第九話 「胸騒ぎの街角」

長い雨の日々が終わり、夏の陽ざしが戻ってきた。

中華街の路地裏では、ビルの隙間からミンミンゼミの声が鳴き始めている。


──ドマーニ


昼下がり。

尋ねてきた月ヶ瀬をトランが見かけ、凛子も交えて中森との話の内容を伝えた。


トランは「怖かったんだよー」と興奮気味で話すのを、月ヶ瀬は腕組みをしながら聞き入り、やがて、彼は腕をほどき、口を開いた。


「そうか、あそこの店長がねえ。分かった、調べてみるよ」


凛子も『加恋』を訪問した時のことを思いだして、彼に伝える。


「帰りにあそこの店長と目があったけど、確かに運営を人に任せているような感じには見えなかったわ。まあドラマでも一番目立たない人はだいたい怪しかったりするしね」


そこに、トランはすかさず割って入ってきた。


「ねーさんは、目を見るだけでそんなの分かるの!?じゃ、うちの店長はどうなんだろ……?普段静かなのに急に鋭くなったりするし」


それはトランがよくサボるから見張られてるだけ、とは言えず「大丈夫よ」と、笑いながらトランの肩を叩いた。


月ヶ瀬はスーツの袖から覗く腕時計に目をやると「じゃ、そろそろ行こうか」と凛子に声をかけた。


トランはそれを聞いて顔色を変え、「どこに行くの?また『加恋』?」と二人に尋ねた。


「ううん、千葉。ミゾグチさんのお母さんのとこに行くの。聞きたいことあるし」そういって、凛子は身支度のためにブースに戻っていった。


「千葉?吉野さんは?」

トランはそう言って、月ヶ瀬の方を向いた。


「今日は非番だ」


彼がそう言うと、トランは大きな声で「えーー!」と叫び、明らかに動揺した様子でソワソワし始めた。


しかし、ジャケットと鞄を片手に早々に戻ってきた凛子は、そんなトランの様子を見て声をかけた。


「トランも行く?ミゾグチさんの同僚だもんね」


「もちろん、行くよ!」


そう言って、トランも用意しだそうとするが、脇で話を聞いていた店長に首元を掴まれる。


「ダメですよ。まだまだ予約入ってますからね」


その手は強く握られ、離されなかった。

口は笑っているのに、目は笑っていない。


トランは半泣き状態で「やっぱり、うちの店長も怪しいよーー」そう凛子に訴える。


「じゃ、私の分までお仕事頑張ってね」


そう言って、凛子は月ヶ瀬と店を出た。


トランは悔しそうにその姿をウインドウ越しに見ると、頭を抱えて「もーーー!どうするんだよう!店長のせいだー!」と言って、手足をジタバタ動かした。


店長は少し薄くなった頭に手を当てて、しょんぼりと肩を落とした。


「何をそんなに心配してるんですか?相手は警察ですし、凛々さんとは歳も離れてますよね?」


そうは言われても気が収まらないトラン。


「僕には分かるんだ!あの二人を必要以上に近づけさせたら必ずねーさんは落ちてしまう!」


声を荒げながらそう言ったかと思うと、ポケットから使いこんだ小さめのタロットカードを出して、カウンターに数枚並べ出した。


「ほら見て!」


店長がカードをのぞき込むと、左から


〈ワンド8〉〈力〉〈運命の輪〉


と並んでいた。

これは〈過去〉→〈現在〉→〈未来〉というふうに読み取る。


「で、どういう意味になるんですか?」


店長が尋ねるとトランは鼻息を荒くして答えた。


「二人は猛スピードで距離が近くなる。たとえ相手が猛獣だろうと、手なずけてしまうのさ! なぜかって?それが『運命』であり、『宿命』だからだよ!」


トランのカードの説明に、店長の頭の中はハテナマークだらけになる。


この人、勘は悪くないんだけど圧倒的に言葉の引き出しが少ないのがネックなんだよなあ、と思いながら、嫉妬で荒ぶるトランの背中をさすり、必死になだめた。



──千葉県某市


凛子と月ヶ瀬は閉ざされたシャッターが続く錆びれた路地にあるひとつのスナックにたどり着いた。


(店の名前は「きょうこ」か。ミゾグチさんのお母様の名前かしら?)


「準備中」という札がかかっていたが、月ヶ瀬はものおじすることなく、軽くノックするや否やドアを開けた。


凛子も後に続くと、カウンターにいる細見の女性が胸まである長い髪をけだるそうにかきあげてこちらを見た。


ミゾグチの母親だろうか?照明が暗くて彼女の表情がよく見えない。


「すいません、まだ準備中なんですけど」


「警察です。話を聞かせてほしいのですが」


「……ああ、また?あの子は病死と聞いたけど」


暗さに目が慣れてくると、横顔のラインがミゾグチにそっくりだった。


月ヶ瀬は後ろにいる凛子の方を振り返って、一歩後に下がった。


それを受け、凛子は深々と頭を下げ、彼女に挨拶をした。


「私、ミゾグチさんと一緒に働いていた占い師の水沢凛子と申します。この度はご愁傷さまです」


彼女は長い髪の隙間から、凛子の姿を確認した。


「あら、歌舞伎町にいるような話を聞いたけど、あなたみたいなまともそうな子がいるところでも働いてたのね」


そう言いながら、目にかかる髪を何度もかきあげて、煙草に火をつけた。


「ごめんなさいね、焼香とか位牌とか、そういうのはここにはないの。今から店も開けるから……ここまで来てもらって悪いんだけど」


煙草からゆらゆらと流れる細い煙はいっそう店内を暗くさせた。


深いグレーのようなブルーのような、そんな涙のような悲しい色が彼女に漂う。


(この部屋の照明もまるで彼女の心の中みたい)


月ヶ瀬はスーツの胸ポケットからひかるの写真を取り出し、女に見せた。


「この男を知ってるか? 先日、都内でひき逃げにあって亡くなった男だ。」


彼女は写真をチラリと見ると、一瞬まばたきが止まったが、すぐに背け、煙草の煙を胸いっぱいに吸い込んで勢いよく吐いた。


「ニュースで見たことあるわ」


「この男とミゾグチがどんな関係にあったのか知りたいんだ。何か些細なことでいいんで知ってることがあれば教えてほしい」


「……知らないわ。もうあの子はここを出て6年になるのよ、どこでどうしてるのか連絡ひとつもよこさなかったし」


ミゾグチが家族と疎遠だったのは命式からも運勢からも予想がついていた。


──問題はここからだ。


「つかぬことをお伺いいたしますが、ミゾグチさんのお父様はご在宅ですか?」


彼女はおもむろに額にしわをよせた。


「夫はいないわ。あの子、私生児なの」


「では、お父様のことをお伺いしてもいいですか?」


淡々と話す凛子に、彼女は苛立ちを隠せず「何なの?あんた」そう言って、煙草を強く灰皿におさえつけて消した。


「すみません……でも、大事なことなんです。亡くなったミゾグチさんためにも」


顔には髪の毛が覆いかぶさり、彼女がどんな表情をしているかこの部屋の照明では分からない。


しかし、この様子では「黒」だ。


凛子はさらに詰め寄って、彼女に尋ねた。


「前田光さん、以前からご存じでしたよね?」


「……」


「ミゾグチさんのお父様ではないですか?」


凛子のその言葉に彼女は目を大きく見開き、一瞬凛子の方を見た。


瞬きが止まったその瞳の表情から、相当の驚きと戸惑いが感じられる。


凛子は沈黙のまま、一歩も引かず彼女を見つけ続けた。


すると、彼女は諦めたかのように、か細い声を漏らしだした。


「……でも、二人はお互い知らないはずよ。本当に。これは本当よ。

光とは一度きり。それっきり会ったこともないわ。私が勝手に誘って、勝手に産んだだけのことよ」


どこからかカラオケの音色が聞こえてくる。

夜の世界が動きだしたのだろうか。


「お母様。たとえ真実を知らなくても、人は理屈ではなく、血のつながりをどこかで感じ取ってしまうものなんだと思います。

――それが、人間の本能なのかもしれません。」


そして、凛子は一礼をして月ヶ瀬と共に店を後にした。



港町への帰り道、運転している月ヶ瀬はボーっと窓の外を眺めている凛子に話しかける。


「あんたの読みが当たってたな。でも、なんで親子だと気づいたんだ?前田はいわゆる……あっちの方なんだろ?」


「──しいて言えば“母性”でしょうか?ひかるさんからは母性を感じるんですよ。彼からも命式からも」


「ほう?」


「なぜ女性とそこまで深く関わったのかは分かりませんが、ミゾグチさんとはより深いつながりがあると考えないと、色々理屈が合わないなと。だから、血が繋がってるって思うのが一番自然だったんです」


凛子はさらに話を続けた。


「今年はうちの店も“女性”に関することは鬼門でして。なので全ての問題は“女”に通じると申しますか。ひかるさんを“女性”と考えると、この問題は大きな流れで見てもぴったりはまる内容だったということです」


月ヶ瀬は「そのあたりはさっぱり分からん」と言いながらも、凛子の占い話を遮ることはしなかった。


「そうだ、前田がミゾグチの父親なら、もしかして……!」


「キサラさんを殺したとでも?」


「まあ、証拠はないがな。そうは思わないか?」


凛子は頭をひねるかのように思考し始めた。



──断易で占った時、確かにひかるの憎しみを少し感じた。


我が子を死に追いやったかもしれないキサラを殺したか?


あるいは──。

結果は極端に分かれる。


(検討つかないなあ)



凛子は深くため息をついて月ヶ瀬の方を見た。


「そもそも四柱推命って、生まれた時間が分かって初めて、ちゃんと運気が読めるんです。

生年月日だけで判断するのは、どうしても難しいんですよ。

だから――今の情報だけでは、はっきりとは言えませんね」


「そんなもんか、悪かったな」


「いや、謝られても」


「何だよ、難しいな」


本来、凛子はさほど感情的になるタイプではない。


なのに月ヶ瀬の前ではついつい感情のタガが外れて、すぐにつっかかってしまう。


──不思議だ。


「刑事さんって、おそらく、陰干の土か火日生まれの人ですね。うん、きっとそうだ」


凛子は右手の人差し指を大きく振りかざし、唇をつんと立てながらそう言った。


「何だよ、相性悪いっていうのか?」


「そういうんじゃないですけど、何だか“場”が乱れる感じ?」


月ヶ瀬は小さくフンと鼻を鳴らし「はいはい、すいませんね、おやじは黙っておくよ」そう言って、ラジオのチャンネルを回した。


ラジオから流れるのは松任谷由実の「星空の誘惑」。


静まり返った車内に、その歌詞の一節一節が突き刺さるように響いた。



♪星屑がこぼれそうな夜

 小刻みにふるえるミラー


 もう戻れぬ遠いところへ

 私のこと運んで欲しい♪



凛子は曲を聞きながらも気まずそうに首をすくめた。


(何だか胸のあたりがざわつく。変に意識しちゃう、こんな時に)


──でも、本当にこのまま遠いとこに運んでいってくれたら、自分の“宿命”からも逃げれるのかしら?


(なんてね……)


凛子は、そんなことを思いふけながら、窓の外に流れる星空を見上げた。




──ドマーニ


午前中の客を見送り、両手を大きく広げて伸びをする凛子。


外を見ると空がうっそうと暗くなってきている。

雨でも降るんだろうか?


低気圧のせいで空気がとても重い。


そのせいか、凛子は耳に詰まりを感じ、朝からずっと調子が悪い。


「別に何も聞こえないってわけじゃないけど……何か食べたら治るかしら?」


そう思い、立ち上がろうとしたその瞬間、カーテンの外から声がかかる。


「ちょっといいかしら?」


マドモアゼル陽子だった。


「そろそろ事件も解決したかと思ってね」


「おかげさまで、順調です。──解決はまだですけど……」


「そう……」


陽子はそのまま部屋に入ると、凛子の向かい側の椅子に腰を下ろした。


「じゃあ、あなたはもうこのあたりで手を引きなさい」


机に肘をつき、少し上目遣いで凛子を見ながらそう話す陽子。


「──ひかるさんのこともあるので、途中で降りたくありません」


凛子は伏し目がちになりながらも、力強くはっきり答えた。


「それは警察の仕事でしょ?」


「でも……」


「警察には私から連絡しておくわ。

まったく、ここまで事件が尾を引くとは思わなかったわ……」


陽子のその言葉を聞いて、どこか残念そうな顔をする凛子。


「何を残念がってるの?」


「──別に」


凛子の言葉の奥にある感情を見抜くかのように、陽子は鋭い視線を向けた。

そして、ゆっくりと口を開く。


「とにかく、危険な真似はもうやめてちょうだい。自分の立場もわきまえて」


この妖艶なドマーニの女オーナーの正体は【御蔭池楓子】の妹である。


つまり、凛子にとっては“叔母”にあたる。


「それでなくても、御蔭池の偽者が出だして、一族もピリピリしてるのよ?」


「それはそうだけど……」


「今はね、一族も色々動いてるの。下手にあなたが動いて問題になっても面倒でしょ?事件のことは忘れていつもの日常に戻ること、いいわね?」


凛子にもしものことがあれば、姉にも義兄にも申し訳が立たない。

陽子は、その思いだけでこの「ドマーニ」を作ったと言える。

そう、近くで凛子を見守るために……。


凛子は力強い陽子の言葉に肩を落として、表情をゆるめた。


「じゃあ……この前見かけたの、やっぱりお母さんだったのかな?私に似た女の子……」


「姉さんがあなたの前に姿を現すことはないわ。

──驚かせるだけになるでしょうし」


“姉”の楓子は自身の【奇病】を娘に見せることを避けている。

でも、どれほど凛子のことを心配しているか……。


たとえ、姉・楓子ほどの“霊能力”に恵まれていなくても、“御蔭池家”の人間として、できるかぎりのサポートをするのが“陽子の宿命”だ。


凛子も陽子の気持ちを察してか、これまでは目立った行動を控えていた。


そのため、基本的に陽子の言うことには従っている。

それが凛子にとって“働く上でのルール”だった。


「じゃあ、お願いね」


陽子はそう言うと立ちあがり、部屋を後にした。


「……お昼、行こ」


凛子はまだ治らぬ詰まった耳に手を当て、手のひらで軽く揉み込むようにしながら、店を出る用意をした。



今日は何を食べようかと考えながら、ぶらぶらしていると、『占い処 加恋』の前を通りかかる。

店の外には人だかりができていて、音楽まで流れていた。


看板には「リニューアルセール! 今なら〇〇〇円引き!」の文字。

なんと、通行人にフランス産の水ボトルまで配っている。


かなりの太っ腹だが、やはりキサラの事件で客足が遠のいたのだろうか?


そんなことを思いながら店先を通りすぎようとしたとき、“あの占い師”が声をかけてきた。


以前、業者のカードをくれた占い師だ。


前回は店内で気づかなかったが、屋外でよくみると、やけにシャープな印象を受ける。案外、気が強いのかもしれない――


「あら、あなた、この前の人ね。香の店とは連絡ついた?」


「ええ、おかげさまで。その節はありがとうございました」


深々とお辞儀をして立ち去ろうとする凛子の腕をつかんで引き止め、数本のボトルを手に取って差し出してきた。


「お互い大変だったわよね。はい、これ、持っていって」


「いえ、そんな……申し訳ないです」

凛子は手渡された数本のボトルを、遠慮がちに突き返した。


「そう言わずに! あ、でも、できたら飲んで感想聞かせてほしいわ。

ねえ、ちょっと今、一口飲んでみてくれる? 同じ銘柄のものを追加注文しようか迷ってるの」


加恋の店員たちが前方と背後で水を配っており、その周辺に水待ちの客が数人集まっている。このせいで、どちらへも足を進めにくい状況だった。


――おまけに耳のせいか、「気」をちゃんと感じることができない……。


凛子は一瞬警戒したが、ここで断るほうがかえって不自然だと考え、「じゃあ、1本だけ……遠慮なくいただきます」と言って、1本のボトルに手を伸ばした。


――ここは一口くらい飲んでもいいか。

ボトルもパッケージもちゃんとした新品に見えるし。


「では――」


キャップをひねり、一口。


「あ、おいし……」


その瞬間、喉の奥が焼けるように熱くなり、視界が急激にぼやけて暗くなった。凛子の身体は力を失い、そのまま地面に崩れ落ちた。


――

――!


遠のく意識の中で、人の叫ぶ声が聞こえる。

占い師が顔を近づけ、何かを言っているが、もうよく聞き取れない。


「大丈夫? 病院に連れていってあげるわね」


――この占い師、良く見ると口元に……笑みがある。


まさか、この人……!?


凛子は今朝の“卦”を思い出した。


【山地剥】――崩壊寸前。足元が不安定になり、災難や転落の兆し。わずかな油断が、事故を招く――


――しまった!


凛子が気づいたときには、すでに遅かった。



視界がぼやけるなかで、凛子は自分が車の助手席にいることに気づいた。


手足は縛られ、シートベルトは体にきつく巻きつけられており、まったく身動きが取れない。


「――あら、もう目が覚めたのね?」


視界がはっきりしてくると、そこは高速道路の上だった。

あの“占い師の女”が、ハンドルを握っている。


「……どこに行くんですか?」


「少なくとも、病院じゃないことは確かよ」


古びた車内。

窓から見えた空は、うっすらとオレンジ色に滲みはじめていた。


――ああ、この女もだったのか。

なぜ、もっと早く気づけなかったんだろう。


凛子は、気づけなかった自分が情けなくて、胸の奥がずしんと重くなった。


そして意を決して、女に問う。


「――あなたが、ミゾグチさんを殺したんですか?」


その言葉に女は、ミラー越しにチラリと凛子に視線を向けた。


「あいつ、香に『麻薬が入ってる』って脅してきたのよ。まさか阿片の事がバレるなんてね……。まったく、中華街の占い師なんて、素性が知れたもんじゃないわ」


「……じゃあ、キサラさんも?」


(ミゾグチとキサラでは殺し方が全然違う。そこだけが腑に落ちない)


「――ああ、あの子?あの子は本当にバカよ。見かけは良くても、占いの才能なんてほとんどないのに。このまま香で客を操ってれば人気占い師として頂点までいけたのに。あんな男に肩入れなんかしなきゃよかったのよ」


女は、そう吐き捨てるように言った。


どうやら、最初はキサラも香を広げるためにミゾグチに近づいたらしい。


それでも最後はちゃんと愛してた──?


「まためんどくさいことに、あんな変な男にもからまれちゃって。まあ、そちらも後で始末したからいいけど」


「男を始末したって、まさか、ひかるさんもあなたが?」


「――正確に言うと、私は手を下してないわ。私ならあんな雑な殺し方はしない。もっと美しく自殺させるわ」


ひかるのことだろうか?

しかし、ミゾグチとキサラはいったい誰が――?


「……洗脳がお得意なら、それを使えばよかったのに」


凛子がそう言うと、女の表情が真顔に変わっていった。


「嫌味なことを言うのね、あなた」


女は時折、ハンドルを持つ手をギュッと強く握りながら話し続けた。


「あの歌舞伎町の男、そんな名前だったかしら? ミゾグチが死んだ後、 やけにキサラのまわりをうろついてね。どうやらミゾグチを殺した理由を探っていたらしいんだけど、同情したキサラが色々洗いざらい喋っちゃったらしいのよね。結局、二人とも敢え無く消えてもらったというわけ」


「ああ、ホントあの子はバカ。あれだけ可愛がってあげたのに!」


女は唇を噛み、たいそう悔しそうにした。


その様子を見て、凛子は思わず息を呑んだ。


そして、自分にまとわりついた“邪気”を振り払うように、小刻みに息を吐いた。



──でも、本当にこの人が黒幕なの?


こんなに感情的になる人が果たしてここまで完璧に殺人を計画できるのかしら――?



凛子が思考を重ねながらも、女は手元を緩めることもなく、車は高速の流れに乗り込んで、さらに先に突き進んでいた。


――ああ、港町から、かなり離れていく。


凛子が落胆していると、女が静かに口を開いた。


「──あなた、“御蔭池家”の人間なんでしょ?」


(……!)


凛子は驚き、思わず女の方を見た。


「私は一族に関わっていないので、御蔭池家のことは何も分かりません」


「でも、当主の娘なんでしょ?それに、ただの占い師がここまで関わってくるかしら?やっぱり奇異な運命なのね、あなたって」


女の言葉に凛子は口をつむんだ。


──私は私の意思でこれらの事件に関わってきたけど、全部これも“御蔭池家の血”がさせることなの?


ひかるさんもミゾグチさんも私がいなかったらもしかして死ぬことはなかった?


──。


耳の不調もあってか、凛子の考えはどんどん「闇」の方へ引っ張られ、気持ちを平常に保つことが難しくなっていった。


「いいわよね、御蔭池の血が入ってれば、私たちみたいに苦労しなくても能力者になれる。きっと占い師としてももっと繁盛するんじゃないかしら?」


うなだれながらも凛子はその問いにはきっぱりと「私は【推命家】です。勉強して得た知識を頼りに占っているだけです」と言った。


──そうよ。もしも私にそんな“能力”があったなら、今こんな状況にもなってないのかもしれないじゃない。


そんな凛子の考えはよそに、女は急に声を荒らげだした。


「御蔭池の血筋ってだけで、占い師にとってどれだけ羨ましくて妬ましいことか、分かってるの?」


「だから、私はその“能力”を感じたことがないんです。本当に今は御蔭池家とは無縁なんです――」


凛子は絞り出すように声を出して伝えるが、女はブレーキをさらに強く踏み、車体を大きく揺らした。


「──なぜ、あなたなのかしら? 私だったら、生まれ持った能力をもっと上手く使って、この世界の頂点にだって立ってやるのに――!」



ようやく車が停まったのは、人気のない場所だった。

女は窓を開け、あたりを確認しだす。


凛子は鼻をすんと鳴らし、空気を嗅ぎ取った。


――水の匂い……海?

いや、違う。

ここは……【湖】だ。


「着いたわ。ふふ、“御蔭池”にちなんで、ちゃんと“池”にしてあげたの。感謝してね」


車内の時計はすでに午後五時を回っていた。

この距離と時間――おそらく「芦ノ湖」あたりだろうか。


女は外に出て、凛子のいる助手席側に回り込み、少し開いた窓から声をかけた。


「恵まれたあなたには──ここで死んでもらうわ。事故に見せかけて、ね」


女の気迫に、凛子は必死にシートベルトを外そうとした。

だが、動けば動くほどベルトは複雑にねじれ、身体をきつく締めつけていった。


「さようなら。今度は、普通の家に生まれてきなさいね。」


そう言い残し、女は車の後方へ回り込んだ。


車はゆるやかな坂の上に停められていた。

女ひとりの力でも、じわじわと前へ動き始める。


凛子は必死に悶えながらも、あることに気づく。



(……そうか。すべて“金”がらみの犯行の着地点は、この“水”にたどり着く――)



――やがて。


車は一気に加速し、そのまま湖へと突っ込んだ。


水しぶきが上がり、泡が立ち、そして静かに車は沈んでいく。


女は、その光景を、ただ黙って見つめていた。

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