第六話 「因縁と言うなかれ」

凛子の嫌な予感が当たり、次の日にはひかるの顔写真と本名がテレビ映し出された。


ドマーニでは、その日出勤していた占い師たちが待合室に集まり、神妙な面持ちで、ひかるのニュース報道が流れているテレビに集中した。


その中には凛子とトランもいた。


ニュースが終わると店長が皆の前のテレビを消して、重い口を開く。


「ひかるさんは我がドマーニにとって、家族のように大切なお客様でした。これから寂しくなると思いますが、あなた方、占い師を頼ってきてくれる他のお客様に暗い顔は見せられません。今日も頑張って営業しましょう!」


そう言って、パンパンと手を叩くと、その場にいた占い師たちを解散させた。


いつもは底抜けに明るいトランもさすがにショックが大きかったのか、出勤してから一言も発していない。


(どうしてこんなことになったんだろう?何か私が異変に気づけていれば……)


凛子は唇を強くかんだ。


強い後悔の念で胸が押しつぶされそうになったとき、前にいたトランが後ろに振り返り凛子に声をかける。


顔面は蒼白だった。


あれだけ自分を贔屓してくれていた人がこんな形で死んでしまってトランも相当苦しいのだろう。


「……占い師って無力だね」


トランのそのひと言がさらに重くのしかかる。


──またも事件は未解決。

キサラの時と同じだ。


「誰がひかるさんたちを殺したの?」


自分のブースに戻った凛子は、ひかるの鑑定書を見ながら頭をかかえた。



──その日の夕方


珍しく、吉野が一人でドマーニを訪れた。


そして凛子のブース前に立ち「吉野です、ちょっといいかしら?」と声をかけた。


「どうぞ」と凛子は吉野を内へ招いた。


「こんにちは。珍しいですね、吉野さんお一人って」


「そうね、もう一人の方はよく単独でこっち来てるみたいだけど」


吉野はそう言うと、鮮やかなピンク色の紙袋から菓子箱を取り出し、「ほら」と言って高級そうな色とりどりのケーキを見せた。


凛子は思わず「わあ!おいしそう!」と目を輝かせた。その様子を見て、吉野はほっとした様子で笑顔になった。


「月ヶ瀬に聞いたんだけど、まさかこんな短期間にこんなことになるなんてね。

ちょっとでも元気になってほしいなと思って、人気のケーキ屋さんで買ってきたの。もちろん、皆さんの分もあるわよ。凛子さん、最初に好きなの選んでね。特別よ」

そう言って、口元に人差し指を当て、いたずらっぽく微笑んだ吉野。


「お気遣い頂き、ありがとうございます。有難く頂きます」

凛子は無邪気な様子で「どれにしようかなあ」とケーキを選びだした。


吉野はそんな凛子を見て「気を悪くしないでね。凛子さんは何だかうちの娘と重なっちゃって……だから、いてもたってもいられなくて」と言った。


凛子はそんな吉野の気持ちがとても嬉しかった。ついつい気持ちが緩み「吉野さんみたいなお母さんがいたらな~なんて」と漏らした。


「あら、私は大歓迎よ。こんなに可愛い娘のためなら、もっと仕事頑張っちゃう」

吉野はそう言って、片手で小さくガッツポーズをして見せた。


朗らかな空気が二人を包み、凛子の明るい笑い声がブース外まで漏れた。



──水沢家


家に帰ってからも、薄暗い部屋の中で、凛子はぼんやりとテレビの画面を見つめていた。

けれど、画面に映る内容はまるで頭に入ってこない。


凛子にはもう一つ、気になっていることがある。


吉野と話すたびに思い出す“母”のこと。


今日、この胸の引っかかりを父にぶつけると決めた。


「もう夕飯も風呂も済ませたのか? 今日は早いな」

帰宅したスーツ姿の三郎が、ラップのかかった夕食にちらりと目をやりながら声をかける。


「お父さん」

部屋へ戻ろうとした三郎を、凛子が呼び止めた。


「ん? どうした?」


「……お母さんって、今、何歳くらいなの?」


その問いに、三郎の表情がすっと曇る。

だが凛子は気にせず、淡々と話を続けた。


「やり取りしてるの、知ってるよ」


凛子が物心つき、大人の話がわかるようになった頃、母についての【真実】は一度だけ伝えた。


「御蔭池家」のことも含めて――それは、母・楓子との約束でもあった。


当時の凛子は、すべてを納得できたわけではなかった。けれど、その日を境に、自ら母について語ることは、ほとんどなくなった。


それは、恋しさを抑えているのか。

それとも、捨てられたことへの怒りなのか――


三郎がそんなことを思い巡らせている間にも、時間は静かに流れていく。


「やり取りは……もう長いことしてないよ。こんなオジサンにいつまでも付き合わせるのは酷(こく)ってもんだろう。

今はそうだな……そろそろハタチくらいになってるかもしれないな」


「ハタチか……」


昨日見かけた少女は、どう見ても十代半ば。

自分の勘違いかもしれない――

けれど、湧き上がるような【血のつながり】を感じたのは確かだった。


――時間が逆流して、肉体が巻き戻っていく母。


三郎の妻であり、凛子の母・楓子は、時間が逆流し肉体が若返っていくという【奇病】を発症した。


それは楓子が28歳、凛子が5歳のときのこと。


原因は、「御蔭池家」と代々因縁がある一族による【呪い】だと言われている。


その呪いとは――

【御蔭池家の血を継ぐ能力者は、その能力が完全に覚醒する前に命を落とす】


本家の血を引く楓子は、その宿命に抗い、御蔭池家を離れ、三郎と凛子と共に穏やかな暮らしを願った。

しかし、呪いに例外はなかった。


一族から距離を置いていたにもかかわらず、ある日を境に楓子は呪いを受けた。


彼女の霊力が強すぎたせいで、一命はとりとめたものの──

呪いは【時間の逆流】という異常なかたちをとり、楓子の肉体は過去へと巻き戻され始めたのだった。


「自分が命を落とせば、次は凛子に呪いが及ぶかもしれない」


そう思った楓子は、たとえ姿が変わっても――命を落とすその瞬間まで、生き続けると心に決めた。


「本当は、ここで一緒に暮らせたらよかったんだけどな。でも……世間の目があるからって……迷惑をかけたくない、そう言ってた」


三郎の声が静かに沈んでいく。


凛子はまっすぐに父を見つめ、淡々と話した。


「やっぱり、私も近いうちに死ぬのね。おばあちゃんは25歳の時、お母さんは命は落としてないけど28歳の時、私は何歳で逝くのかな――」


凛子がそう言うと、三郎は眉をあげ、顔を真っ赤にし「バカなこと言うな!」と吐き捨てていった。


「たまたま続いてるだけだ。このままお前に能力が出なきゃきっとそのまま免がれる!」


そう言う三郎のあまりに鬼気迫る空気に、凛子はそれ以上、何も言えなかった。


(本当に逃げ切れるのかしら? 私が宿命を背負った最後の人間でも……?)



昼間の雨の香りがまだわずかに残る、夜のコンビニ。

凛子は一冊の雑誌を手に取った。


月ヶ瀬が持っていたのと同じ週刊誌。

パラパラとページをめくると、あのとき見た記事が目に飛び込んできた。


――「あの伝説の霊能一族が、グッズ販売を始めた」


御蔭池家が、そんなつまらないことをするはずがない。


一族の細かい事情は知らなくても、それだけは確信できた。


「一体、誰が“御蔭池”を名乗ってるの?──何なのよ、この安っぽい“紋章”は!」

怒りがこみ上げ、思わず手に力が入る。


その様子に気づいた店主らしき男性が、わざとらしく咳払いをした。


その視線に気づいた凛子はハッと我に返り、雑誌を棚に戻し、足早にコンビニを出た。


そして、ふと夜空を見上げた。


まばらに小さな星が瞬いていた。


朝が来れば夜が来て、夜が明ければまた朝が来る。

変わっているようで、変わらないものもある。


“血の因縁”もまた――たとえ逃れようとしても、

どこかで、必ず巡り合ってしまうものなのかもしれない。


そんなことを考えながら、凛子はさっき買ったアイスクリームをひとくちかじった。


アイスの甘さが、なぜか幼き日に過ごした母を思い出してしまい、少しだけ胸にしみた。そのとき──


ふと背後に視線を感じた。

振り返っても、誰もいない。


けれど、ほんの一瞬――

雨の匂いとは違う、どこか懐かしい香りが、風に混じっていた。


(ねえ、お母さん、近くにいるの……?)



──都内 某デパート


凛子とトランはドマーニを代表して、ひかるの店へ訪れることになったため、お供えの花を選ぶために都内の某デパートに寄った。


凛子が店員と話している間、トランは手持ちぶさたで店内をウロウロしていると、隣接した雑貨店で、髪を下した私服の吉野とセーラー服の少女が、時折笑いながら買い物をしているのを見かけた。


トランはそれを目で追いながら、凛子に声をかける。


「ねえねえ、ほら、あれ、おまわりさんじゃない?」


「あ、本当だ。吉野さんだ」


「彼女さ、なんか警官の時はビシッとした感じだけど、ああやってると普通に綺麗なお母さんって感じだよね」


「……そうね」


商品を手にとって笑い合うその吉野親子の様子を見て、凛子は幸せそうな少女を自分に重ねてみた。


ただ、そのとき少し寂しさにも近い気持ちになってしまい、「中身も子供っぽいのかしら、私は」と自分をたしなめた。


「あんなかっこいいお母さんうらやましいな」


「まあ、最強だしね。──あっ!ねーさんって、お母さんいないんだっけ……」


「まあね、でもそういうしんみりしたのじゃないから」


そう言って、親子から目をそらし、再び花を選びだした。



──歌舞伎町 ひかるの店


凛子とトランは、お供えの花を片手にひかるの店を訪れた。


凛子が「すいませーん」と声を上げ、入口のガラス戸を押し開けると、店内は営業の準備をしている様子もない。奥には、もくもくと掃除をする従業員らしき男が一人いるだけだった。


凛子が彼に声をかけると、「ああ、あんたらがオーナー贔屓の占い師か。来てくれてありがとな」と、男は気さくな様子で答えた。


そして、そのまま店の奥に設置されたひかるの慰霊台に凛子たちを案内した。


(写真のひかるさん。いい顔してる)


慰霊台に並べられた大量の花束や供え物。

どれだけひかるさんが愛されていたのかよく分かる。


「オーナーは金の使い方もきれいだったし、店だって繁盛してた。おまけに虫も殺せないような穏やかな人だったのに、ひき逃げなんて誰が……まだ信じられなくて……」


男は時折、むせび泣くようなすすり声を出しながら話した。


焼香を終えた凛子は思い切って男に質問してみた。


「あの……ミゾグチって男性知ってます?」


すると男はさっきまでの悲しい表情とは一変して、徐々に険しい表情になっていき「ミゾグチのことならよく知ってる。あいつもちょっと前に死んだみたいだけど、あいつは死んで当然の奴だよ」と強い口調で言った。


男のすごみのある話し方に少々怯みながらも、トランも訪ねてみた。


「あの~、ミゾグチさんって前にホストやってたって聞いてたけど、もしかして以前はここで働いてたとか?」


「ああ、そうさ。オーナーは、あいつにだいぶ手厚く世話してたんだぜ」


凛子は男の言葉に大きくゴクンと唾をのんだ。


そして、思い切って、訪ねてみた。


「──ごめんなさい。さっき「死んで当然」て言ってたけど、なぜだか聞いてもいいですか?」


男は少し黙り込んだが「まあいいか」と小さくつぶやき話し始める。


「ミゾグチは、あれだけ世話になったオーナーを裏切って店の金を奪って逃げたんだ。すぐに気づいて捕まえたんだけど、オーナーはすんなり許してしまって、結局その金を持たせて逃がしたらしいし」


その話を聞いて、凛子とトランは、同時にあるひとつの疑問が湧いてきた。


──ひかるは“男色家”だったはず。まさかミゾグチを?


「ないない!確かにオーナーは男好きだったけど、そんな雰囲気じゃなかったな。どっちかっていうと子供あやしてる感じだったぜ?」


その男の言葉に、凛子は頭の中で複雑に巻き込んだ赤い紐が少しほぐれてきたような感覚に陥った。



凛子とトランが男に軽く会釈して、店を後にしようとしたそのとき。


「あ、そうだ!」男は急に大きな声を出したかと思えば、再び店の中へ走っていった。


店から持ってきたのは使いこまれた「タロットカード」。


それを見て「え!?」凛子とトランは思わず裏返った声を出す。


「あんたら占い師なら、オーナーの遺品だと思ってもらってくれる?オーナーが大事にしてたものだから処分するのもしのびなくて……でも俺たちが持ってても仕方ない代物だし」


そして、返事する間もなく、そのタロットカードを凛子に押し付けると、男はさっさと店の中に入っていった。


「タロットカード、ひかるさんもやってたんだ。……これ、トランがもらいなさいよ。あなたカード使ってるし」


「……いや、見たら思い出しちゃって、しんどいから僕はいい」


「何よ、意気地なし」


「……意気地なしでいいさ」


ひかるの死以来、トランの心は晴れなかった。

その意気消沈した様子は、一向に変わらない。


──このままずっとお葬式モードで占いを続けるつもりだろうか?


凛子は肩をすくめて、カードをそっと自分の鞄に忍ばせた。



帰り道の電車の中。


隣で眠るトランを横目に、窓から漏れるオレンジ色の光でカードをかざし、一枚一枚確認していた。


(ひかるさんは四十三歳、ミゾグチさんは確か二十五歳。十八歳差か……もしかして親子の線もありえなくはないのかしら?)


歌舞伎町は訳アリの人間が多い場所だ。

そして、ひかるさんも例外ではなかったらしく──


店の人も彼の出身や家族のこと何ひとつ知らないって言っていた。


調べたくても調べようがない。


大事な何かが隠される気がするのに! 歯がゆい!


――警察や探偵でもなければ、そうそう他人の素性まで分からないか。


「ん?警察?」


凛子は、少し考えたあと、小さく笑みを浮かべた。



──そのころ、水沢家


薄暗いリビングで、三郎はひとり、夕飯を食べながらテレビを見ていた。


つけっぱなしの画面では、奇妙な特集が流れていた。


「あの伝説の霊能一族【御蔭池家】がグッズ販売? 話題のスピリチュアルビジネスに迫る――」


番組名を耳にした瞬間、三郎の箸が止まる。

息を呑み、画面を凝視した。


商品に付けられた『御蔭池家の紋章』――


それは、本物とは程遠く、安っぽくて低俗な代物だった。


「誰が、こんな真似を……」

三郎は静かに箸を置き、そっと目を閉じた。


「楓子……お前も、もう気づいてるんだろ?」


静かな部屋に、テレビの音だけが流れていた。

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