第2話「ダイナミック・パトロール」
## プロジェクト:ペガサス
### 第2話「ダイナミック・パトロール」
「プロジェクト:ペガサス」が始動して3時間が経過した。
サイバー・フロンティアのオフィスは、もはやIT企業とは思えない、奇妙なリズムと静寂に支配されていた。ギシッ…ギシッ…という木馬のきしむ音だけが、まるで巨大な揺りかごの中で奏でられる不気味な子守唄のように、延々と続いている。
新田誠は、乗り物酔いと尾てい骨の痛みで、すでに集中力の限界を迎えていた。デバッグ作業で細かいコードを追うたびに、揺れる視界が脳を直接揺さぶり、軽い吐き気を催す。
隣の席の佐藤先輩は、とうとう揺れることを諦めたらしい。木馬にまたがったまま、まるで石像のように静止するという「禅モード」に入っていたが、その顔色は紙のように白かった。
その時だった。
フロアのドアが静かに開き、山田部長がぬっと姿を現した。彼はCEO・一条院麗華の思想に心酔し、「ダイナミック推進課」なる新設部署のトップに就任した男だ。手にしたタブレットを一瞥すると、満足げな笑みを浮かべ、フロアの巡回を始めた。獲物を探す猛禽類のような、静かで、しかし威圧的な歩みだ。
「諸君、揺れているかね?」
山田部長の声が、不気味に響き渡る。
「CEOは仰っている。『揺らぎこそが創造の源泉。停滞は、すなわち死である』と!」
その獰猛な視線が、禅モードに入っていた佐藤先輩を捉えた。
「佐藤君」
「は、はいっ!」
「君のペガサスが、泣いているぞ」
次の瞬間、山田部長は無言で佐藤先輩の木馬の後部に手をかけた。そして、鬼のような形相で、渾身の力を込めて木馬を前後に激しく揺さぶり始めたのだ。
「うわっ、ちょ、部長!あああ!」
佐藤先輩の悲鳴がオフィスに木霊する。木馬は狂ったメトロノームのように激しく揺れ、彼は必死にその首にしがみついた。デスクの上のペン立てが倒れ、飲みかけのコーヒーがカタカタと不吉な音を立てる。
数秒後、嵐が過ぎ去ったかのように部長が手を離すと、佐藤先輩はぐったりと木馬の上で魂が抜けたようになっていた。
山田部長は満足げに頷くと、次の獲物を探し始める。それが、恐怖の「ダイナミック・パトロール」の始まりだった。
揺れが甘い者、止まっている者を見つけては、問答無用で「ダイナミック・ブースト」と称する揺さぶりをかけていく。フロアは阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
新田はバレないよう、必死に体を揺らし始めた。だが、その動きは恐怖でぎこちなく、どこか不自然だ。
案の定、山田部長の革靴が新田のデスクの前で止まった。
「新田君」
「は、はい!揺れております!ダイナミックに!」
「嘘をつけ。君の揺れからは、既成概念にしがみつく恐怖しか感じられん。CEOは言われたぞ、『発想を解き放て!体幹で風を感じろ!』と!」
言うが早いか、山田部長の大きな手が、新田の木馬をがっしりと捉えた。
視界が、ぐわん、ぐわんと激しく上下する。キーボードを打つどころか、モニターに何が映っているかすら認識できない。脳がシェイクされ、尾てい骨が木製のシートにゴツゴツと容赦なく打ち付けられる。これはイノベーションではない。ただのパワハラだ。
「さあ!何か新しいアルゴリズムは浮かんだかね!」
「む、無理です!何も…うぷっ…考えられません!」
ようやく解放された時、新田は完全にグロッキー状態になっていた。
山田部長は、そんな部下たちの惨状を意にも介さず、パトロールを続ける。そして、ついにフロアの王者の前にたどり着いた。営業部の鈴木課長だ。
彼はこの狂った状況に唯一順応し、自ら楽しむかのように木馬を大きく揺らし続けていた。
「おお、鈴木課長!素晴らしいダイナミズムだ!君こそが我々の目指すペガサス・ライダーの鑑だ!」
「押忍!部長!思考が加速していくのを感じます!ビッグウェーブが来てます!」
「よろしい!ならば私が、君をさらなる高みへと連れていこう!」
山田部長はニヤリと笑うと、鈴木課長の木馬に加勢した。二人の力が合わさり、木馬はもはや前後の揺れというより、ロデオマシンのような激しい動きを見せ始めた。
「おおお!見える!見えますぞ部長!新しいマーケットの水平線が!」
「そうだ、その調子だ!行け!空を駆けろ、鈴木ーっ!」
その時だった。
**バキッ!!!**
鈍い、木が裂けるような音がオフィスに響き渡った。
常軌を逸した揺れに耐えきれず、木馬の脚の付け根が限界を超えたのだ。次の瞬間、鈴木課長は木馬もろとも、スローモーションのように横へと思いっきり倒れ込んだ。
**ゴッシャアアアン!!!**
凄まじい音と共に、鈴木課長とペガサスの残骸が、隣のパーティションに激突して止まった。
フロアは水を打ったように静まり返る。全員の視線が、床に伸びる鈴木課長に注がれた。
山田部長は、一瞬だけ固まった。
が、すぐに「ハッ!」と我に返ると、フロア全体を見渡し、威厳たっぷりに言い放った。
「……見たまえ、諸君。これこそが、CEOの仰る真の『創造的破壊』だ!」
いや、破壊されたのは木馬と鈴木課長の尊厳と、俺たちの会社の未来だろ。
新田は、激痛の走る尾てい骨をさすりながら、心の中で静かにツッコんだ。窓の外の青空が、やけに遠く感じられた。
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