星読みの塔と沈黙の魔導書

@tatai22

では

序章

王都アステリアに聳え立つ「星読みの塔」は、その名の通り、天上の星々の動きを読み解き、国の行く末を占う神聖な場所として知られていた。理(ことわり)を司る魔法と、発展途上の蒸気機関の技術が混在するこの世界において、星読みの賢者がもたらす託宣は、未だ絶対的な影響力を持っていた。


その日、王宮に仕える若き調査官である僕、アレン・クロフォードは、重苦しい知らせを受けてその塔へと足を運んでいた。塔の主、エルミート賢者が死体で発見されたのだ。しかも、誰も出入りできないはずの最上階の自室で。


塔を取り巻く空気は、いつも以上に冷たく、静まり返っていた。衛兵たちが固く守るエントランスを抜け、螺旋階段をひたすらに登る。壁の窓から差し込む光が、空気中に舞う魔力の粒子をきらきらと照らし出していた。


「こちらです、アレン調査官」


最上階で僕を迎えたのは、塔の衛兵長であるゼノンだった。五十がらみの、実直さだけを鎧にしたような男だ。彼の顔には、長年仕えた主を失った悲しみと、事件の不可解さに対する困惑が色濃く浮かんでいた。


「状況は?」

「ご覧の通りです。今朝、賢者様が定刻になっても降りてこられなかったので、弟子であるリアナ殿が様子を見に来たところ、扉には内側から鍵が。何度呼びかけても返事がなく、やむなく魔法で鍵を破壊して中に入ると……賢者様はすでに」


ゼノンが示した先には、重厚な木の扉があった。魔法によって歪んだ鍵穴が痛々しい。部屋に足を踏み入れると、そこは書物と天球儀、そして星図が所狭しと並べられた賢者の私室兼書斎だった。中央の大きな机に突っ伏すようにして、エルミート賢者は息絶えていた。白く長い髭を蓄えた穏やかな顔は、苦悶とは無縁の、まるで眠っているかのような表情だった。


現場には僕とゼノンの他に、三人の人物がいた。

発見者である、賢者の弟子リアナ。まだ若いが、その瞳には才能と野心が宿っている。師の死を悲しむ素振りを見せつつも、その目は冷静に部屋の隅々までを観察していた。

そしてもう一人は、王宮から派遣されている魔法研究者のカイ。古代魔法の研究のために塔に通っていた男で、痩身の神経質そうな男だ。彼は腕を組み、忌々しげに賢者の亡骸を眺めている。


僕は遺体に近づき、慎重に観察した。外傷はない。毒物を使ったような痕跡もない。王宮から来た魔導医師は、死因を「強力な魔法による心臓停止」と断定していた。しかし、奇妙なことに、これほど強力な魔法が使われたにしては、現場に魔力の残滓がほとんどないのだ。まるで、魔法そのものが内側から発生したかのようだった。


そして、何よりも不可解なのが、この部屋が完全な密室であったという事実だ。扉は内側から閂(かんぬき)がかけられていた。唯一の窓も、固く施錠されている。物理的な侵入の痕跡はどこにもない。


「外部からこれほどの魔法を行使するのは不可能です」とカイが言った。「この塔は古代の結界で守られている。許可なく強力な魔法を使おうとすれば、即座に弾かれます」


つまり、犯行は内部から行われたことになる。しかし、どうやって? 犯人はどうやってこの密室を作り出し、そして消えたのか。


僕の視線は、賢者がその手に触れていた一冊の古びた魔導書に注がれた。豪奢な装飾が施されたその本は、開かれたまま机に置かれている。だが、そのページはインクの染み一つない、完全な白紙だった。


容疑者たちの証言

僕は関係者三人を階下の応接室に集め、一人ずつ話を聞くことにした。


最初に応じたのは、弟子のリアナだった。彼女は気丈にも涙を堪え、澄んだ声で話し始めた。

「師は……エルミート様は、ここ数日、何かに怯えておられるようでした。『星の配置が不吉だ。招かれざる客が塔を訪れる』と。昨夜も、ご自分の部屋に籠られる前に、『今夜は誰とも会わぬ。決して部屋を覗いてはならぬ』と、私に固く言い渡されました」

「昨夜、何か変わったことは?」

「いいえ、特には。私は自室で魔法の訓練をしておりました。物音ひとつ聞こえませんでした」

リアナの証言からは、賢者が何者かの来訪を予期し、警戒していたことが窺える。彼女自身は、師の後継者の座を最も渇望していた人物だ。師が死ねば、その座は最も彼女に近くなる。動機は十分にあった。


次に話を聞いたのは、衛兵長のゼノンだ。

「賢者様からは、ここ数日、塔の警備を強化するよう言われておりました。『特に、研究者のカイ殿には注意を払え』と。昨夜は、私も含め衛兵は交代で塔の入り口を警備しておりましたが、誰も通しておりません。もちろん、カイ殿もです」

「カイ研究者が、何か問題を起こしたのか?」

「さあ……。ただ、賢者様とカイ殿は、古代魔法の研究方針を巡って、度々口論になっておられました。カイ殿は、より実践的な魔法の再現を急ぎ、賢者様は知識の独占を望んでおられるように見えました」

ゼノンの証言は、カイへの疑いを深めるものだった。長年賢者に仕えてきた彼の忠誠心は本物だろう。だが、その実直さが、何かを見過ごさせてしまった可能性も否定できない。


最後に、カイが不機嫌そうな顔で椅子に座った。

「馬鹿馬鹿しい。私が賢者を殺すだと? 動機ならあるさ。あの老人は、貴重な古代の知識を自分のためだけに独占していた。人類の発展のために共有されるべきだという私の主張に、全く耳を貸さなかった。だが、殺しはしない。私は研究者だ、人殺しではない」

「昨夜のアリバイは?」

「王宮の研究所にいた。一人でな。証明はできんが、それが事実だ」

カイのアリバイは曖昧だった。そして、彼は賢者が持つ魔導書、特に古代の遺物に対して強い執着を見せていた。あの現場にあった白紙の魔導書も、彼の研究対象だったのかもしれない。


三者三様の証言。誰もが怪しく、誰もが犯行は不可能に見える。謎は深まるばかりだった。


沈黙の魔導書

僕は再び賢者の部屋に戻り、現場を再調査した。密室、魔力の残滓がない魔法による死、そして白紙の魔導書。この三つの謎が、事件の核心であることは間違いなかった。


僕は、あの白紙の魔導書を改めて手に取った。ずしりと重い。表紙には、僕には読めない古代のルーン文字が刻まれている。ページをめくっても、やはりどこまでも純白だ。インクの痕跡どころか、紙そのものに何かを書き記した形跡すらない。


「それは『沈黙の魔導書』と呼ばれるものです」


背後から声をかけたのは、いつの間にか部屋に入ってきていたリアナだった。

「師が最も大切にされていた魔導書の一つです。特定の魔力を持つ者が、特定の呪文を唱えなければ、その叡智は決して姿を現さないと言われています」

「君は、その呪文を知っているのか?」

「いいえ。師は誰にも教えてはくださいませんでした。ただ、こうも言っておられました。『この本に触れる者は、相応の覚悟と対価を支払わねばならない』と」


対価。その言葉が、僕の頭の中で引っかかった。

僕は王宮の書庫吏に連絡を取り、この「沈黙の魔導書」について至急調べるよう依頼した。数時間後、もたらされた報告は衝撃的なものだった。


その魔導書は、古代文明の遺物であり、知識を開示する代償として、読者の生命力をわずかに吸収する呪いがかけられているというのだ。通常であれば、それは疲労を感じる程度のごく微々たるもの。しかし、もしその呪いを何らかの方法で「増幅」させることができたとしたら?


心臓が大きく鼓動した。そうだ、これだ。これなら、全ての謎が繋がる。

犯人は、賢者を直接殺害したわけではない。事前に「沈黙の魔導書」にかけられた呪いを増幅させる別の魔法を仕掛けておいたのだ。そして、賢者が自らその魔導書を開き、ページに触れるように仕向けた。賢者は、何も知らずに死の罠に触れ、増幅された呪いによって生命力を急激に奪われ、心臓が停止した。


これならば、部屋が密室である必要はない。犯人は事前に細工をするだけでよく、犯行の瞬間に現場にいる必要はないのだ。そして、賢者の体内から魔法的な事象が発生したように見えることにも説明がつく。魔力の残滓がほとんどなかったのは、呪いが賢者の生命力そのものをエネルギーとして発動したからだ。


だが、誰がそんなことを? 古代の呪いを増幅させるなどという高度な魔法を扱えるのは、ごく限られた人間だけだ。


僕の脳裏に、痩身の研究者の姿が浮かんだ。


真実の解明

僕は再び三人を賢者の部屋に集めた。窓の外は、すでにアステリアの街を蒼い月の光が照らし始めている。


「事件の真相が分かりました」


僕は静かに切り出した。三人の視線が僕に集中する。


「エルミート賢者は、誰かに殺害されたのではありません。正確に言えば、事故に見せかけて殺害されたのです。犯人が使った凶器は、この『沈黙の魔導書』です」


僕は机の上の白紙の魔導書を指差した。


「この本には、読者の生命力を吸い取る呪いがかけられています。犯人はその呪いを、別の魔法で何百倍にも増幅させた。賢者はそうとは知らずにこの本を開き、ページに触れた瞬間、生命力を根こそぎ奪われて絶命した。これが、この密室殺人のトリックです」


部屋に沈黙が落ちる。リアナが息を呑み、ゼノンが固唾を飲んで僕の次の言葉を待っていた。


「このような高度な古代呪詛を扱えるのは、並の魔術師ではありません。古代魔法の知識に深く精通し、賢者がこの魔導書を読むタイミングを正確に予測できた人物……。カイ研究者、あなたしかいませんね?」


僕の視線を受けたカイは、一瞬肩を震わせたが、すぐに嘲るような笑みを浮かべた。

「面白い推理だな、調査官殿。だが、証拠は? 私がそんなことをしたという証拠がどこにある?」

「証拠はあります。王宮書庫の記録によれば、あなたは一週間前、『古代呪詛の増幅に関する禁断の文献』を閲覧しています。おそらく、この犯行計画のためでしょう」

「文献を読んだだけでは証拠にならん」

「では、これはどうですかな」


僕はカイの右手に歩み寄り、その指先を掴んだ。彼は抵抗しようとしたが、隣にいたゼノンがその肩をがっしりと押さえた。


「強力な呪いを魔導書に仕掛ける際、術者にも微細な反動があるはずです。特に、生命力を扱うような危険な呪詛であればなおさら。あなたのその指先にある、小さな火傷のような痕……これは、呪詛が成功した際に生じた『魔力火傷』の痕跡ではありませんか?」


カイの顔から血の気が引いた。彼の指先には、言った通り、肉眼ではほとんど見えないほどの小さな痣のような痕が残っていた。それは、強力な魔力を行使した術者にのみ残る、不名誉な証だった。


観念したように、カイは崩れ落ちた。

「そうだ……私がやった。あの老人が、知識を独占し続けるからだ! あの魔導書に書かれた古代の力があれば、私は王宮一の研究者になれた。世界を変えることだってできたんだ! なのに、彼は頑なに私を拒んだ……」


カイの絶叫が、静かな塔に虚しく響いた。彼の歪んだ探究心が生み出した悲劇。知識は確かに力だが、それは人を幸せにするために使われてこそ意味がある。人の命を奪ってまで手に入れる知識など、呪いでしかない。


終章

カイは衛兵たちに連行されていった。残された部屋で、リアナが静かに涙を流していた。

「師は……カイ殿の才能を認めておられました。だからこそ、危険な知識に触れさせまいと、厳しく接しておられたのです。いずれは、その後継者としてカイ殿を指名するおつもりだったのかもしれないのに……」


彼女の言葉に、僕は何も返すことができなかった。すれ違ってしまった師弟の想いが、あまりにも悲しかった。


事件は解決した。だが、僕の心には晴れやかな達成感ではなく、むしろ一つの虚しさが残った。論理で割り切れることばかりではない。人の心の機微、欲望と後悔。それらが複雑に絡み合って、この世界は成り立っている。


塔を去る僕を、蒼い月が静かに見下ろしていた。まるで、エルミート賢者が天から僕たちを見守っているかのように。

リアナは、師の遺志を継ぎ、立派な星読みの賢者になるだろう。ゼノンは、これからもこの塔を守り続けるだろう。


そして僕は、また次の事件現場へと向かう。魔法と論理が交差するこの不可解で、だからこそ魅力的な世界で、真実という名のささやかな光を探し求めて。

星読みの塔に、再び静寂が戻ろうとしていた。

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