第4話
次兄アランとの遭遇は、俺の計画に微修正を強いるには十分な出来事だった。
あの夜、兄の背中が見えなくなってから、俺はすぐ隣で不安そうに立ち尽くすエラーラに向き直った。
「エラーラ。王都に、行ってみたくはないか?」
唐突な俺の言葉に、彼女は翠色の瞳をぱちくりとさせた。
「え、えっと……ですか……?」
「ああ。このままこんな辺境の森で修業を続けていても、いずれ限界が来る。お前の才能は、もっと大きな世界でこそ磨かれるべきだ。それに……」
俺は言葉を切り、アランが消えた方向を一瞥する。
「いつまでも、こんな場所でこそこそ続けるわけにもいかないからな」
俺の真意を完全には理解できていないだろう。だが、エラーラは俺の言葉に含まれる決意を感じ取ったようだった。彼女はごくりと喉を鳴らし、そして、力強く頷いた。
「マスターが行くなら、私も行きます。どこへでも」
その揺るぎない信頼が、俺の計画をさらに加速させる。
しかし、言うは易し、行うは難し。
六歳の貴族の三男が、七歳の孤児を連れて、どうやって王都へ行くというのか。家出などという愚策は、後々の足枷になるだけだ。必要なのは、父であるアシュフィールド男爵からの正式な許可。それも、エラーラを俺の従者として同行させるという、前代未聞の許可だ。
その日から、俺たちの「修業」内容は一変した。
攻撃魔法や属性魔法の訓練は一時中断。代わりに俺がエラーラに叩き込んだのは、もっと地味で、だが今回の計画においてはるかに重要な二つの知識だった。
一つは、
俺は前世の記憶を頼りに、この領地周辺に自生する薬草、毒草、希少植物の知識を、エラーラに徹底的に叩き込んだ。鑑定法、採取法、簡単な調合レシピまで。彼女の規格外の魔力は、植物が放つ微弱な魔力(エーテル)を感じ取る能力にも長けており、その吸収速度はやはり常軌を逸していた。
もう一つは、
掃除、洗濯、料理、裁縫。それら全てを、魔力を使って効率的かつ完璧にこなす技術だ。埃を風魔法で一瞬にして集め、水の玉で汚れだけを洗い流し、火魔法の微調整で最適な温度でパンを焼く。
これは、彼女を「魔法使い」としてではなく、極めて有能な使用人として売り込むための布石だった。
二ヶ月後。準備は整った。
俺は意を決し、父の執務室の扉を叩いた。
「――父上。お願いがあります」
書斎で山のような書類と格闘していた父は、眉間に皺を寄せたまま俺を見下ろした。
「リアムか。どうした、改まって」
「王都へ、行きたいのです。王立学院の、大きな図書館で本を読んでみたい」
俺がそう言うと、父は心底意外だという顔をした。そして、次の瞬間には呆れたようなため息をつく。
「図書館だと? リアム、お前は自分の立場が分かっているのか。我が家に、お前を王都へ遊学させるような金銭的余裕はない。それに、魔力もろくにないお前が、王都で何を学ぶというのだ」
予想通りの反応だ。だが、ここからが交渉の始まりだった。
「僕一人で行くつもりはありません」
俺はそう言うと、控えていたエラーラを部屋に招き入れた。父は突然現れた孤児院の少女を見て、さらに眉間の皺を深くする。
「この子はエラーラ。僕の従者として、一緒に連れて行きたいのです」
「…何を、馬鹿なことを言っている」
父の声に、明確な怒気が混じり始めた。
「父上。この子は、ただの孤児ではありません。アシュフィールド家の財産になり得る子です」
俺はエラーラに目配せをした。彼女は緊張で身体をこわばらせながらも、懐から数種類の薬草を取り出し、淀みのない口調で説明を始めた。
「こちらは、解熱効果のある
エラーラの説明に、父の表情がわずかに変わる。貧乏男爵である彼にとって、新たな収入源の可能性は聞き捨てならない話だったのだろう。
「…なぜ、お前のような子供がそんなことを知っている」
「この子が、独学で覚えたのです。彼女には、植物の価値を見抜く特別な才能があります」
もちろん、真っ赤な嘘だ。教えたのは全て俺だが。
「そして、彼女は僕の身の回りの世話を完璧にこなせます。王都での生活で、余計な使用人を雇う必要はありません。むしろ、僕たちの滞在費くらいなら、彼女が稼ぎ出す薬草の売却益で賄えるかもしれません」
俺は、子供の拙さを装いながらも、計算高い提案を突きつけた。投資、そして利益。貴族である父には、その言葉の方が響くはずだ。
父は腕を組み、難しい顔で黙り込んだ。天秤が、揺れている。
俺は、最後の一押しを決めることにした。
「それに……」
俺は父の前に駆け寄り、その服の裾を掴んだ。
「この子がいないと、やだ……! エラーラと一緒じゃないと、僕、王都には行きたくない……!」
子供の我儘。
これこそが、子供という立場が持つ最強の武器だ。
これまで手のかからない平凡な子供だった俺が、初めて見せた強い自己主張。それは、計算された提案よりも、ある意味で父の心を揺さぶったようだった。
父は、大きなため息を一つ吐くと、俺の頭に大きな手を置いた。
「…分かった。リアム、お前の好きにしろ」
「! 本当ですか、父上!」
「ただし、条件がある。第一に、アシュフィールド家の名を決して汚さぬこと。第二に、月に一度、必ず手紙で報告を寄越すこと。それが守れぬ場合は、即刻領地へ連れ戻す。いいな?」
俺は満面の笑みで、力強く頷いた。
「はい、父上!」
こうして俺は、アシュフィールド男爵家の正式な許可と、エラーラという「従者」を伴って王都へ向かう権利を、まんまと手に入れたのだ。
◇◇◇
一週間後。領地の門の前には、質素だが頑丈な一台の馬車が停まっていた。
俺とエラーラは、今日、この地を旅立つ。
エラーラは、アシュフィールド家の正式な使用人として、真新しい服を着ていた。孤児院にいた頃の面影は、もうない。彼女は少し不安そうに、しかしそれ以上に誇らしげに、俺の隣に立っている。
「リアム、身体に気を付けるんだぞ」
「エラーラ、リアム様をしっかりお支えするのですよ」
母と父が、名残惜しそうに声をかける。二人の兄も、見送りに来てくれていた。
「王都に着いたら、すぐに手紙を書きます」
俺は優等生の顔でそう答え、馬車に乗り込んだ。エラーラも、深々と頭を下げて後に続く。
ガタガタと車輪が回り始め、見慣れた領地の景色が遠ざかっていく。
馬車の窓から、小さくなっていく両親たちの姿を眺めながら、俺は静かに口角を上げた。
「さて、エラーラ」
俺が声をかけると、向かいの席に座っていた彼女が、居住まいを正して俺を見た。
「いよいよ、計画の第二段階の始まりだ」
表向きは、出来損ないの三男坊と、その従者のささやかな遊学。
だが、その実態は、元大賢者が、世界を裏から支配するために、最高の駒と共に本拠地へ乗り込む、壮大な計画の幕開けに他ならなかった。
王都の喧騒と陰謀が、俺たちを待ち受けている。
――実に、面白くなってきたではないか。
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