔獣に食い殺されてしまうだろう。

 冷たい現実が、氷のように俺の胸に突き刺さる。


 そんな中、一人の男が目に入った。

 怪我は見当たらないのに、膝を抱え、顔面は蒼白、全身をガタガタと震わせながら座り込んでいる。


 ――見覚えがある。ポーション屋を半壊させた転生者だ。


 おそらく、仲間の死か、戦場の惨状に初めて本当の恐怖を知ったのだろう。

 どれだけ規格外の力を持っていても、精神が耐えられなければ意味がない。

 それは皮肉な真実だが、若者にとって、それがこんな最悪の戦場だったのは、あまりにも気の毒だと感じた。


「……クレス、行けるか?」


 俺は回復術士にガイフォンさんを託し、隣に立つ相棒に声をかけた。

 クレスは小さく、しかし確固たる決意を滲ませて返事をした。


「ええ……やるしかないですね」

「よし、死ぬなよ」


 二人で頷き、再び戦場へと駆けた。


 前線へ向かう道の途中、冒険者たちが巨大な魔獣に群がっているのが見えた。

 その巨体はすでに歩みを止めていたが、代わりに口を大きく開いたまま、まるで何かを溜め込んでいるかのように制止していた。

 その不気味な光景に、冒険者たちの間に焦りの色が広がっているように見えた。


 次の瞬間、後方から「グオーン」という重く低い音が響き、反射的に振り返った。

 街全体が、巨大なドーム状の白い膜で覆われている。


「なんだ、あれは……?」

「あれは……結界魔法ですね」と、クレスが答えた。

 

「結界?」

「ええ、莫大な魔力を代償に、街全体を護るための、王宮が保持する最終防衛魔法です。緊急事態だからでしょう……俺も、実際に見るのは初めてです」


 俺も初めて見る光景だった。

 こんなものが街にあったなんて、衛兵として働いていながら知らなかった。

 クレスは王族だから知っているのだろうか。


 ――だが、これで街は守られた。

 

 ならば俺たちは、前線を維持し、負傷者を街へ運ぶための時間を稼ぐ。

 それでいいはずだった。


 しかし、その希望は一瞬で砕け散った。


 ――ゴゴゴゴゴッ。


 耳慣れない、地鳴りのような大きな音が響く。

 何事かと音の方向を見ると、巨大魔獣のその大きく開かれた口の中に、眩い光が帯び始めた。


「伏せろおおおぉぉぉぉっ!!!」


 誰かの叫び声と、ほぼ同時だった。


 空が爆ぜた。


 ドォォン!!


 巨大魔獣の口から、熱線のような紫色の閃光が放たれた。


 それは一直線に街へと向かい、覆われている白い結界に激突した。


 結界は一瞬耐えたかのように見えたが――次の瞬間、結界はまるでガラスの破片のように弾け飛び、その閃光は街の外壁を貫通し、市街地を直撃した。


 轟音と共に、巨大な爆炎が立ち上がる。


「なっ……!」


 戦場にいた誰もが絶句した。


 街が、人々の生活が、たった一撃で破壊されていく。


 あれは……魔法か? 魔獣が魔法を使うなど、聞いたこともない。


 「あのデカブツを止めろ!」必死な叫び声が聞こえる。


 止めなければならない。

 誰もが思った。


 だが……どうやって止めるんだ……? あんな化け物を……俺たちよりも遥かに強い転生者たちが、束になっても微動だにしない巨大な魔獣を。


 その時、ドスン、と地面を穿つような鈍い音と共に、突然、紫色の光を放つ巨大な石が空から目の前に落ちてきた。


 大きめのバケツほどのサイズで、熱を帯びているのか、シューシューと煙を立てている。

 

「なんだ……? これは……魔石か?」

 

 見たこともないほど巨大な魔石。


 一体どこから降ってきたんだ? まさか、あの巨大魔獣からか?

 

 突然、地面に埋まった魔石を見て、一つの考えが脳裏を貫いた。

 この巨大な魔石を魔法の触媒として使ってもらえば、あの巨大魔獣を撃退するほどの、強力な威力の魔法を放てるかもしれない。


 考えが脳裏をよぎったその時、「助けてくれぇ!」という悲鳴が、左側の森林地帯から聞こえてきた。

 木々に隠れて見えなかったが、森林地帯にも魔獣の群れがいたのか。


 躊躇う暇はなかった。

 俺は魔石を拾い上げ、クレスに叫ぶ。


「クレス! 助けに行こう!」

「はい!」


 森林地帯に駆け寄ると、そこには負傷した兵士達と熊型の魔獣が数体、狼型の魔獣が多数と言う最悪の状況だった。

 俺は手に持った魔石が邪魔になるため、少し開けた場所に置き、槍を構えて臨戦態勢に入る。


 俺たちと、救援に駆けつけた数名の兵士たちで森林での戦闘が始まったが、木々が陣形を邪魔し、すぐに他の仲間たちと距離が遠くなってしまった。

 気がつけば、いつの間にかポツンと、俺とクレスの二人だけになっていた。


「クレス! 木を盾代わりに使え! 熊型の魔獣とは距離を取れ!」

「はいっ……!」


 クレスが辛そうだ。

 俺も声を張り上げるが、自分の息もすでに荒い。腕が重い。視界が揺れる。

 身体は限界を訴えていたが、倒れるわけにはいかなかった。

 

 狼型の魔獣を槍で払い飛ばすも、突然、バキッという鈍い音と共に、ついに頼みの綱である槍が折れてしまった。


「こんな衛兵用の安物の槍じゃ……くそ! クレス! 引くぞ!」


 ……クレスから返事がない。


 嫌な予感がして周りを見渡すと、後方でクレスが倒れていた。

 その周囲を、魔獣たちが取り囲んでいる。


「クレス!」


 俺は折れた槍の柄を振り回しながら、血を流して倒れているクレスの前に立った。


「う……ぐ……す、すみません……」


 クレスの小さな呻き声が聞こえる。

 折れた槍では威嚇にもならず、魔獣たちが一斉に距離を詰めてきた。


 目の前の熊型の魔獣が、巨大な咆哮を上げた。


 ――次の瞬間、振り下ろされた熊型の太い爪が、俺の胸を容赦なく貫いた。


 せめて、せめてクレスだけでも逃がせないか……。


 そんな虚しい願いも届かず、爪の衝撃で、俺の体は藪を突き破り、遠くへ吹き飛ばされた。


 ゴハッ……。


 止めどなく血が噴き出す。

 大きく穴の開いた胸からも、口からも。


 なんとか膝を突いて立ち上がろうとしたが、足が痙攣し、言うことを聞かない。


 ……これで終わるのか? クレスを、ガイフォンさんを、皆を、助けられないのか……。


 足の力が抜け、俺はそのまま、地面に倒れ込んだ。


 痛みも、息も、意識も、すべてが遠のいていく。







 ズブッ。






 その時、体から鈍い音が聞こえてきた。


 滲んだ視界で自分の胸元を見る。


 倒れた拍子に、あの巨大な紫色の魔石が、俺の胸――熊の爪で開けられた穴の中心に、深々と突き刺さっていた。









 ドックン。



 脈動。まるで巨大な心臓が打つような、鼓動の音が響く。それは耳ではなく、頭の中で鳴り響いた。



 ドックン。


 

 身体が、熱い。全身の血管が焼き切れるような、凄まじい熱。


 ドックン。


 力が……力がみなぎってくる。今まで側に寄って来ていた死が遠ざかり、代わりに途方もない力が流れ込むのを感じる。


 ドックン。


 視界がはっきりする。腕が動く。足も、息も。

 すべての音が、聞こえる。

 周囲のすべての音、木々の葉の揺れる音、そしてクレスの微かな呼吸までも――。


 ――クレス!

 

 気づけば、俺は駆け出していた。

 倒れているクレスのもとへ。


 今まさに、熊型の魔獣の巨腕が、クレスに向けて振り下ろされようとしていた。


「ウガアアアアアアアアアアっっっ!!!」


 俺は叫び、無我夢中に魔獣を殴り飛ばした。

 

 バキャァッ!という魔獣の骨が砕ける音。


 熊型の魔獣の巨体が、何本もの木々をなぎ倒しながら、森の奥へと吹き飛んでいった。

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魔人の衛兵 ~皆を守る為に魔獣と化した衛兵、次は人間に狙われる~ 水乃ろか @mizuroka

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