第4話「聖域のコーヒーブレイク」
## プロジェクト:ペガサス
### エピローグ「聖域のコーヒーブレイク」
あれから数ヶ月。
サイバー・フロンティアのオフィスは、完全に変貌を遂げていた。
壁面はツタやシダ植物で覆われ、窓から差し込む光は緑色を帯びて、まるでアマゾンの奥地へと迷い込んだかのようだ。そして、そのジャングルの各所から、「ウィィィン…」というモーター音と、「ゴウン…キィィ…」というチタン合金の木馬がきしむ音が不気Eに響き渡っている。
男性社員たちは、皆すっかり精悍な顔つきになっていた。いや、正確には、疲労と絶望で頬がこけ、目が窪んだだけなのだが、CEOの一条院麗華はそれを「野生を取り戻した雄(オス)の輝き」と評した。彼らはもはや一流のITエンジニアであると同時に、人力発電所の優秀な労働者でもあった。特に営業部の若手、田中は「月間発電量トップ」として表彰され、賞品として高級プロテインを授与されていた。
新田誠も、この狂った環境に順応しつつあった。揺れながらコーディングする神業を習得し、その体幹はアスリート並みに鍛え上げられた。もはや、普通の椅子に座ると逆にバランスを崩してしまうほど、体は完全に"ペガサス仕様"に最適化されていた。
しかし、この緑の地獄には、一つだけ不可解な点があった。
それは、女性社員たちの存在だ。
経理部の鈴木さん、人事部の高橋さん、そして新田が密かに想いを寄せるデザイナーの早乙女さん。彼女たちのデスクには、ペガサスがない。以前と変わらず、快適そうなクッションのついたオフィスチェアに座り、優雅に仕事をしているのだ。
彼女たちは発電ノルマを課されることもなく、山田部長の「ダイナミック・パトロール」の対象からも外されている。時折、コーヒーを片手に、必死に木馬を揺らす男性社員たちを憐れむような、あるいは動物園の珍獣でも見るかのような目で見つめているだけだった。
なぜだ?
この理不尽な差は、一体何なんだ?
新田の疑問は、日に日に大きくなっていった。
ある日の昼休み、新田は勇気を振り絞り、休憩室で談笑していた早乙女さんに声をかけた。
「あの、早乙女さん…ちょっと聞いてもいいですか?」
「なあに、新田君?あ、お疲れ様。今日の発電量、すごいじゃない」
「あ、ありがとうございます…。それより、ずっと思ってたんですけど…」
新田は意を決して、核心を突いた。
「**なんで、女性社員には木馬はないんですか?**」
その瞬間、休憩室の空気が凍った。
早乙女さんは、きょとんとした顔で新田を見つめ、隣にいた経理の鈴木さんと顔を見合わせた。そして、次の瞬間、二人は同時に、こらえきれないといった様子で吹き出した。
「え、新田君、本気で言ってるの?」
「うそでしょ、気づいてなかったの?」
クスクスと笑いながら、早乙女さんは信じられないものを見るような目で新田に言った。それは、あまりにも残酷で、あまりにも単純な真実だった。
「**当たり前じゃない**」
早乙女さんは、まるで世界の常識を語るかのように、こともなげに続けた。
「麗華CEOが言ってたわよ。『**淑女(レディ)のお尻を、あんな硬い木馬や冷たいチタンに乗せるなんて、野蛮なことは絶対にさせない。男性社員? 彼らは騎士(ナイト)なのだから、姫を守るために馬にまたがり、汗を流すのが当然の務めでしょう?**』って」
新田は、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
プロジェクト:ペガサス。
ダイナミックな発想。
イノベーションの揺りかご。
カーボンニュートラル。
それら全ての美辞麗句の裏にあったのは、ただ一つ。
新CEOの、中世ヨーロッパの物語から飛び出してきたかのような、壮大で、時代錯誤で、恐ろしく純粋な**「お姫様思想」**だったのだ。
俺たちは、騎士だったのか。
姫(女性社員とCEO)が快適に過ごす城(オフィス)の電力を賄うため、来る日も来る日も馬(チタン製木馬)にまたがり、槍(キーボード)を振るう、ただの騎士だったのだ。
全てを悟った新田は、もはや笑うしかなかった。
「は、はは……。当たり前、か……」
乾いた笑い声が、ジャングルと化したオフィスに虚しく響く。
その日の午後、新田は無心で木馬を揺らした。モニターの発電量がぐんぐん上がっていく。
もう何も考えまい。俺は騎士なのだ。お姫様たちのために、今日もひたすら揺れ続けるのだ。
ふと顔を上げると、窓際のオフィスチェアで優雅にハーブティーを飲む早乙女さんと目が合った。彼女は、にこりと微笑み、小さく手を振ってくれた。その笑顔は、まるで遠い城のバルコニーから騎士に声援を送る姫君のように、美しく、そしてどこまでも残酷だった。
サイバー・フロンティアという名の王国で、騎士たちの長い戦いは、まだ終わらない。
*IT企業、インテリアと勘違いされがち 志乃原七海 @09093495732p
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