エンゲージ・ヒューチャーガール11
「現時点で推察されるタイムトラベルの方法として、いくつか考えることができるが……。今回はワームホールを使った方法を考えよう。どうやらツァイト君はそれを利用しているかもしれないからねぇ。あぁ心配しないでくれ、これは全部私の妄想さ!何にも心配することはないとも、ツァイト君はゆっくりお茶でも飲んでいたまえ」
そう言って、丸岡は仮想ディスプレイに「ワームホール」と書いた。
「そもそもワームホールとはどんなものかを説明しようか。君たちに馴染みにのある説明はこれだろう」
丸岡は、仮想ディスプレイに線を敷き始めた。
「空間を一枚の紙として考えたとき、ワームホールは紙と紙の間を結ぶ穴の様なものだ。投影している図で説明すると、Uの字のそれぞれ先端を繋げた線になる。……あぁ、さっき書いた線が紙だとした場合だ」
仮想ディスプレイに書いた線を曲げてUの字にした。Uの字の先端に線を引き、引いた線を指差す。
「この線がワームホールだ。空間の任意の二点を繋げる穴。空間を紙に例えると、曲げた紙の2点をつなぐ線。一般的には、これがワームホールだ。……図ではわかりにくいが、空間だけでなく時間的な差を持つことも理論上可能とされている」
そこまで説明したところで、丸岡は仮想ディスプレイに正方形の平面を表示させた。平面の中心に円を描き、下へ下へと下げてゆき、ディスプレイの下端へ到達する。
「質量による空間の湾曲を説明する時、よく用いられる例は布の上に球体を載せることだ。想像してみたまえ、布の上に球体……いや、トランポリンの方がわかりやすいか。トランポリンの真ん中に重い球を載せた時のことを考えてみるといい。ディスプレイで表すと、平面がトランポリン、その上に描いた円が球体となる。……考えたかな?十中八九、球体を中心としてトランポリンが凹むはずだ。ではトランポリンに載せたのが重い球ではなく、ブラックホールの様な極度に大きい密度を持った球体だとするとどうなるか。それこそディスプレイに書いた通り、トランポリンは激しく湾曲するはずだ。湾曲した先端に何があるのか、そもそも先端が存在するのかすらわからないほどに。立体で考えるなら逆円錐を想像すればわかりやすい。逆さにしたとんがりコーンなんかが適任だろう。ちなみに私はあっさり塩味が一番好きさ!!やはりシンプルイズベスト、発音良く言うとSimple Is Bestだからねぇ。余計な装飾はいらないのさ、素材の味を楽しむのが一流だとも。……話を戻すと、これの先端部分が特異点と呼ばれている。例えを使わずに説明すると、密度が無限大になる点のことだね」
小休憩。水を一口飲んだ後、丸岡は仮想ディスプレイを複製した。上下逆さまにしつつ複製したディスプレイの上端と複製元のディスプレイの下端を連結させる。ディスプレイには二つの円錐が頂点で連携しているような、横から見た砂時計のような形が現れる。
「アインシュタインとネイサン・ローゼンは1935年、ブラックホールの解の中にワームホール的な構造があることを示した。巷ではアインシュタイン=ローゼン橋とか呼ばれている。他にはドーナツ型の特異点を持つカー・ブラックホールなんかもあるし、ハイゼンベルグの不確定性原理により予測される時空の泡などがあるね。……もっとも、後者は量子スケールでの仮設段階ではあるが。ワームホールは現代物理学において、存在しえるものなのだよ。……さて、講義の主軸に戻るとタイムトラベルだったね。と言っても、ここまで来ると語ることはそう多くない。ワームホールは異なる2点の時空を結ぶものだ。仮にワームホールが存在しえるのなら、それを通ってタイムトラベルをすることも可能なはずだ。異なる時空とは過去、現在、未来を問わないからね」
仮想ディスプレイを指差しながら説明を続ける。
「ディスプレイで示した図の上側を現実の時空間だとすると、下側がワームホールの先、トラベル先の時空になる。この場合、それらを繋ぐトンネルがワームホールになるね。砂時計のくびれ部分のような形をしているところだ」
そこまで話を聞いていた城ヶ崎が手を挙げた。
「はい城ヶ崎君。君はいい学生だ、質問するときに知識欲に呑まれていきなり話し出すのではなくきちんと手を挙げて許可を求めることができる。流石は私の後輩だ、君はいい科学者になれるとも!」
「いや、そんなことはあんまり興味ないっす。それよりさっきの話を聞く限り、ワームホールってブラックホールの中にあるんすか?と言うか、もしそうでなくても、そこの仮想ディスプレイに図示されてるような構造をしてるならとんでもない重力がかかってることにならないっすか?空間を歪めるのが重力なら、ワームホールって歪めに歪めた集大成みたいなものっすよね?もし存在したとしても、飛び込んだら一瞬でスパゲッティになると思うんすけど」
「その通りだ、よく理解している。ワームホールとは、巨大な重力が生み出す底なしの井戸のようなものだ」
丸岡は、仮想ディスプレイに描かれた図のくびれ部分を挟むように矢印を書いた。矢印の先端はくびれの方を向いている。
「そもそもスパゲッティ以前に、ワームホールが存在するとしてもすぐに閉じてしまう。ワームホールのくびれ部分が、自身を生み出した重力に耐え切れないからね。それに、ワームホールの存在は物理学の禁則事項を犯す可能性がある。エネルギー保存の法則くらいは君たち理解しているだろう?特殊相対性理論からすると、質量はエネルギーだ。ワームホールが同じ時間内の異なる2点の空間を繋いでいるならまだしも、異なる二つの宇宙を繋いでいるとすれば、ワームホールを通り抜ける側からするとエネルギーが消失しているし、相手側からすると何もない空間から突如として正体不明の物体が出現することになる。……まぁ、禁則事項云々は置いておいて。ワームホールがすぐに閉じることとスパゲッティかについては、同時に解決できる。反重力の性質を持ったエキゾチックな物質を想像したまえ」
丸岡はくびれ部分の内側に「!!EXOTIC!!」と書いてから、外向きの矢印を書いた。ちょうどくびれを挟む矢印と向かい合う形だ。
「ワームホールを安定させるために、内側をエキゾチックな物質……負のエネルギーとかがいいだろうか。これでコーティングしたとしよう。ワームホールはそれ自体に大きな重力がかかっているから、投入する負のエネルギーの量を適切に調節してやれば、ワームホールは自然と安定する。勿論、これはワームホールが閉じる極短い間に行わなければならないが。重力を反重力によって打ち消せるなら、人間が通れるように色々できるだろう。……まぁ、そもそもワームホールどころかブラックホールすら満足に観測できていないんだ。今説明したことが全て間違っているかもしれないし、そもそももっと単純かもしれないがね!真実は神のみぞ知る、と言うやつさ」
言いたいことは言い終わったらしい、丸岡は軽く伸びをしながらテーブルに帰ってきた。そんな丸岡を眺めながら城ヶ崎が呟く。
「やっぱ丸岡先輩って頭いいっすよねぇ……。何でこんな専門的なこと知ってるんすか?」
「KEKに行った時に藤岡が説明してくれてねぇ!藤岡曰く、理論的には粒子加速器を使えばマイクロブラックホールを生成できる、かもしれないらしい。そこから話が転じてブラックホールの講義になったのさ。あんなのでも日下高校の講師だからねぇ」
藤岡とは科学部の顧問だ。日下高校で講師を任されるだけあって頭がいい。頭はいいのだが……。
「はぁ……」
「光先輩、溜め息なんかついてどうしたんすか?」
「え、漏れてた?ごめんね、藤岡のこと考えてるとつい……」
あぁ、と城ヶ崎は納得したような顔をした。確かに藤岡は科学者として優秀なのだろうが人間 としては終わっている。酒カスヤニカスパチンカス、エナジードリンクを水のように飲むし、二日酔いで出勤することもある。学校でよくタバコを吸っているのを目撃されているし、どうしてクビにならないのか疑問に感じるほど態度が悪い。
科学者として尊敬はするが、光はどうにも藤岡のことを好きになれなかった。今ではすっかり慣れてしまったが、光はタバコの匂いがあまり得意ではなかったことも影響しているかもしれない。
そうして藤岡のことを考えていると、丸岡がゆっくりと立ち上がった。
「さて、そろそろいい時間だしお暇しようかな。あんまり遅くまでいても迷惑だろう。ほら、城ヶ崎君も立ちたまえ」
「言われなくても立つっすよ……。お邪魔しましたっす」
「安心したまえ!この四次元ソノブイとやらも城ヶ崎君が設置してくれるさ!」
「まぁ、どのみち実習でその辺飛び回ることになるんでいいっすけど。丸岡先輩にそう言われるのはちょっとムカつきますね」
わちゃわちゃしながら丸岡と城ヶ崎が帰宅する。気がつけばもう十七時を回っていた。随分話し込んでしまったらしい。
そうして丸岡と城ヶ崎を見送ったあと、ツァイトが光に話しかける。
「丸岡さんは、貴方の幼馴染であっていましたか?」
「あってるけど。それがどうかしたの?」
「……いえ、なんでも」
若干表情を険しくしながらツァイトが呟いた。
「調べものが増えました。晩御飯ができたら呼んでください」
そう言うと、ツァイトは通信機を操作し始めた。疑問に思いながらも、光は夕飯の支度を始める。
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