第二話 「占いは推理のあとで」

──ドマーニの朝


「あいつは前から怪しいと思ってたんだよ」


営業ができず、がらんと静まり返った店内。

立ち入り禁止のテープが外された待合室の片隅で、トランと凛子はコーヒーを飲み、まどろんでいた。


待合室にあるきらびやかなインテリアは、オーナーである陽子の趣味ですべて揃えられていた。


なので、占い店とは思えない、場違いな豪華さが店内に漂っている。


また、このインテリアはトランによく映える。

染めなくても明るい栗色の髪に、ヘーゼル色の大きな瞳。

母親がイギリス人ということもあり、いかにも女性客が好みそうな“王子様像”そのものだった。


ここでよく写真撮影も頼まれていた。


とはいえ、ぐるぐる巻かれた禁止テープと、「ここで人が死んだ」という事実ですべて台無しだが――。


トランは、ド派手なロココ調ソファに深く腰かけ「別に死んだやつのこと悪く言う趣味は無いけどさ」と半分飲んだコーヒーをサイドテーブルに置き、ミゾグチが倒れた場所を見つめた。


凛子は首をかしげながら「怪しいって、何が?」とトランに尋ねる。


「いや、ねーさんなら分かるでしょ? どういうふうに怪しいってのはさ」


確かにミゾグチは、不思議な男だった。

誰にでも愛想がよく、占い師仲間にも気さくに声をかけていた――にもかかわらず、彼の本名も、年齢も、住まいすら誰も知らなかった。


とはいえ、“占い師”には色んなタイプの人間が集まる。


身分を明かしたくない人間がいてもさほど珍しいことではない。


よって、凛子にとって、ミゾグチは同じ店で働く、いち同僚にすぎない。


とはいえ、同じカードを使う者同士、トランには何か感じるものがあるかもしれない。


凛子は頭の中で水のように流れる思考を整理するかのように、額の端を人差し指でトントンと数回叩いた。


(ミゾグチさんってどんな色の【気】をしてたかしら?)


無言になった凛子をトランは「また始まったよ、ねーさんの考え込む癖」とつぶやき、改めて大きな声で尋ねた。


「ねーさんはどう思うわけー?生年月日も分かったんだから、推命的に分かることとかあるでしょ?」


トランの言葉に凛子は我に返り、持っていた小さい手帳を開くと、走り書きしたミゾグチの鑑定結果を見ながら「まあ、性質的に言うと、この辺に「土」があるから、考えは鈍るよね。地頭はいいんだけど、何かと姑息になりやすいって感じ?今年は戊辰年だし、今の運気も彼には動きが激しい【冲】になってるから、持ってたトラブルは悪化する傾向にあるかな。それが死を招くほどのものかと言えばそうでもないと思うけど……」「ほらっ」と言ってノートをトランに見せた。


「できれば、おうちも風水でも見てみたいな。絶対無理だと思うけど。でも確実に部屋にも異変があるはずなんだけどな!」


堰を切ったように話し始めた凛子を見て、トランは口元を緩め、小さくクスリと笑った。


「ねーさんってホント命術好きだよね。勘もいいし、カードもできるんだからさ、そっちでもっとお客取ればいいのに」


凛子はノートをパタンと閉め、再びコーヒーを手に取り、いっきにぐいっと飲み干した。


「推命とか風水はね、“数式を解く”って感じが何ともいえずスキッとして面白いのよね」


凛子はトランの方を向き、目をキラキラさせながらいった。


「ねーさんってそういうとこあるよね。頭フル回転系っていうかさ、数式みたいに問題解いていくのが好きって感じかな?」


「ふふ、どうなんだろね。でもそういうとこあるかも?“水”タイプに“金”が巡ると数字に強くなるし、学生の頃は数学得意だったし!」


「いいなあ~、何かカッコイイ~」


ふたりの笑いがこぼれ始めると、先ほどまで曇り空のように薄暗かった休憩室にも明りが灯ったように暖かくふんわりとした空気が流れた。


その直後、凛子は仕切りの隙間から、ひらりと揺れる人影に気づく。


「え……ひかるさん?」


凛子は立ち上がって、仕切りの隙間から店の奥にあるスタッフルームを覗き込んだ。


すると、部屋の前でホストクラブオーナーのひかるが、落ち着かない様子でウロウロしているのが見えた。


(一般客が入れる場所じゃないのに……)


店の入り口から奥に進んだならば、入口付近にいた自分たちも気づくはずだ。


──ひかるはどこから入店したのか?


凛子は眉間にシワを寄せながら、元いた場所まで戻ると様子に違和感を感じたトランが声をかけた。


「どうしたのさ?眉間にシワなんか寄せちゃって」


不思議そうにのぞき込むトランに、凛子は言葉を返した。


「あのね、さっき──」


そう言いかけた時、入口から荒々しい足音が近づいてきた。


「若いもん同士、いちゃついてるとこ悪いな」


やってきたのは、三日連続でドマーニに顔を出している刑事、月ヶ瀬だった。


その後ろで吉野は「ごめんなさい、またお邪魔しちゃって」と言って、小さく笑顔で会釈した。


「いけない!」凛子はすぐに再び立ち上がって奥の方をのぞいたが、その時にはひかるの姿はもうなかった。


安堵と疑問を抱えながらも、凛子は気持ちを切り替えるように背を正し、毅然とした態度で応対した。


「知らないと思いますが、命術ってのはそんなすぐ結果が出るわけじゃないんですよ。とはいえ、ヒントは……」


凛子は喉元を人差し指で指し、「ここまで出かかってるんですけど……」とじれったそうに月ヶ瀬たちに見せた。


「小娘の推命だか占いだかは、最初から当てにしておらん! それより、ミゾグチが借金してたのは知ってるか?」月ケ瀬はそう吐き捨てると、束になっているミゾグチ宛ての請求書や督促状を二人に見せた。


それを見て、凛子とトランは顔を見合わせる。


「いや、知らなかったけど……でも、分かる。金遣いが荒そうっていうか」


続けてトランは言いにくそうに「悪いけど、前はホストやってたんだろ?何かと派手なイメージしかないっていうか」といった。


その言葉に、凛子は小さく目を見開くと、すぐにトランに向き直り、前のめりに詰め寄った。


「ミゾグチさんって前はホストだったの?じゃあもしかして、ひかるさんのお店で働いてたとか?」


凛子の言葉に、トランはきょとんとした表情で首を傾げた。


「ひかるさん?ああ、確か、ホストクラブのオーナーだっけ?……でも、知り合いって聞いたことないし、話してるとこも見たことないし」


トランはそう言って「知り合いじゃない」と言わんばかりに片手をブンブンと勢いよく降った。


「実はさっきひかるさんが──」


先ほどのひかるの行動をトランに伝えようとしたが、会話に入れない月ヶ瀬が気まずそうに天井を眺めているのが目に入る。


(ここで話しちゃって、ひかるさんが警察にマークされちゃったら大変だわ!)


調書を書きながら「その方がどうしたの?」と、吉野が口をはさんできた。


笑顔ながら、目には鋭さがある。


──さすが、警察官だ。


凛子は視線をさまよわせながら、咄嗟の言い訳を考えた。


「──そのお客様が、トランの好物差し入れするって言ってたんです」


その言葉を聞いたトランは両手を上にあげてガッツポーズをし「やった~次は何だろ~?」と無邪気に喜んだ。


その様子に凛子はホッと胸をなでおろす。


そして、ピーンと閃いた凛子は、それまでとは打って変わって、ハツラツとした表情で月ヶ瀬たちの方へ振り返った。


「そうだ!スタッフの更衣室に行ってみます?ミゾグチさんのロッカーの中に何かヒントになるものが残ってるかもしれませんよ!」


「ああ、そりゃ助かる」


「是非、お願いするわ!」


乗り気になった警官達を見て、ほっと安心した凛子。


そして、持っていたコーヒーカップを静かにソーサーに置き、立ち上がりざまにトランに向き直った。


「トランも一緒に行こ! どうせ暇でしょ?」


「だよねー」とトランは言って、すぐに立ち上がった。


月ヶ瀬たちもそれに続き、四人はそのまま更衣室へ向かった。



更衣室に着くと、凛子は月ヶ瀬をミゾグチのロッカーの前まで案内した。


「鍵はしてないと思うんだけど」そう言って、ゆっくりロッカーの扉を開くと、高級そうなスーツが所せましとぎゅうぎゅうに詰まっていた。


「あと、これは……」そう言って、凛子はボロボロの段ボールを奥から取り出し、中にあった大量のアクセサリーを見せた。


「これはお客さんに売る用。店としては個人売買は禁止なんだけど、ミゾグチさんはこっそりやってたみたい。まあ、バレバレでしたけどね」


色とりどりの石をあしらったアクセサリーは、目を引く華やかさを放っていたが、どこか安っぽい軽さも感じさせた。


「こういうのって、元手も結構かかるでしょ? 小売店がうちの店まで集金に来てたけど、そのたびに逃げてたって話も聞いたことあるし」


ブレスレットを何個か腕に通して「こんなんで幸せになれるなら、苦労しませんよね?」凛子は皮肉まじりでそう言った。


月ヶ瀬はそのブレスレットについてる値札を手に取って、思わず目を見開く。


「これが二万円!? ぼったくりもいいとこだな!」


「くだらん。」そう言って、月ヶ瀬は手にした何本かのブレスレットを机の上に放った。


吉野は呆れた様子で「まあ、そうやっきにならないで」と、そのブレスレットをひとつづつ慎重に片付けだした。


凛子はその片づける手元のブレスレットをぼーっと見ながら、ぽつりと漏らした。


「他の占い師からもお金を借りてたって話も、聞いたことあるなあ」


ミゾグチは、店では自然に溶け込んでいた。

だが、その笑顔の奥には、どこかキナ臭いものが漂っていた。


「何だって?じゃあ、金で揉めてた可能性も高いか。それでこの女が犯行に及ぶことも……」


しかし、凛子は頭をかしげる。


「そうですか?それはあまりピンと来ないですねえ。“そんな相”は出てないですし」


それを聞いた月ヶ瀬は、思わず凛子の肩をぐいと引き寄せ、ドスの利いた声で問いただした。


「何か知ってるのか?」


ためらいもなく肩を掴まれ、躊躇無しに顔を間近に寄せられた。 凛子は、その無礼な態度に対し、キッと強い意志を込めて月ヶ瀬を睨み返した。


「異性に勝手に触れるのは“セクハラ”ってやつですよ! これからの時代、気をつけてくださいね!」


そう言って両手で月ヶ瀬の体を思いっきり押し返した。


「セク……?なんだそれ?……いや、スマン。ちょっと我を失った」


吉野がすぐに「ああもう! 凛子さん、ごめんなさいね!」と言い、月ヶ瀬をさらに後ろへ引っ張った。


凛子は吉野に「大丈夫です」と伝え、落ち着きを取り戻した。


(時代遅れの刑事には、ちょっと気をつけなきゃいけないわね)


今後はむやみやたらに占いの話をするのは控えようと心に誓う凛子であった。



気を取り直した凛子は、再びミゾグチの備品を漁りはじめた。


──あの日、ひかるさんがウロウロしてた原因も分かるかもしれない。


そんな思惑もあってか、荷物を漁る作業にも気合いが入る。


やがて、その中から棒状の固形物を見つけ出したので、そっと鼻を近づけた。


「へえ、こんなものまであるんだ」


月ヶ瀬も、まじまじと見入った。


「これは何だ?」


あらゆる角度から眺めたり、匂ったりする月ヶ瀬に、トランが声をかける。


「ああ、それ、インドの“お香”ですよ。」


「香って、仏壇にあるやつか?」


「うん、そう。でも、インドではもっとカジュアルに使われてるし、種類も多いんですよ」


トランたちの会話に耳を貸すことなく、凛子は何本かの香を取り返し、目を輝かせた。


「聞いてはいたけど、実物は初めて見た! ねえ、一本火をつけてみましょうよ! こんなにあるし!」


香を片手にライターを探し始める凛子。


「おい、それも重要な参考資料になるかもしれないんだから、勝手なことするなよ」


月ヶ瀬は「やれやれ」と小さく吐き捨て、呆れた表情で凛子を制した。


そして、香を取りあげようとした、まさにその時――


警官が数人、休憩室に駆け込んできた。


ひとりの警官が一番近くにいた吉野に耳打ちする。


吉野は目を見開いて、凛子たちを背に、すぐに月ヶ瀬に知らせた。


「……何!? 被疑者の女が死んだだと!?」


これでまた、事件は迷宮の深みへと沈んでいきそうだ――。



ドマーニを出て、通りを南へ二~三分ほど歩くと、淡いパステルカラーを基調にした看板が見えてくる。


──占い処 加恋


規模はドマーニよりも大きく、最近急激に客が増えてきたと噂の店舗だ。

週末などは、店舗の待合室に入りきれない客が列をなすこともある。


オーナーは国外に住んでいるという話で、受け付けにはいかにも“雇われ”という感じの物静かな店長がいるだけ。


実際の運営は、ベテランのキサラが仕切っていたとも言われている。


「ところで、なんであんたらもいるんだ?」


月ヶ瀬は両サイドにいた凛子とトランに向かってそう言った。


──結局、女が死んだことなんて、すぐにバレちまったけどな。


前を歩いていた吉野が振り返りざまに、「まあ、いいじゃないの。私が責任持つわ」と、彼を諭すように言った。


「だってねえ、気になるじゃないですか~危なくてうちの店も営業できなくなるかもしれないし~」


月ヶ瀬の真横にいたトランは甘えた声で、自分よりずっと背の高い彼を上目遣いで見上げた。


(ったく、なんだこいつは……女みたいな顔しやがって)


月ヶ瀬は、そう心の中で毒づきながら、そっと体をずらした。


一方、凛子は壁にある館内マップに八角形の定規を当てながら、何やら熱心に書き込んでいる。


「あんたは何やってるんだ?」


「念のため、ちょっと風水を──ちなみに私が今やってるのは【玄空飛星派風水】ってやつ。香港では主流だけど、日本じゃまだ珍しいかもしれませんね」


凛子はそう言って再びガリガリとペンを走らせた。


……“占い”か。どこまで本気で信じりゃいいんだろうか。

だが、何となく気になるような──。


(まあ、俺の中にも多少はそれっぽい血が流れてるしな)


月ヶ瀬はネクタイを軽く締め直した。乱されたペースをリセットするように、彼は再び冷静な刑事の顔を取り戻す。


「好きにしろ。ただし、邪魔はするなよ」


そして、二人に「俺から離れるなよ」と声をかけ、キサラのブースへと足を向けた。


凛子はハッと気づいた。その先から漂う「気」が、黒とも紫とも言えぬ、濃密な湯気となって立ち込めていることに。


──案内されなくても、どの部屋か検討がつく。


凛子はゆらゆらと揺れる気配を眺めながら月ヶ瀬の後についていった。


吉野はその様子を時折振り返りながら注意して見ていた。


「この部屋だ」


現場である場所はブースと言うより、ちゃんとした「部屋」で、キサラが他の占い師よりも明らかに優遇されていたのがよく分かった。


それにしてもこの匂い……

香かしら?


「ここから先はやめとけ。夢に出るぞ」


トランは、その言葉にぎょっとして素直に元いた場所に戻ろうとしたが、服の袖を凛子に掴まれた。


凛子は頭を横に振って「大丈夫です! 占い師は案外、心臓図太いので!」と言い放った。


「でもね、凛子さん、そんな安易なものじゃないのよ」


「本当に大丈夫なんで、お気になさらず!」


凛子のきっぱりとした強い言葉に吉野と月ヶ瀬はお互い見合わせて、完全に諦めたような表情をした。


そして、月ヶ瀬は二人に「ついてこい」と伝え、部屋のさらに奥へ入っていった。


──キサラの部屋


どれだけ焚いていたのか、尋常ではない量の白いモヤが部屋に残っている。


「月ヶ瀬警部、凶器が残されたままでした」


さすがにすでに顔は覆っていたが、手元からちょっと外れたところに生々しい大量の血の上にピンク色の剃刀が転がっていた。


その報告に月ヶ瀬は、何かを確かめるように部屋を見渡し、「争った様子はないようだな」と、ぽつりとつぶやいた。


月ヶ瀬の一言を受けた警官は、さらに説明を続ける。


「凶器に残っていたのは、死亡された本人の指紋だけでした。現時点では、自死されたのではないかと思われます」


──自殺……?わざわざ占い店の自分の部屋で剃刀を使って?


不自然な空気に、凛子の頭がざわついた。そんな彼女の肩に、吉野が後ろからそっと手を置いた。


「大丈夫?気持ち悪くなったらすぐに外に出ましょうね」


そう言う彼女の手があまりに暖かくて凛子の緊張の糸が少しほぐれた。

そして「吉野さん、彼女が自殺する動機って何でしょう?」と切り込んで問いた。


凛子の質問に、吉野はしばらく考えると「ちょっと待っててね」と遺体近くの警官に尋ねた。


「確認したところ、先日死亡したミゾグチと、口喧嘩しているところを何人かに目撃されているようです。彼女が部屋に入ったのを確認されたのは死亡時刻30分ほど前。その前後に部屋に入った者はいないと報告を受けています。他に接触する手段もなさそうなので、おそらく──」


警官の報告に吉野たちが何度か頷くと、月ヶ瀬はすぐに視線を遺体に移した。


「なるほど。そうなると自ら命を絶った線が濃厚と言えるか」


彼は遺体にかけてあるカバーを少しめくった。

白い衣装は血で染まり、相当苦しんだのか、顔には自ら引き裂いた跡が残っている。


苦悶の表情を浮かべたキサラの遺体に、彼は片手を軽く顔の前に添え、黙祷するように目を閉じた。


そこへ、もう一人の警官がやってくる。


「ミゾグチの司法解剖の結果ですが、何かしらのアレルギー反応が起き、それが引き金となって心肺停止に至ったとのことです」


「アレルギー反応? 食い物の中毒か何かか?……でも、胃の中は空っぽだったよな」

月ヶ瀬は首をかしげる。


「ミゾグチさん、ちょっと重めのアレルギー体質だったんじゃないかしら」


「体質……?」


「漢方を出す医者も同じことを言うわ。あの生年月日だと肺と呼吸器と腸に弱い。肺が弱ければ皮膚も弱くなるわ。となると粘膜も弱いわね。そうね、何か鼻から吸い込んだものが原因かもしれない。たとえば――“香”とか?」


凛子はそう言い切ると、月ヶ瀬をまっすぐに見つめ返した。


――ミゾグチが吸い込んでしまったものに死の原因が!?

月ヶ瀬はそれ以上の言葉を飲み込み、すぐに本署へと戻っていった。


「ちょっと……!」と、吉野が後を追おうとしたが、凛子たちが目に入り、彼女たちを部屋の外まで出した。


そして、凛子の正面に立った吉野は、そっとかがみ込み、「じゃあ署に戻るけど、何か気になることがあったら教えてちょうだいね」と言って、肩に手を置いた。


凛子が「はい、ありがとうございます」と答えると、安心したようにうなずき、何人かの警官を連れて店を後にした。


「なんか、あの女のおまわりさん、ねーさんにだけ特別扱いしてない?」

と、不満そうにトランがつぶやく。


「いや、気のせいでしょ。同性というのもあるし」


吉野からは「悪い気」はまるで感じられない。

あるのは、柔らかなオレンジ色の光のような「母性」だけだ。


「もしかして、娘さんがいるのかもね」


「ああ、そういうことなら分かるかも! ねーさん、どう見ても中学生くらいにしか見えないし!」


トランがおどけてそう言うと、凛子は少しムスッとした顔をしたが、「言われ慣れてることだしな」と気持ちを静めた。


吉野の対応は、凛子にとっても心地よいものだった。

遠い母の記憶と感覚を呼び起こされるようで、どこか懐かしく、温かかった。


ほどなくして、凛子はトランは店を出るためカウンターにいる店長に一礼した。


その瞬間、長い前髪の奥から覗く店長の目と、凛子の視線が一瞬だけ合った。


――本当にキサラの言いなりになっているような「大人しい」店長なんだろうか?


30代ぐらいの中肉中背。

はっきりと「気」が読み取りにくい。

一見、何てことない普通の青年。


しかし、凛子はその目の奥に燃える野心じみた炎が、妙に印象に残った。

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