3 カギ閉め虫
少ししてマクシミリアンがドアをノックしてきた。
「夕飯、いかがですか?」
いらないと言いたかったが、素直に何か食べたかったので、そっと部屋を出た。
マクシミリアンがのっそりと立っていて、食堂まで案内してくれた。
台所は料理人が複数で働くような作りになっていて、食堂のテーブルも大人数で食べるような作りだ。まさにここがカリュプス属州を攻めるのに使われた要塞であることを示している。
しかし今ではマクシミリアンとダーリアしか使う人はいない。粗末な木の椅子がテーブルに向かい合って二組置かれているだけだ。かつては兵士の食事でガヤガヤとやかましかったことだろうに。
その広い食堂で、マクシミリアンとダーリアは向かい合って座った。
テーブルの上には黒パンと、にんじんと玉子の炒め物、薄切りのハムとチーズが置かれていた。
「……わたしはにんじんが苦手で、食べられないのです」
ダーリアは申し訳なく思いながら、にんじんが苦手だと白状した。
「困りましたね、ギプス村でいちばん作られている作物がにんじんなんです。簡単に腐らないし栄養豊富なので冬の間はずっとにんじんばかり食べているのですが……」
なんだそのにんじん地獄は。
「とりあえず食べてみてください。どうしてもダメなら策を考えましょう」
ダーリアは恐る恐る、フォークの先でにんじんをつつく。見事なオレンジ色。こわごわ口に運ぶと、にんじん特有の野菜の味が口に広がった。
王都で食べるにんじんよりかはマシだったがそれでもまずかった。
ダーリアが顔をしかめているとマクシミリアンはチーズを勧めた。野菜のえぐみをチーズの匂いで消してしまおうという力技だ。チーズを口に入れると、今度はしょっぱい味ときつい匂いが口のなかを侵略してきた。
「おいしいですか?」
正直王都でふだん食べていたものと比較すると雲泥の差というか月とスッポンという感じである。
それでもマクシミリアンに心配されたくなくて、ダーリアは頑張って口の中のものを飲み込んだ。
「おいしいです」
ダーリアはちょっと意地になってそう答えた。
ちゃんとおいしいと言うことが、自分のために料理をしてくれたマクシミリアンへの礼儀だと思ったからだ。
王都の実家では、食事というのはコックが作って給仕係が運んできて、毒見係が食べてから食べるもので、誰かに作ってもらった、という印象は薄かった。
しかし、この食事はまぎれもなく、マクシミリアンが作ってくれたものだ。
自分のために誰かが料理をしてくれる、という当たり前のことが、とても幸せなことに感じられたのは間違いなかった。味はともかく。
「おいしくなさそうですね。やっぱり僕の男メシ、王都の貴い方に食べさせるものじゃないんだなあ」
マクシミリアンは露骨に落ち込んだ。かじっていた骨を取り上げられた犬の顔だ。
「マクシミリアンさん、きょう食糧庫にいらしていた、……ハーフリング? の方はどなたですか?」
「ああ、あの人はリリーマリアさんと言いまして、ギプス村いちばんの鍵職人です。この要塞はなにしろ古いので、カギ閉め虫が出るんです」
「……カギ閉め虫?」
「開いているドアの鍵を勝手に閉めてしまう小さな魔族ですよ。鍵を勝手に閉めるだけで人畜無害なんですけど、うっかりすると閉じ込められたりするので気を付けて。……おっと」
「王都でいう時計虫みたいなものですか?」
時計虫というのは時計の時間を勝手に狂わせる微細な魔族のことだ。真夜中に目覚まし時計を鳴らしたりする結構迷惑な魔族である。
マクシミリアンは大きな手で、なにかを捕まえていた。手のなかからガチャガチャ音がする。どうやらカギ閉め虫を捕まえたようだった。
「ああ、そうだと思います。見てください。これがカギ閉め虫です」
マクシミリアンは捕まえた小さな魔族を見せてくれた。金属のようにキラキラした体で、背中には鍵穴の模様がある。触角は鍵の形だ。王都の時計虫より一回り大きい。ぱっと見は、いわゆるカナブンのような感じだ。
「へえ……いろいろな魔族がいるんですね」
「なんせカリュプス属州の辺境ですから。村の外に出てはいけませんよ、ダイアウルフやゴブリンが出ますから」
「ゴブリンって、よく冒険小説で女戦士をさらって拷問をする」
「ハハハ。それはフィクションですよ。女戦士をさらったら拷問する前に焼肉パーティを始めるでしょうね」
「怖いです」
マクシミリアンは目をぱちぱちさせた。
「これは失礼いたしました。でもゴブリンは賢いですから、群れになるとすごく恐ろしい魔族です。ダイアウルフも群れを作る凶悪な魔族ですので、村の外には出ないのが賢明です」
「そんなすごいところにいるんですね、わたしは」
ダーリアはハムを食べる。塩辛いがにんじんよりはマシだ。
マクシミリアンもモグモグと食卓の上のものを口につっこんでいく。
「辺境ですから。まあ、僕も腕には自信があります。村の自警団を手伝っていますしね」
「じゃあ、そのお顔のアザは魔族と戦って?」
マクシミリアンは悲しげに笑った。
「いいえ。生まれつきですよ」
ダーリアはぎゅっと唇に歯を立てた。
「失礼しました」
「お気になさらず」
マクシミリアンは笑顔で答えた。どこまでも爽やかだ。
ダーリアは早く寝てしまおう、と自分の部屋に戻った。
マクシミリアンが自分の悪口を、あのハーフリングに言ったと思いたくなかった。
だいいちマクシミリアンは、「カリュプス人の自分にはアウルム人の美醜は分からない」と言っていたはずだ。だから悪口を言われるわけがない。
でもそうやってだれでも信用していいのだろうか。自分はきっとカリュプス人から見ても不細工なのだ。
そんなふうにずっと考えているうちに、ぐらぐらとまぶたが震え始めた。
眼球が上を向く。
痛い。苦しい。なのに頭の中がうるさくてどうにもならない。
実家、クリザンテーモ公爵家の屋敷にいれば、ベルを鳴らすとすぐに女中が薬を持って駆けつけた。しかしここはカリュプス属州のギプス村だ。ベルなんかない。
オイルランプがぼんやりと光っている。
大きな声が出た。
「たすけて……!」
少しして、ばたばたとマクシミリアンが駆けつけた。預かっていた薬を持っていた。
「大丈夫ですか? 落ち着いて。焦って薬を飲むとむせますからね。ゆっくり、ゆっくり」
マクシミリアンの手が光っている。回復魔法だ。背中に手を当てられた。徐々に呼吸が整ってきたので、どうにかこうにか薬を飲んだ。
「……うそつき」
「うそつき?」
「ここにいれば誰にも悪口を言われない、とマクシミリアンさんはおっしゃったじゃないですか。そのマクシミリアンさんが悪口を言うなんて!」
「……?」
「あのハーフリングの鍵職人に、わたしの悪口を言ったではありませんか!」
「悪口……ああ、なるほど……悪口と取られたなら謝ります。決してそんなつもりはなかったのですが」
やはり悪口を言われていた。それも本人に自覚のない形で。
それではここも女学校と変わらないではないか。
ダーリアは悲しかった。本当に、自分には行くところがない。こんな属州の辺境まで来ても、それでも悪口を言われる。
そもそも自分はいないほうがいいのではないか。
クリザンテーモ公爵家の、ごくつぶしというやつだったのではないか。
いやクリザンテーモ公爵家はアウルム王国指折りの大貴族だ、貧しい人たちのようにわずかな食べ物を取り合うようなことはないので、ごくつぶしという表現は正確でないのだが。
ダーリアは自分の見た目が醜いのが悲しかった。
姉のように、宝石のように美しい見た目が欲しかった。
子供のころは姉と同じ顔をしていたはずなのだ。それだというのに気がつけば姉は第一王子のお妃で、自分は気狂いになりかけて辺境の、にんじんばっかり穫れる村にいる。
なんで。なんでこうなったんだろう。
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