エンゲージ・ヒューチャーガール9
光が正気を取り戻すのに要した時間は、およそ五分だった。いつかの様に鎮静剤を投与されたわけでなく、痺れを切らしたツァイトに頬を小突かれたことによって覚醒した光は、まずツァイトに確認することにした。
「あの、この200万って闇金とかじゃないよね?確かに貯金はないけど、せめて消費者金融からにして欲しくて……」
「失礼ですね、時空警察をなんだと思ってるんですか。貴方には一平方ミリメートルあたりおよそ3000個の細胞から構成される優れた眼球が2つもついているでしょう。日下商事の4文字すら認識できないんですか」
「おっしゃる通りで……」
改めてARディスプレイ上の入金履歴を確認すると、確かに日下商事から200万円の入金がされている。こんな貯金額見たことがない。
「正気を取り戻した様なので、改めて説明しましょう。時空警察本部と連絡をとった結果、未来が変更されていることが確認されました。原因は不明ですが、恐らく我々が接触したためだと思われます。我々はこれより、可能な限り迅速に事態の収束を行わなければいけません。私はあまり行動できませんが、可能な限りのバックアップは行います」
「……さっきもちょっと言ってた気するんだけど、なんで私がやらないといけないの?なんか色々ヤバいらしいことはわかったんだけど、だったら尚更ツァイトが動いたほうがいいんじゃない?私何も知らないけど」
一旦深呼吸してから光が疑問を口にする。
「それが可能であればベストではありますが、残念ながらそれは出来ません。原因が特定できていない以上、この時空における私という異分子はあまり行動できないのです」
「じゃあ東急ハンズに行ったのは何?結構な人数に見られてたと思うけど、あれは大丈夫なの?」
「苦肉の策ではありました。本部と連絡を取れない以上、何がどの様な影響を及ぼすか未知数でしたから。多少のリスクを鑑みても、本部との通信体制を整えることが最優先です」
そう言ってから、ツァイトは暖かいお茶を飲んだ。ご丁寧に光の分も用意されてる。正気を失っているときに準備したのだろうか。
「そろそろ詳細の説明に入りましょうか。先程も申し上げたとおり、少なくとも事態を収束するまでの間は、日下グループ関連施設内において、貴方のいかなる行動も黙認されます。これには日下大学附属高等学校も含まれており、実質的な治外法権だと認識してもらって問題ありません」
「……現実離れしてて実感わかないんだど。それで、私に色々しろってさっきから言ってるけど、具体的に何すればいいの?」
「貴方が危惧している様な複雑なことは任せませんよ、それができる事前知識もなければ経験もありませんからね」
言い終わった後、ツァイトは机の上に地図を広げた。光の家をアパートを中心としており、地図の右上には日下高校が記載されている。光のアパートを中心として放射状に赤ペンでバツ印が書かれており、数はおよそ20個ほどありそうだ。
「まず最初に。地図上に印をつけた位置に四次元ソノブイを設置してください。簡単な測定機器です。遅くとも3日以内に設置していただきたいですが、早ければ早いほど良いです」
そう言いながら、ツァイトは腕時計ほどの大きさの、上部にアンテナらしきものが取り付けられた半円状の機械を取り出した。
「デモンストレーションをしましょう。と言っても、設置してからソノブイの上部にあるアンテナを上に引っ張るだけです」
机の真ん中に四次元ソノブイを置いてから、ツァイトが上部にあるアンテナを上に引っ張った。その途端、アンテナの先端に取り付けられたライトが赤く点滅し、四次元ソノブイがどんどん透明になっていく。まるで空間に溶け出している様だった。
「これでOKです。設置予定地点から多少ズレる分には問題ありませんから、よろしく頼みますね。分からないことがあれば今聞いてください」
「そんなこと言われても……。3日でしょ?多分間に合わないと思うんだけど……」
改めて地図を見ると、かなり縮尺が大きい気がする。中には県外まで行く必要がある場所もあった。そうしていると、光の内心を察したのかツァイトが口をひらく。
「心配しなくても、人手なら補充できるでしょう。確か城ヶ崎 千佳さんと丸岡 台子さんでしたっけ?3人もいれば間に合うと思いますが……。ああ、心配しないでください。明日は科学部の活動があるんでしょう?そこで私を紹介してくれればいい感じにやりますよ。必要な場合は事後の記憶処理も実施しますから」
「あんまり物騒なことはしないで欲しいんだけど……。って言うか、紹介するってどうするの?まさか学校に来るとか言わないよね」
丸岡のことはツァイトに説明した記憶がない。どうして知ってるのだろうか?と疑問に思ったが、未来から来たのなら知っていて当然なのだろう。
「ですから家に呼んでください。どのみち、城ヶ崎さんと丸岡さんにも私のことは知られてしまっていますし。今更誤差の範疇です」
そう言ってツァイトは、言いたいことを言い終わったのか席を立った。お茶を飲み終わったのだろう、ご丁寧に湯呑を流しまで運んでくれている。手元に視線を移すと、ツァイトが入れてくれたお茶から少しだけ湯気が立っていた。
お茶を飲みながら思考を整理する。ツァイトが言うには、未来が変わっていたらしい。光からすると預かり知らぬ話ではあるが。
そもそも未来が変わっているからといって、どうして元に戻さなければならないのだろうか。それこそ、ツァイトが恐れていたタイムパラドックスでも発生するのかもしれないが、だとしたらツァイトが今すぐ未来に戻ればいい話だ。ツァイトは自分のことをこの時間における異分子と言っていたが、であればツァイトが帰れば事態はこれ以上悪化しないはずである。
そもそも私がいつ理論を構築したかを調査するために来たとか行っていたが、それこそさらなる未来の自分達に任せればいいのではないだろうか。2300年の技術だと判然としないために現地調査を行なっているとツァイトは言っていたが、ならば2400年はどうだろう。2500年は?3000年まで未来にいけば、技術力は十分だろう。それこそ、例えば西暦3000年に事の真偽が判ったとするなら、その結果を西暦2300年に送ればいいのだ。時空警察とやらが過去に干渉できるのなら、彼らは危険なリスクを一切犯す必要もなく、さらなる未来からの情報提供を受ければ良いだけのことである。
そうして思考を巡らせ、疑問が疑問を呼ぶうちにお茶を飲み切ってしまった。ツァイトに続いて、光は流しに向かう。ついでに食器も洗うのがいいだろうか。
食器を洗う準備をしているうちに、光の脳内に思い浮かんだ疑問の殆どは霧散した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます