第八話・前篇 「甘く危険な香り ― 呪縁の扉 ―」

都内の住宅街に紛れるように建つ、一見ごく普通の一軒家。


だが、一歩中に入ると、妙なざわめきと人の気配に満ちていた。


──部屋の入口に「インド式瞑想スクール SilkTree」の案内板


その部屋は十畳ほどの広さで、所狭しと人々が肩を寄せ合い、目を閉じて座っている。


――“香”の匂いが漂うなかで


そこに“白いワンピースの女”が人をかき分けて進み、中央に座る“教祖らしき女”に背後から声をかけた。


「『ドマーニ』って店、ちょっと妙な雰囲気でした。まるで、何かに勘づいているような……」


その声に反応した教祖の女は、ゆっくりと振り返り、低く落ち着いた声で問いかける。


「今日、会った占い師の名前は?」


その占い師とは──トラン。


「“シャーロット椿”と言っておりました。しかし、他店で聞いても、そんな占い師は知らないと」


……一杯食わされたかもしれない。

白いワンピースの女は徐々にそう思うようになって表情を曇らせた。


「他に店で変わったことはなかった?」


「そういえば……ミゾグチの荷物を取りに行ったとき、対応をしてきた女性に断られて……。その日は引き下がったんですが、今思うと、ちょっと彼女の様子もおかしかった気がします」


教祖の女の眉が、わずかに動いた。

そして、小さく息を吐いたあと、静かに口を開く。


「……まずはその女の写真を用意してちょうだい。あと、あなたはもう連絡が来ても店に行かないこと。しばらく営業は控えましょう」


「わかりました」


小さく会釈して、静かにその場を離れようとした、そのとき。


「ねえ、あなたのやり方ってちょっと品が無いわね」教祖の女はそう告げた。


忠告を耳にした白いワンピースの女は、悔しさに顔を歪めながら部屋を後にした。



──ドマーニ閉店後


次々と占い師が帰っていく中、声をかけてきたのは意外な人物だった。


「トランくん、凛々ちゃん、まだいたの?おつかれさまでした~」


先日話をしていた「中森」という女だ。


相変わらず露出は多めで、今日は左手首にだけ、意味ありげにスカーフを巻いていた。


(やっぱり苦手だこの人……)


凛子の心情を察したトランは、自分が動かねばと、去っていく中森を呼び止めた。


「ねえねえ、もしかして中森ちゃんもミゾグチさんに投資話された?」


中森は一瞬、口元をヒクッと引きつらせたが、すぐに笑顔になり、軽快に話し出した。


「されたされた!おかげで私、大損しちゃったこともあるもん。まだミゾグチさんにお金預けてるんだけど、どうにか返ってこないもんかしら?トランくん、何か知ってる?」


「ごめん、そのあたりはよく分からないんだ。ねえ、他にも被害受けた人知ってる?」


「他?そうね、この店のことはよく分からないけど、『加恋』にはいるかも」


中森は元『加恋』の占い師。店の内情はドマーニよりも『加恋』の方が詳しいと言える。


「それってもしかして殺されたキサラっていう占い師さん?」


トランがキサラの名前を出した途端、中森の表情がさっと瞬時に変わる。


そして、胸の奥から沸き立つマグマのような黒い気配が忍び寄るように、彼女の顔色を赤黒く染めた。


「あの女も“被害者”だったら、それは愉快な話ね」


その一言で、凛子はキサラの部屋が、いかに“最凶”に仕上がったのかに気づいた。


こんなふうに「嫉妬の渦」がいくつも集まって、「凶」はさらなる「凶」を呼び込む形になってしまったのだろう。


しばらく二人の会話を聞いていた凛子だったが、ふいに中森の背後に立つ。


「もしかして、中森さんってキサラさんと知り合いなの?」


中森はびっくりしたように振り返った。


彼女からは未だ渦巻いたマグマの気配は消えてないようだ。


「凛々ちゃんから声かけてくれるなんてめずらしい。普段あんまり話しかけてこないのに」


「そう?意識したことなかったけど」


「そうよ。いつだって一段上から見下ろして、“私以外はみんなバカ”って顔して見てたじゃない」


中森の意外な発言にトランは「こりゃいけない!」と仲介しようとしたが、何ひとつ思いつかず、ひたすら慌てふためいて、言葉はしどろもどろで会話が成り立たなかった。


しかし、言われた凛子の表情は平然としたままで、眉ひとつ動かさなかった。


そんな凛子を見て、中森はさらに言葉をきつくしていく。


「あなたもミゾグチさんにやられちゃったクチ?だったらおかしいったらないわ」


「変なこというのね。もしかして中森さんはミゾグチさんのこと好きなのかしら?」


凛子は「すこし話をひっぱろう」と思い、逆に中森を逆上させるかのような発言をする。


「そんなんじゃないわ。ただそうね、キサラの恋人って聞くと俄然仲良くなりたいとは思ってたかな」


『加恋』の売上ナンバー1であり、何かと特別扱いされていたキサラには何かと思うところでもあったのだろう。


「もしかして、凛々ちゃんは彼のこと結構気にいってた?残念でした!ミゾグチは誰にも本気にならないわよ! キサラだって、利用できそうだから付き合っていただけ!」


「どういうこと?」


問いかける凛子に、中森は意味ありげな笑みを浮かべた。


「キサラなんて何の実力もないくせに、店長が率先してどんどんお客を回してたから売上トップだったというだけ!何もかも彼女だけ特別扱いだったから、金まわりが良いとでも思ったんじゃない?そんな男よ、ミゾグチさんって」


中森は、息つぎもせず思いをぶつけたせいか、呼吸が荒くなっていた。


凛子は横にいるトランに「こんな人なの?」といわんばかりに目を細めて合図を送った。


トランもその合図に気づいたようだ。


「まあまあ、中森ちゃん。僕たちは、ミゾグチさんとはあまり関わってないし、『加恋』のキサラさんのこともよく知らないんだ。ただ、刑事さんが聞いてきたからさ、そのうち中森ちゃんにも聞いてくるかもしれないから先に伝えておきたかっただけ!」


そのトランの言葉にさっきまでの激しさはどこへやら。

中森はいっきに表情が柔らかくなった。


「えーそうなんだー。やだー、警察きらーい」


中森はすっかりいつものおどけたキャラクターに戻り、悪びれもせず、「じゃ~ね」と店を後にした。


トランはそれを見届けると、「ごめん」と言いながら、右手のひらを顔の横で軽く立てた。


「いつもはあんなに激しい人じゃないんだけどなあ。よっぽどキサラさんの話はタブーだったのか……とにかく怖かったよ~」


凛子は小さく首を振りながら「いいのよ。今年はうちの店の女性にも影響が出ちゃう年だから、普段言わないようなことでもつい口が滑っちゃうこともあるのよ。特に嫉妬は底知れぬ凶悪なパワーがあるからね」そういって、中森からあてられてしまった“嫉妬の気”を吐き出すかのように、息を三回すばやく吐いた。


「それより、収穫あったね」


「え、何のこと?」


「キサラが店長とグルっていうことよ。ということは、加恋の店長も香の業者とも通じてるかもしれない」


「みんなグルで麻薬繋がりがあるかもしれないってこと?怖すぎだよソレ……」


トランは思わず自らの両腕で体をきつく抱きしめる。


凛子は、丸まったその肩をパンッ!と叩き、「さ!私たちも帰ろ!」と声をかけた。



店の外に出た凛子は、ふとある気配を感じて立ち止まる。


「どうしたの?」

隣にいたトランが声をかけた。


「いや……なんか、視線を感じて」


そう答えて、周囲を見渡す凛子。


「気のせいじゃない? ミゾグチさんの件でずっと気を張りすぎたのかもね。

ほら、早く甘いものでも食べに行こ!」


実は凛子、“白いワンピースの女”との接触のお礼として、トランに奢る約束をしていたのだ。


(……待てよ? 捜査のためにやったんだから、本当は刑事さんが払うべきなんじゃない?)


理不尽さにモヤモヤしつつ、月ヶ瀬の顔が脳裏に浮かぶ。


(今度、経費で落としてもらおうかしら?)


そんなことを考えているうちに、少しだけ肩の力が抜けた。


「凛々ねーさん、はやくー!」


トランの声に急かされ、凛子はその場を後にする。



――凛子を盗撮していた、サングラスに深い帽子をかぶった黒ずくめの男がニヤリと笑った。


しかし、その男の肩に手が忍び寄る。

それはドマーニを見張っていた“吉野”だった。


「ちょっと、署までご同行いただけますか?」


そう声をかけると、男はすぐに吉野の手を払い、その場から逃げようとした。

吉野は片足をすっと踏み出し、足先で男の足をひっかけて勢いよく転ばせた。


「抵抗すると痛い目に遭うわよ」

そう言って、腰に吊るしていた警棒を抜いた。


だが男はなおも暴れ、吉野は仕方なく警棒を振り下ろした。

鈍い衝撃音がして、男の手元を打った。


すぐに他の警官が駆け寄ったが、男は最後の力をふりしぼるように吉野を突き飛ばし、足早に逃げていった。


その反動で吉野の頬が地面にこすれ、細かな擦り傷がいくつもできた。


「吉野警部! 大丈夫ですか!?」

「平気よ、これくらい。……でも、逃げられちゃったわね」


その一瞬の出来事に人だかりができ、ざわめきに気づいた凛子が後ろを振り返る。

トランも「なんだろうねえ?」と不思議そうに眺めた。


気になって近づくと、衣服や髪が乱れ、生々しく頬に傷を負った吉野がそこにいた。

凛子はすぐさま駆け寄る。


「……吉野さん! 大丈夫ですか? いったい何が――」


動揺した様子で、恐る恐る吉野の腕に触れる凛子。


「いや、ちょっとね。職務質問に失敗したってとこかな。……お母さん、失敗しちゃった」


そう言って何事もなかったように明るく笑う吉野に、凛子は胸が苦しくなった。


「お仕事だから仕方ないかもしれませんが、本当に、本当に気をつけてくださいね? 約束ですよ?」


そう言いながら、凛子は吉野の服についた砂ぼこりを優しく払った。

吉野は微笑み、凛子の手を握った。


「ありがとう、大丈夫よ。……凛子さんこそ、用心してね。約束よ」

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