2 病気
「わたし、病気なんです。精神病。お医者は『女学校でいじめられて、狂人一歩手前まで追い詰められている』と言っていました。薬を飲んで休めと」
「ああ、そのお薬なら預かっていますよ。足りなくなる前にお家に手紙を書きましょう。嫌なら代筆いたしますよ」
「……ありがとう、ございます……」
「このギプス村にはお医者はいませんが、具合を悪くしたら僕が回復魔法を使えます」
「僧侶さんでしたものね」
マクシミリアンは頷いた。
そのとき外からどんどんとドアを叩く音が聞こえた。ダーリアは思わず毛布を被って耳を押さえた。
「おーい坊さん! アウルム人のおひい様ってのはどんなのだい!?」
乱暴な口調であった。男性の声だと分かるのだが、妙に甲高い。
「ダーリアさん、大丈夫ですよ。すぐ戻ります」
マクシミリアンは部屋を出ていった。
耳を押さえて毛布を頭から被り、己を外界から遮断する。
頭の中を、知っている人の声で、意味のない言葉が飛び交う。
誰かが頭の中を覗いている。
窓の外から、誰かが弓矢でダーリアを狙っている。
怖い。
きっとマクシミリアンだってやっかいなものを押し付けられた、と思っているのだ。
ダーリアの中でダーリアは無価値であった。クリザンテーモ公爵家に生まれたのは間違いだった。なぜ人は生まれてくる家を選べないのか。
クリザンテーモ公爵家は先々代の王の血縁である。だから姉のカテリーナはフランチェスコ第一王子に嫁いだし、ダーリアだってアキッレーオ第三王子に嫁ぐはずだった。
母親はしきりに、よい家との結婚こそが女の幸せである、と言っていたし、父親もそれと同じ意見のようだった。姉のカテリーナは生まれついて輝くように美しかったので、女学校など行かずに行儀見習いからすぐ結婚にこぎ着けた。幸せそうに見えた。
ではこのくすんだ、平民の子が持っているガラス玉のアクセサリーのようなダーリアに、存在価値はあったのだろうか。
姉が、ゆくゆくは王になるお方と結婚したのだ、ダーリアとアキッレーオ第三王子の結婚はオマケだろう。アキッレーオ第三王子は乱暴な言動で王にも呆れられていた。結局、よい家との結婚が幸せ、という建前で、ダーリアは半ば捨てられるような扱いを受けていたのだ。
王家の人たちは今一つ好きになれない、とダーリアは思っていた。
フランチェスコ第一王子だって、姉を「子供を産めるトロフィー」くらいにしか思っていなかったし、アキッレーオ第三王子は人の見た目をくさすような人だ。
でもオラーツィオ王弟殿下はとても優しそうな人だったな。もう五十をゆっくり過ぎているのに妻もめとらず、淡々と猫を可愛がっている人だった。
ダーリアは高速回転しときおり脱線する自分の頭に目を回していた。
そっと耳から手を離すと、もう建物の周りに集まった人たちはいなくなっているようだったので、毛布もそっとのける。
部屋を見渡す。
シンプルで整った部屋だ。
ベッドサイドにはずいぶん古い陶器のオイルランプが置かれていて、窓はガラスでなく木の戸を開け閉めするようになっている。
ベッドにひかれたシーツは、よく言えばさらっとしていて、悪く言えばざらっとしている。毛布は少しかび臭い。掛け布団も古いもののようだ。
ベッドから降りて着ているものを確認する。シンプルなカリュプス属州風の服だ。白いブラウスにコルセットのついた緑のスカートといういでたちである。
スカートには華やかな刺繡が施されていて、エプロンもついている。ちょっと可愛いし、少なくとも窮屈なドレスよりはずいぶんマシだ。
足元には木靴が置かれていた。履いたら痛そうだがかわいい模様が彫られていて、模様にはきれいな色が塗られている。木靴といっても高級な細工物であるのは間違いない。
部屋には小さな本棚があって、王都ドムスの屋敷でダーリアが気に入っていた本が収められていた。いちばん大好きな「金のりんご」という冒険小説もある。
ダーリアは精神病だと診断される少し前から、読書をするとひたすら疲れてしまって、とてもとても本など読めない、という状態であった。
それでも、大好きな「金のりんご」が本棚にあるのを見て、ダーリアは安心した。
ダーリアは「金のりんご」の、ガルシアという登場人物が好きだった。
自分の見た目ではだれとも恋などできない、と気付いた十二歳のころから、ダーリアは本の登場人物に恋をするようになった。
ガルシアはカルブンクルス人の英雄、という設定の人物で、赤い肌の剣士だ。カルブンクルス人の赤い肌というのをダーリアは見たことがなかったが、さぞ美しいのだろうな、と常々考えていた。
……しばらく待ったのにマクシミリアンが戻ってこない。どうしたのだろう、とダーリアは立ち上がる。木靴を履いてみると案の定ちょっと痛い。
慣れない木靴をガコガコ言わせながら部屋を出る。廊下は板張りで、歩くとちょっときしむのは自分が太っているからだろうか、とダーリアは自分で考えて勝手に凹んだ。
ここは要塞だ、とマクシミリアンは言っていた。
なるほど、外側はレンガと石で出来ているようだ。たくさんの兵士が寝起きすることを考えた建築のように感じられる。
要塞といってもカリュプス属州での戦争が終わったのは本当に大昔の話だ。ダーリアはちょっと好奇心を覚えて、そのうち要塞の中を探検してみようと思った。
勝手な思い込みかもしれないが、マクシミリアンはとてもいい人に思えた。
王都ドムスの精神科医より優しい人だと思う。
それともそれは勝手な思い込みで、マクシミリアンもダーリアを迷惑だと思っているのだろうか。
分からないがとにかくマクシミリアンを探す。
なにやらガチャガチャと音がする。そっと見てみると、どうやら食糧庫らしい部屋の前で、マクシミリアンは子供のような背丈の女の人と話をしていた。
「カギ閉め虫ってどこから湧くんですかねえ」
「知んないよ。あたいは開けるほうの専門家で閉めることに興味はないんだ」
子供のような背丈の女性は、見た目通り子供のような声でそう答えた。
ああ、あの人がハーフリングって人種だ。
「なに言ってるんですか、リリーマリアさん。リリーマリアさんの錠前はとても精密にできていて、ヘアピンを突っ込まれて開けられることもなくなりましたよ」
「はん、ヘアピンごときで開くカギなんてオモチャさね。……ほら開いた」
がちゃり、と重い音がして、食糧庫の鍵が開いた。
「ありがとうございます。これで夕飯が作れます。これ代金です」
「まいど。……ところでさ、アウルム人のおひい様ってのはどんなだい? 面倒みることになったんだろ、クリザンテーモ公爵家のお嬢さんを」
ハーフリングの女性――リリーマリアと言うらしい――は、好奇心全開の顔でマクシミリアンにそう訊ねた。マクシミリアンはうーんと、と考え込んだ。
「そうですね……おそらく、一般的なアウルム人の美醜の」
自分の体がびくりとこわばり、足がすくむのを感じた。
ダーリアは急いでその場を離れた。マクシミリアンが悪口を言うとは思えないが、この文脈で言うなら絶対に悪口になると思ったのだ。
部屋に戻ってきた。
息が上がっている。
木靴を脱ぐ。足がこすれて傷になっている。
しょせんマクシミリアンも人なのだ。
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