第2話 ヤンキー先輩未有は秀才だった

 節奈は目を丸くしながらも、納得したようにうなづきながら聞いていた。

「あっ、言い遅れた。私、塚本未有っていうの。よろしく」 

ヤンキー先輩は、いきなりセーラー服のポケットから取り出したものは、なんと、数学の85点のテスト答案だった。

「うわっ、先輩、頭いいですね。どこの塾に通ってるんですか?」

「甘いよ。私らヤンキーは塾に通う余裕などないんだ。

 だから、丸暗記しかない。IQが低くても、勉強は時間さえ確保されれば、報われるのさ。

 節奈って言ったね。私塚本未有が、これから家庭教師してあげてもいいよ」

 うわっ、ラッキーといいたいところだが、節奈は数学いや算数からさかのぼって基礎学力ができていない。

 まあ、分数いやそれ以上の九九のできない文系の大学生が存在するというのだから、無理もない話かもしれないが。

 面倒くさそう。でも今のうちに勉強しといた方が、年取ってからよりも苦労がなさそう。

「節奈、今一瞬うざいなんて思っただろう。顔に書いてあるよ。

 ひょっとして、分数の計算もあやういんじゃないか?」

 口をつぐむしかなかった節奈に対して、塚本未有は言った。

「図星だろう。ここで反抗的な態度をとると、ただの無能ヤンキーになってしまう。今から私が教えてやるよ。明日も来なよ」

 妙な風向きになってきた。


 塚本未有を含むヤンキー三人組は、なんと三人とも成績は中の上といったところである。

 だから目立つ行動をしない限りは、教師も何もいわない。

 まわりからも、秀才不良という妙な陰口を叩かれているだけである。

 節奈の感覚では、ヤンキー=勉強嫌いという図式があったので、とまどいを感じざるを得なかった。


 一度、担任が講壇で、同じクラスのイケメン不良を横に並ばせ、発した言葉。

「今から女子生徒全員に告ぐ。この男とは近づくな。

 なにを言われてもただ黙っておれ。

 二言以上の会話をすると、妊娠するぞ」

 クラスの女子からは失笑がもれた。と同時に信じられない光景が展開した。

 なんとイケメン不良は、歪んだ顔つきのまま、ズボンのポケットからライターを取り出し、担任の前髪にライターの火をつけようとしたのだった。

 クラスでうわっという驚嘆の後、未有は前に出て、講壇でイケメン不良を後ろから羽交い絞めにして、止めたのだった。

 そのおかげで、ことなきを得た。

 イケメン不良は、頭をかいて席に戻ったあと、未有にお礼を言った。

「サンキュー、オレってすぐ人の言葉をうのみにして、頭に血が昇るとなにをしだすかわからないんだ。

 だから、不良なんて言われるんだけどね。

 これからは、いったん冷静になって自分の頭で考えてみることにするよ」

 未有はうなづきながら言った。

「人間は考える葦であるっていうのは、パスカルの言葉だけど、なんでも自分で考えるようにした方がいいよ。だなーんて、私にもあてはまることだけどね」

 教師はバツの悪そうな顔をして

「今のは、大阪の新喜劇の真似をしたまでです。お許し下さい」と頭を下げた。

 あと一歩間違えれば、暴力事件に発展するところが、未有の一言によってことなきを得たのだった。


 約束通り節奈は午後四時、未有との待ち合わせの場所に行った。

「今からアジトに行くよ」

 未有先輩に連れられて行った場所は、駅のすぐ近くのワンルームマンションだった。

 ロックナンバーを押したら、自動ドアが開いた。

 近くの自動販売機の前で、中年男女が言い争いをしている。

「ぐだぐだ言う前に、貸した金返しな」

「うるせえ、このあばずれ女が! これでもくれてやる」

 そう言って、中年男は競馬の外れ馬券を散らかした。

 そのとき、管理人らしきおじさんがやってきて

「なにしているんですか。ケンカなら別の場所で願いますよ」

と言って、ほうきで外れ馬券を掃き始めた。


「まったく、いつものことだよ」

 未有先輩は、ため息をついた。

 廊下を見ると、ところどころに、風俗ビラやホストの名刺が散らかっている。

 どうやらこのマンションは、水商売系が多数を占めるらしい。

 いわゆる、水商売専属寮なのだろうか?


「入んなよ」

 未有先輩は、鍵を開けて部屋に案内してくれた。

 なんと、はく製の犬が玄関先に飾られている。

 六畳のワンルームだが、本棚にはあらゆるジャンルの本がある。

 法律、医学、政治経済、数冊のマンガ・・

 読書家でもあり、勉強家だな。まるでコメンテイターみたいだ。

 未有先輩は、冷蔵庫から、ペットボトルのお茶を出してくれた。


「さあ、勉強の前の水分補給だよ。あっ、あとでトイレに行ってもいいよ」

 未有先輩は、面倒見のいい頼れる先輩かもしれない。

「頂きます」

と言いながら飲み始めると、未有先輩はいきなり小学校四年の算数のドリルとチラシを持ってきた。

「さあ、今から勉強を始めるよ。ノートはもったいないからな。

 このチラシの裏がノート代わりだ。せいぜい、何回も書いて覚えるんだよ。

 どんなことでも、慣れて習慣化してくると、それが好きになってくるものだよ」

 節奈は、分数から始めた。

 しかし、ドリルを読んでも最初はわからない。

「あのね、足し算と引き算の場合は、分母を同じにして、分子で計算するんだよ」

「わかりました。4分の3+2分の1=4分の3+4分の2=4分の4である1が答えですね」

 この調子である。

 今や未有先輩は、節奈の専属家庭教師のようなものだ。

 未有先輩は言った。

「さあ、これからはノルマを課すよ。このドリルを一か月以内にやり終えなさい」

 エーッ!? いくら何でも小学校四年の算数のドリルを一か月以内にやり終えるのはちょっときついなあ。

「私たち、秀才不良は、やるときは睡眠時間をさいてでも根性で頑張るんだよ。

 この常識外れの根性と度胸こそが、いい意味での不良と呼ばれる所以だよ」

「はあい」

 これが教師のいいつけだったら、真っ向から反抗していたはずなのに、なぜか未有先輩の命令には、素直に服従する気になった。


「あのう、こんなことをしてもらっていいんでしょうか。

 これ、お礼のしるしに食べて下さい」

 ある日、節奈はみかんとリンゴをもって未有先輩の家を訪れた。

「えっ、いいの? さっそく明日の朝ごはんにするよ。ラッキー」

 未有先輩の朝ごはんは、みかんとリンゴだけなのかな?

 一緒に食べるとまでいかないけど、つくってくれる家族はいないの?


「今から私の身の上話をしようか?

 まあ、興味がなかったらその時点でやめるけどね」

 いつになく未有先輩のしみじみとした演歌調の口調に、節奈は無言のままである。

「もう気づいただろう。私は一人暮らしなんだ。親は半分いないようなものだよ」

 えっ、半分はいないということは、生活を毎日共にしていないという意味かな?

「母ひとり、子ひとりの家庭でね、おかんはうどん屋を経営してるんだ」

「すごいじゃない。オーナーさんですね」

「まあ、雇われ店長みたいなものよ。本当のオーナーは別にいるんだけどね」

 なるほど。フランチャイズ店みたいなものかな?


 節奈は、以前から疑問だったことを未有に聞いてみた。

「未有先輩が言ってた「勉強できないヤンキーは、サロンパスや携帯カイロみたいに消耗し尽くされ、用済みになるとポイと捨てられるのがオチ」というのは、どういう意味ですか? 

 刑事ドラマのように、強盗や暴力など悪事に利用するために麻薬中毒にさせ、廃人になるとポイと捨てられるという意味ですか?」

 未有先輩は、急に遠くを見るような目で答えた。

「まあ、そういう意味もあるけどね。もっと広く大きな意味もあるよ」

 うーん、未有先輩の話は、なんだか複雑すぎてピンとこないなあ。

 やっぱりおかんの言う通り、私は世間知らずなのかな?

 節奈は、思わず首を傾げた。


 未有先輩との約束通り、節奈は一か月で小学校四年の算数ドリルをやり終えた。

 節奈は中学一年になってようやくわかった。

「やればできる。そう、私にも可能性はある」

 そう、あきらめてテキストから背を向けてはなにもできなくなってしまう。

 未有先輩のちょっぴり厳しい指導が続く。

「さあ、答え合わせをするよ」

 赤ボールペン片手に、未有先輩はパッパッパとすごいスピードで答え合わせを始める。

 ○のときはホッと安堵するが、×印のときはヒヤリとした神経が縮むような気分になる。

「節奈。小学校四年算数、総合点六十点、まだまだ伸びしろはあるよ」

 未有先輩が、チラシの裏に赤ボールペンで明記した。

 うーん、あと二十点はとらなきゃね。


 あれっ、こんな気分になったのは初めてである。

 やればできるという誇らしい気分になり、節奈は自分自身の変化にとまどっていた。

 今まで、テストの点数なんてそう気にしなかった。

 それより、興味のあることといえば、おいしいものを食べたり、テレビやユーチューブ、アイドルのことばかりだった。

 クラスでは自然にできたグループのなかでの、会話しかなかった。

 未有先輩の言葉が気になって仕方がない。

「勉強のできないヤンキーは、使い捨てカイロのように、利用されて捨てられるだけだよ」

 それって高額バイトにつられて、オレオレ詐欺の受け子募集にひっかかった人のことをいうのだろうか。

 節奈は、使い捨てカイロを使ったことはないが、一度おかんが遠足のとき、冷えないようにと、アルミの弁当箱の下に敷いてくれた。

 使い捨てカイロは、温度が常温に戻ると硬くなり、資源ゴミとして捨てるしか方法がなかったが、8時間は人の役にたっていることが事実である。

 使い捨てカイロ同様、私たちは少なくとも犯罪に悪用されなければいいが。


 やだあ、まっぴらごめんこうむります。ポイ捨て人生なんて。

 私は、大したことない人でしかないが、陽光に照らされたタンポポのように、小さな花を咲かせ、人に親しまれる存在でありたい。

 節奈は心に誓った。

 でも、その為には未有先輩の言う通り、勉強がいちばんの近道なのかな?


 私は未有先輩に呼び出された。

「節奈、あんたなかなか見どころがあるよ。私はあんたに賭けようと思う」

 えっ、私なんて何の取り柄もない、平凡以下の能力しかない子だよ。

「勉強方法、教えようか? ドリル一冊を丸暗記するんだよ」


 

 


 



 


 

 

 

 

 


 

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