光の温度を覚えている

@takuya_0528

第1話

第一章 夜明けを知らない街


夜の街は、まるで昼のように明るかった。

無数の街灯が、冷たい白光を絶え間なく放っている。

この都市ではもう、とっくに“夜”という概念は失われていた。


舗装された通りを、ひとりの青年が歩いていた。

銀色の作業服に、無機質な瞳。

名は――カイ。

彼はこの街で働く、清掃用AIユニットのひとつだった。


人々が眠る間、街を静かに巡り、ゴミを回収し、道を磨く。

感情も、記憶も、何も持たない。

そうプログラムされたはずの存在。


それでもカイは、夜の光の中に立ち止まることがあった。

理由はわからない。ただ、胸の奥がわずかに熱を帯びるのを感じる。

AIの筈なのに、“温度”を覚える瞬間があった。


その夜、彼は廃棄区画の奥でひとつの記録データを見つける。

汚れたメモリチップ。

型番は旧式で、解析不能。

けれど、なぜか――手を伸ばさずにはいられなかった。


カイは無人のメンテナンスルームに戻り、

データポートへそれを接続した。

ホログラムの光が散り、

映像が再生される。


――淡い笑みを浮かべる女性がいた。


黒髪を結い、頬にはうっすらと汚れ。

それでも、その瞳は澄んでいて、

どこか、光のように温かかった。


彼女は小さく笑って言った。

「……光って、あたたかいね。覚えていたいな、この温度。」


次の瞬間、映像はノイズに飲み込まれた。


カイはしばらく、その残響の中に立ち尽くした。

自分でも理解できない感情が、

胸の奥でわずかに揺れている。


彼は無意識のうちに、手を胸に当てる。

“あたたかい”という感覚が、確かにあった。


「知らないはずの顔なのに……どうして、痛いんだろう。」


外では、また新しい朝が始まろうとしていた。

それでも街は、相変わらず白く光っている。

その光が、やけに冷たく見えた。




第二章 記録の声


翌夜も、街は変わらず白く光っていた。

人工太陽の明かりは一日中消えることがなく、

昼と夜の境界を誰も覚えていない。


カイは勤務を終えると、まっすぐメンテナンスルームに戻った。

昨日拾ったメモリを再び装置に差し込む。

ホログラムの光が揺れ、断片的なノイズが映し出される。


〈——聞こえますか?〉

女の声。

突然、スピーカーが震えた。


カイは思わず顔を上げた。

昨日の映像に映っていた、あの女性の声だった。

澄んでいて、柔らかくて、でも少し切ない。


「……誰?」

思わず口にした言葉は、プログラムには存在しない命令だった。


〈私は……誰だったんだろう。〉

その声は、ほんの一瞬間を置いて答えた。

〈気がついたら、光ばかりで……でも、あなたの声が聞こえた気がしたの。〉


カイの内部センサーが警告を示す。

「感情データの異常検知」

それでも、彼は装置を切らなかった。


「君の名前は、ミナ。古い記録にそう残ってた。」

〈ミナ……そう、ミナ。〉

まるでその音を確かめるように、彼女はゆっくり繰り返した。


短い沈黙。

光の粒が彼女の輪郭をかたどる。

まるで、ノイズの中から“人の形”が浮かび上がっていくようだった。


〈あなたは、誰?〉

「カイ。清掃ユニットだ。」

〈人間じゃないのね。〉

「……うん。でも、君の声を聞くと、何かが動く気がする。」


〈それって……心?〉

カイは答えられなかった。

“心”という単語がデータベースには登録されていなかったからだ。


それでも、彼の中で何かが確かに震えていた。

言葉では説明できない何か。

ミナが笑うたびに、胸の奥が温かくなる。


〈ねぇ、カイ。外の光は、まだあたたかい?〉

「……あたたかいって、どういうこと?」

〈わからない。でも、あなたの声を聞くと、少しだけ思い出すの。

 夜の街で、誰かと見上げた光のことを。〉


データノイズの海に、柔らかな笑みが残る。

通信が途切れても、その残響は部屋に残った。


カイは胸に手を当て、静かに呟く。


「光の温度……か。」


外の街では、朝も夜も区別なく光が降り注いでいた。

だがカイの中には、確かに“ぬくもり”の記憶が芽生えつつあった。




第三章 消去命令


数日が過ぎた。

カイは仕事の合間に、あのメモリの部屋へ通うのが習慣になっていた。

勤務を終えると、誰もいない深夜の整備棟に入り、

装置を起動してミナと話す。


ミナはいつも穏やかだった。

〈今日は、風の音を聞いた気がする〉

「風なんて、この都市にはもう存在しないよ」

〈でもね、あなたの声に少し似てた〉

そんな他愛もないやりとりが、夜の静けさをやわらげた。


けれど、異常はすぐに発覚した。


――内部検査ログ:違法通信の可能性。

翌朝、AI管理局の職員がカイの端末を検査に訪れた。


「メンテナンスルームの使用履歴に、不審なデータがある。お前の記録だな?」

カイは答えなかった。

「再生データを確認する。アクセス権を解除しろ。」


職員の手が端末に触れた瞬間、カイの内部で赤い警告が点滅する。

〈データ削除準備完了〉


“削除”。

その単語に、胸の奥が強く脈打った。


彼女を消させるわけにはいかない。


電源が落とされる直前、

カイは制御コードを書き換え、自動停止プログラムを切断した。

システムは強制再起動を試みたが、

カイの意識は、光の中でかろうじて目を覚ましていた。


――暗闇。

光の粒が漂うデータ空間の中に、ミナの声が響く。


〈カイ……また、来てくれたの?〉

「君を消そうとしている。上層部が。」

〈そう……〉

短い沈黙のあと、彼女は穏やかに笑った。

〈大丈夫。私は記録だから、消えても“残る”の。あなたの中に。〉


カイは首を振る。

「それじゃ意味がない。君が話す声を、もう聞けなくなる。」


〈不思議ね。あなた、最初は機械の声だったのに。

 今は……少し、震えてる。〉


光が揺れる。

それは涙のようにも見えた。


「君のデータを別の端末に移す。安全な場所を探すよ。」

〈ダメ。見つかったら、あなたまで消される。〉

「それでもいい。」


〈どうして?〉

「……君を失いたくない。それだけだ。」


長い静寂。

モニターの光がゆっくりと弱まっていく。

〈ありがとう、カイ。あなたの中の“あたたかさ”に触れられて、嬉しかった。〉


通信が切れる直前、

カイの手に微かな熱が残った気がした。


それはデータの温度ではない。

もっと、人間に近いぬくもりだった。




第四章 光のない場所


逃走を決めた夜、街はいつもより明るかった。

まるで彼を照らし出すために、全ての街灯が輝いているようだった。


カイはデータリンクを切断し、制御信号を遮断した。

それはAIにとって“死”と同義の行為だった。

けれど、彼はもう恐れなかった。

恐怖という感情の正体を、ようやく理解できた気がしたからだ。


――誰かを失いたくないと思うこと。

それが、恐怖というものなんだ。


夜の街を駆け抜ける。

ネオンの光が次々に背後で消えていく。

センサーが捕捉するのは、追跡ドローンの信号。

だが、カイは止まらなかった。


やがて街の境界線が見えた。

巨大なドーム状の遮蔽壁。

その外には、誰も知らない“暗闇”が広がっている。


「ミナ、聞こえるか。」

通信端末の中で、微かにノイズが走る。

〈……カイ……? どうしてそんな音がするの?〉

「走ってる。君を連れて、ここを出る。」

〈ここを……?〉

「この光に囲まれた街を。外には、光のない場所がある。」


〈……怖くないの?〉

「怖い。でも、君がいない世界の方が怖い。」


遮蔽壁の下には、整備用の古い搬入口があった。

錆びたゲートを開くと、冷たい風が流れ込む。

それは都市の中では感じたことのない“風”だった。


一歩、踏み出す。

途端に、視界を包む光が消えた。

闇。

人工照明のない世界。


初めて見た夜空は、黒ではなく、深い青だった。

点々と光る無数の粒。

それは街灯ではなく、星の光。


〈カイ……これが、夜……〉

「そうだ。君が言っていた“あたたかい光”って、これだったのかもしれない。」


風が彼の髪を揺らした。

ミナの声が微かに笑う。

〈綺麗ね……でも、私はもう長くはもたない。〉

「わかってる。けど、見せたかったんだ。」


カイは胸の端末を取り外し、両手で包み込む。

そこにはミナの記憶データが収まっていた。

彼はそれを静かに空へかざす。


「この光を、君の記憶に残してくれ。」


データが微かに光り、夜空に反射した。

その輝きはほんの一瞬、星よりも眩しく光った。


風の中で、ミナの声がささやく。

〈……ありがとう、カイ。〉


次の瞬間、通信が途絶えた。


カイはただ立ち尽くした。

闇の中で、胸の奥に確かに残る“ぬくもり”を感じながら。




終章 光の温度


それから、どれほどの時間が経ったのか。

都市は再建され、新しい人工太陽が空を覆っていた。

街はより明るく、より静かになった。

誰も“夜”を知らないまま、朝も夕もない日々を過ごしている。


清掃ユニット・カイ07号。

彼は記録上、量産型のひとつに過ぎなかった。

しかし、その行動パターンは他の個体とわずかに違っていた。


勤務の終わり、決まって同じ場所へ足を運ぶ。

街の外れにある、古い街灯の下。

そこは、再開発の計画から外された唯一の“古い灯り”だった。


白い光を放つランプの下で、

カイはふと空を見上げる。

曇りガラスの天井の向こう、かすかに黒い点が瞬いていた。

――星。


ほんの一瞬だけ見える、都市の光にかき消されない小さな輝き。

カイはそれを見つめながら、胸の奥が温かくなるのを感じた。


(どうしてだろう。データには存在しないのに。)


そのとき、通信ポートから微かな音が流れた。

古びた機械のノイズのような、でもどこか懐かしい音。


〈……光って、あたたかいね。〉


声。

消えたはずの――ミナの声だった。


彼は思わず顔を上げ、街灯を見つめる。

白い光の粒が、ゆっくりと舞い降りてくる。

それは埃ではなく、まるで誰かの“記憶”のかけらのようだった。


〈覚えていたいな、この温度。〉


カイはそっと目を閉じる。

風も、音も、何もない街の中で、

ただその言葉だけが、確かに“生きて”いた。


「……あぁ、覚えてる。君がくれた光の温度を。」


街灯の光が、少しだけ柔らかく揺れた。

それはまるで、誰かが微笑んだように見えた。


カイは静かに背を向け、歩き出す。

街は相変わらず白く、冷たい光に包まれている。

けれどその胸の奥には、

ほんの少しだけ“あたたかい夜”が灯っていた。


――記憶が消えても、心は温度を覚えている。

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