第五話 「白いワンピースの女」
──占い処 『加恋』
凛子たちが加恋に着くと、複数の警官が慌ただしく現場検証をしていた。
月ヶ瀬は頻繁にあたりを見回し始めた凛子の様子が目につき、すかさず「おい、勝手に動くな。大人しくしとけよ」と、声をかけた。
しかし凛子は、その言葉を聞き流すように、通りかかった占い師に軽く会釈し、ためらうことなく声をかける。
「今回は本当にご愁傷様でした。実はこのお香をキサラさんから頂いたのですが、こんなことになってしまって……。どこで販売しているかご存じですか?」
月ヶ瀬は、凛子のその大胆な言動に、言葉を失った。
この女、どこまでが演技で、どこまでが本気なのか――。
「ああ、それね……あなた他店の占い師?」
はい、と凛子が答えると、“香”をちらりと見、そのあと値踏みするように凛子を眺めた。
「うちに出入りしてる業者が置いてったやつよ。やたらと気前がよくてね。上品な香りだし、うちにも愛用してる占い師が何人かいるわ」
そう言って、スタッフルームのテーブルにある重厚につくられた豪華な小箱を指さした。
中を開けると、凛子が持っているピンクの香と同じ形のものが、ずらりと並んでいる。
ただし、色が違う。凛子は承諾を得て、ひとつ手にとった。
──匂いは近いみたいだけど、なんだか以前よりすっきりしてる。より“草木のような香り”ね。
──それに……。
(たしか、前に来たときはテーブルにそのまま置かれてたはず……)
凛子はそっと小箱の蓋を閉じ、占い師に問いかけた。
「その業者さんって、次はいつ頃いらっしゃるか、ご存じですか?」
占い師は“右上”を見ながら少し考えるそぶりを見せて口を開く。
「だいたい2週間に1回くらいは来るんだけどね。この前、キサラが亡くなる前日に来てたから、次は当分先じゃないかしら」
“右上を見ながら話す”――それは“嘘をつくときのしぐさ”。
目の前の占い師に、多少警戒しながらも凛子は表情ひとつ変えず会話を続けた。
「そうですか……すぐに買いたかったんですけどね……」
凛子の肩の落とし方があまりに自然で、月ヶ瀬は感心した。
(やっぱりこの女、ただ者じゃないな……)
そして、占い師は、立てかけてあったショップカードを手に取り、一枚抜き出して、凛子に差し出した。
「これ、そこのお店のカード。ここに連絡すれば、きっとあなたのお店にも来てくれるわよ」
凛子は「ありがとうございます!」と丁寧に頭を下げて、そのカードを受け取った。
占い師がその場を去り、姿が見えなくなったころ、月ヶ瀬が凛子に声をかける。
「何、勝手なことしてるんだっ!……で、その業者を知ってどうしようっていうんだ?」
月ヶ瀬が険しい顔で凛子を問い詰めるが、凛子自身はどこ吹く風。微動だにせず答えた。
「たぶんその業者っていうのが先日ミゾグチさんの荷物を取りにきた女性ですよ。きっと警察に見つかってほしくないものもあったんでしょうね」
そして、凛子はあたりをしきりに嗅ぎまわり、壁に鼻を近づけて何かを探した。そのあと、持っていた“ピンクの香”を再度取り出した。
「──分かった。刑事さん、これを調べてください」
「……その“香”を?なぜだ?」
「この店内に残っていた香りで、確信しました。
おそらく、これには微量の【阿片】が混ざってます」
その言葉に月ヶ瀬の表情が、一瞬にして引き締まった。
界隈でよく出回っているのは、阿片由来のモルヒネやコデインを化学的に加工した【ヘロイン】などのドラッグだ。
だが、【天然の阿片】をそのまま使用するケースは、1980年代の日本では極めて珍しい。
ということは……。
「マフィアが関与している可能性も高いかも?」
凛子は、まるで月ヶ瀬の思考を読んだかのように話した。
昭和末期。
バブル前夜の港町中華街には、飲食店や貿易業者、漢方薬局、輸入雑貨屋などが立ち並び、金も人も物も、あらゆるものがごった返す街に、治安の緩みと影が混じり合っていた。
あの香り。
バニラのような甘さ。
焦がしたカラメルのような香ばしさ。
そして、奥底には腐った果実のような重たく湿った気配――
それは身体の奥まで染みつくような、異様な甘さだった。
凛子もかつて一度だけ中華街の裏通りで嗅いだことがある。
凛子は、その匂いの正体を確かめたくて、店内を歩き回っていた。
すると、わずかにうっすらと、中華街の裏通りで嗅いだことのあるあの匂いが残っているのを感じた。
「しかし、ミゾグチやキサラの部屋にあった香からは阿片なんて成分出てこなかったぞ?」
月ヶ瀬は眉間に軽く皺を寄せながら言った。
「きっと色々種類があるんですよ。阿片が入ってる“香”、消臭成分多めの“香”……」
──おそらく阿片入りの“香”はお客用だろう。
微量なので薬が体に残ることはないが、“阿片無”のものよりは明らかに「暗示」をかけやすいだろう。
「まあ、とりあえず、これも早く鑑識に回してください。そして――女を誘き寄せましょう」
「女?」
「そう、ドマーニに荷物を取りに来た“女”ですよ!きっとあの人が、“香の業者”だと思います」
凛子の言葉に、月ヶ瀬は再び眉間にしわを寄せ、ぽりぽり頭をかいた。
――確かに、聞けば聞くほど、その女は怪しい。だが……
「“香の業者”と“あの女”を結びつけるのは、ちょっと飛躍が過ぎるかもな――」
月ヶ瀬はまだ納得がいかない様子だったが、凛子の中には、どうしても女に対して拭えない不信感があった。
もちろん、それは【見通占】の結果だけではない。
足元はわずかにふらつき、意識もどこかぼんやりしていたように見えた。
“泣きそうな顔で笑う”――身体のどこかに不調がある兆しとされている相占の教えだ。
それに、相手が化粧をしていなかったからこそ気づけたが、唇は明らかに黒ずんでいた。
食事が偏っているのか、それとも、身体に合わない「薬」を服用しているのか──
いずれにしても、体に重大な変調を来たす兆しだ。
女が着ていた“白いワンピース”。
その色合いが、かえって不健康さを際立たせていた。
何よりも、あの染みついた香り――。
関係者に違いない。
――そして、浮かんだ言葉は『麻薬中毒』。
彼女は、もしかして──!?
このことは、伝えておかなければならない気がした。
(この刑事さん、口は悪いけど……話せばちゃんと聞いてくれる人かも)
「――もう少し、私の“鑑定結果”を聞いてもらえますか?」
そう言う凛子の真剣なまなざしに、月ヶ瀬は引き寄せられるように、静かにうなずいた。
⁂
──車内
外は再び大雨。
月ヶ瀬がハンドルを切るたびに、激しい雨が車体を揺らすように叩きつけてくる。
凛子と月ヶ瀬は話し終え、しばらく静寂が車内に流れた。
音量を下げていたラジオの向こうで、遠い街の天気予報が静かに流れている。
月ヶ瀬は、そのダイヤルをゆっくりと回し、音量を上げた。
雨音は時折大きくなり、ラジオの音はかき消され、正直会話するのも厳しい状況。
……まあ、もういいか。
何を言っても、全てこの雨音にかき消されてしまいそうだ。
「本署まで付き合わせて悪いな」
月ヶ瀬は運転しながら、ぽつりとつぶやいた。
凛子は片耳をふさいで月ヶ瀬の声に耳をかたむけ、少し声を大きく「あ、はい、大丈夫です。この雨じゃお客さんも少ないだろうし」と答えた。
そのせいか、早く店に戻らねばという焦りもなかった。
車内に流れるこの沈黙が──なぜか、心地いいような。
ちょっと気まずいような……?
(何だか、この人は妙な安心感を覚えるとこあるんだよなあ。年上だからかな?)
そんなことを考えながら車窓に目をやると、ふいに【白いワンピース】が視界をかすめた。
「え……?」
凛子は目を凝らす。
信号が赤に変わったとき、月ヶ瀬も凛子の様子に気づいた。
「どうかしたのか?」
「いや……あの白いワンピースの……」
そこには、【白いワンピース】の少女がぽつんと軒先に立っていた。
年頃は十代半ばくらい。
少女も凛子を見ていた。
「なんか、あんたに似てるな。妹か親戚か?」
月ヶ瀬の言葉に凛子は首を横に振り、視線を正面に戻した。
「知らない子みたいです」
そして、車は静かに走り出し、少女の姿は後方へと遠ざかっていった。
そこに、ラジオから一本のニュース速報が流れる。
「四十代らしき白いスーツを着た金髪の男性が血を流して倒れているのを近くの住人が発見しました」
その特徴に、凛子は思わずラジオの音量を大きくした。
「男性は車で轢かれた跡があり、すぐに病院に運ばれましたが、まもなく死亡したとのこと」
月ヶ瀬は運転しながら「お、都心の方か」とつぶやき、凛子にも声をかけたが、凛子は声にならず動揺で下を向いた顔を上げることができないでいた。
……嫌な予感しかしない。
凛子は胸元を押さえ、静かに息を整えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます