Blue Horizon ―風の記憶―『夏の残響 ゼロ』

アタヲカオ

プロローグ 青の記憶

どうして——彼に、また会ってしまったんだ。


忘れようとしていたのに。

その瞳を思い出すたび、身体の奥が熱くなる。

理性なんて、もう効かない。

このまま壊れてしまいそうだ。


何もかもが嫌だった。

この世界も、この学校も、この家も。

そして、こんな自分も。


一糸まとわぬまま、鏡の前に立つ。

青白い肌が、夜の光を受けて冷たく光った。


ゆっくりと、シルクの衣を纏う。

爪先に桜色の雫を落とし、頬に淡い紅を差す。

まぶたには貝殻のような光を乗せ、細く黒いラインで瞳を縁取った。


そして、ルージュを引く。

それは——仮面を纏う儀式。


長い髪を梳く。

絹糸のように光沢を帯びた黒髪を結い上げ、

風にたなびくように整える。


鏡の向こうで、もう一人の自分が微笑んだ。

その微笑みは、誰よりも美しく、そして——儚かった。



2075年・秋。

街全体が見渡せる丘。崖の上に孤立して建つ、かつて庭だった廃墟の跡。何百年前からあるのかわからない一本のイチイの樹が、すべてを見守るように、今もそこに立っていた。


バイクを走らせ、逆光の中へ。

夕陽を背に、彼はその高台へ向かう。

今ではもう誰も来ない、彼だけの秘密の場所。


鉄と光、それに雨上がりのような——

懐かしい“記憶”の匂いがした。


その樹の下に、ひとりの少女が立っていた。

長い髪が光をすくい、枝の間を風が渡る。


彼は息を呑む。

「……君、ここで何してるの?」


少女は振り返った。

目が合った瞬間、胸の奥がざわつく。


「風を見てたの」


その声に、遠い記憶が震えた。


彼は知らない。

けれど、彼らの再会は偶然ではなかった。

——ノアが仕組んだ、微かな調律。


けれど、風の中で触れた指先のぬくもりだけは、

どんなアルゴリズムにも書かれていない。


少女は一瞬ためらい、

それから小さく頷いて、微笑んだ。


その笑みの瞬間——

風がまた、少しだけ色を変えた。

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