ままならぬ令嬢、辺境で生き直す
金澤流都
1 ギプス村
ダーリアは死んでしまおうと思った。それで城の窓から身を投げた。
どこからどう考えても助からない、城の四階から身を投げたのだから、目を覚ましたときそこは天国、ないし地獄である、と考えた。
ぼやける目で見たものは、白金の髪に灰色の目をした僧侶だった。ダーリアは生まれてこのかた、アウルム王国の中央部である旧アウルム王国から出たことがなく、こんな色合いの人間がいるのだろうか、と思った。
そうか、この人は天国ないし地獄で待ち構えていた神様か。
ダーリアはかすむ頭でそう考えた。なにやら眠りの魔法をかけられていたらしく、脳髄にしびれを感じる。
「大丈夫ですか」
神様の声は思いのほか野太くて、なおかつ優しい声であった。
「女学校では、古代の豊穣の女神の像に似ていると言われて。家に帰ればお姉様と比べられて。婚約者にはあんなひどいことを言われて。わたしの行くところなんてどこにもないのですわ。だから死んでやったのですわ! 同じ地獄なら死んだほうがマシだわ!」
神様はふうむ、と考え込んだ。
「大丈夫ですよ。ここにはあなたが生きていても悪口を言うひとなんていませんよ。僕だってこの顔ですから」
ダーリアはぼやける目をしぼる。眼鏡はどこにいったのだろう。神様の顔には、大きなアザがあるようだった。
それを認識して、次第にダーリアは状況を理解しはじめた。
「……あなたはどなた? ここはどこ? どうしてわたしは生きているの? ここはあの世ではないの? あなたは神様ではないの?」
「まあ結論から言えば神様ではありません。僕はマクシミリアンと申します」
「マクシミリアン……ここはカリュプス属州?」
「はい。ここはカリュプス属州のギプス村、という村です。ハーフリングとドワーフが人口の九割。僕はそこに派遣されている武装僧侶です」
なんでカリュプス属州に自分がいるのか、ダーリアにはさっぱり分からない。属州に出向いたことなど一度もないし、ハーフリングやドワーフなんて教科書でしか知らない。
ダーリアは、なにがあってここにいるのか、順を追って考えることにした。
そうだ。姉のカテリーナの婚礼の席にいたんだ。さっぱり似合わないドレスを着せられて、靴擦れのするかかとの高い靴を履かされて、キラキラの重たい宝石をつけられて。
姉のカテリーナは第一王子のフランチェスコに嫁いだんだ。
純金の髪にサファイアの瞳の、存在自体が宝石のような姉だった。
まさに第一王子、ゆくゆくの王の妃にふさわしい、そういう姉だった。
婚礼にはたくさんの人が招かれていて、ダーリアはその客の一人であった。いままで、ずっと女学校を休んで自分の部屋に引きこもっていたのだが、王家の招きを断るわけにいかないと、似合わないドレスを着せられて連れ出されたのだ。
そしてその席で、ダーリアが女学校を出たらすぐ嫁がされる予定の、アキッレーオ第三王子がひどいことを言ったのだ。
「こんなチリチリ頭の狂ったデブと結婚できるか」と。
そうだ、ダーリアの髪はアウルム人にしてはくすんだ色のくせ毛だ。瞳は少し緑がかっている。そばかすもあるし、体型も運動が苦手でずっと本ばかり読んでいる子供だったので、すこしぽちゃっとしている。
「……死なせて。なんでわたしは生きているの? もう嫌。死なせて」
「大丈夫ですよ。ここにあなたを悪く言ったり嫌がらせをしたりする人はいません。女学校にもいかなくていいのです。アキッレーオ殿下に嫁ぐ必要もありません」
どうやらこのマクシミリアンという人物は、なにがあってダーリアが城の四階から身投げしたのか、誰かから聞かされているようだった。
「まずはなにか食べましょうか。お腹が空いているでしょう」
マクシミリアンがそう言うなり、ダーリアのお腹がぐうと鳴った。
「なにも食べたくありませんわ」
「そうはおっしゃいますが、お腹が鳴ったではないですか」
反論のしようがなかった。ダーリアは、マクシミリアンにどれくらい自分の精神を覗かれているのか、と不安になるが、そのマクシミリアンはなにか黒っぽいパンを持ってきた。
「パンとお茶です。あまりしっかりしたものだとお腹がビックリしますからね」
ダーリアはその、見たことがないほど黒いパンと、同じくほとんど真っ黒のジャム、なにやら濁ったお茶を見て、これは食べて大丈夫なのだろうか? と考えた。
「もしかして黒パンも黒スグリのジャムも初めてですか?」
「ええ。これはどうして黒いの?」
「黒麦という麦でできているからです。アウルム王国では小麦の白いパンが普通だそうですが、カリュプス属州では黒パンが普通です。小麦より栄養が豊富なんですよ」
「そう……なの?」
ダーリアはためらった。パンやジャムが真っ黒である、というだけでなく、常にどこからか狙われているような感覚と、幼いころから「毒見係が食べたもの以外食べてはいけない」と言われていたからだ。王侯に近い貴族は、毒殺を常に恐れている。
ましてや未来の王家の妃が、毒見なしで食事をするなどありえないことだった。
どうしよう。
ダーリアはしばしパンとジャムとお茶を見つめた。
「……ああ。毒見しましょうか? 毒見されていないものは怖いでしょう」
マクシミリアンがそう切り出して、この人が善意の人だとダーリアは理解した。
その善意の人が、パンに毒を盛るだろうか。屋敷にいたときは、料理人と毒見係が裏で繋がっているのではないか、と怯えていたのだが、この善意の人が毒を盛るとは、どうしても思えないのだった。
「だいじょうぶですわ。いただきます……」
真っ黒いジャムを真っ黒いパンに塗って口に押し込む。パン自体にしっかり味がある。黒スグリのジャムはきりっと甘いが酸味も強い。
お茶をすする。いままで飲んだことのない薬草の味がする。鼻に芳香が抜けていく。
端的に言ってとてもおいしい食事だった。
「……おいしい」
ダーリアはそう呟いた。その瞬間涙がこみ上げてきた。
悲しい涙とも安堵の涙ともつかない涙だった。
「そうなのですか」
「わたしは顔がマズいから学歴で補うために女学校に行かされていたのです。そんな人間が、アキッレーオ殿下と一緒になれるはずはないのに」
思い出したことを脈絡なくつぶやいても、マクシミリアンはうんうんと聞いてくれた。
「マクシミリアンさん、あなたもわたしをブサイクだと思うのでしょう?」
ふうむ、とマクシミリアンは考える。ベッドサイドの戸棚からダーリアの眼鏡を取り出す。
眼鏡をダーリアに渡しながら、マクシミリアンはダーリアの質問に答えた。
「僕はカリュプス人なので、アウルム人の美醜の感覚というものを文章でしか知りません」
「そう、なの?」
「ええ。だから僕には、ダーリアさんが美人かそうでないかは分からないのです」
ダーリアは眼鏡をかけた。マクシミリアンの顔をはっきりと認識した。
全体的にごつい。とても男性的な顔つきだ。整った顔と言えないこともなさそうだが、アウルム人のダーリアにはカリュプス人の顔の良し悪しは分からない。
そしてマクシミリアンの顔には大きなアザがあった。
この人も、学校でいじめられたりしたのだろうか。
そう思ったら急に仲間のような気がしてきた。
「まずは少しずつ、ここの暮らしに慣れてみることをお勧めします。ぼろっちい昔の要塞ですが、ちゃんとお風呂もありますしトイレは水洗です。寒ければストーブだってあります」
「……わかり、ました」
「これがこのお部屋の鍵です。僕と顔を合わせたくなくなったら内鍵をかけて構いません。ダーリアさんは自由です」
「自由……」
急にそう言われても困る。
「あの。ここで、お医者にかかることはできますか?」
「……お医者、ですか」
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