第3話 真実
待ち合わせ場所は、駅前の小さな喫茶店だった。
午後の光がカウンター越しに差し込み、ほこりの粒が金色に揺れている。
香織は先に着き、冷めかけたアイスコーヒーにストローを回していた。
扉が開く音。振り向くと、そこに紗英が立っていた。
「・・・こんにちは。」
「あら、本当に来たのね。」
香織の声は冷たかった。
だが、心の奥では鼓動が速く打っている。
紗英は落ち着いた様子で向かいに座り、静かに言った。
「ありがとう。来てくれて。」
「それで? 何を話したいの?」
紗英はしばらく黙ってから、小さな封筒を差し出した。
「これ、手紙。読んでくれてもいいけど・・・直接話した方が早いかも。」
「手紙?」
香織は眉をひそめた。
「あなたが私にしたこと、なんとなく分かってる。会社に送られた匿名メールも、
SNSの噂も。調べたら全部、あなたの周りから出てた。」
香織は笑った。
「証拠もないのに、そんなこと言っていいの?」
「いいの。責めるつもりじゃないから。」
「・・・何?」
「あなたがどんな気持ちでそうしたのか、知りたかったの。」
香織の笑みが凍る。
「知りたい?あなたに奪われた気持ち分かる?婚約者に裏切られた女の気持ち」
紗英は俯き、小さく頷いた。
「分からない。でも、あなたが苦しんでたのは想像できる。
・・・私も、苦しかったから。」
「あなたが? 加害者のくせに何を──」
「違うの。私、まだ悠真のことが好きだった。でも、何もできなかった。
彼が結婚って聞いたとき、ちゃんと気持ちを終わらせたくて連絡したんです」
香織は沈黙した。
紗英の声には嘘の響きがなかった。
それが余計に腹立たしい。
「会って、話して、昔のことにケリをつけたかった。でも・・・見てたのですね」
香織の手が震えた。
「じゃあ、あの日。あのカフェで笑ってたのは何?」
「懐かしかったのよ。私も彼も、思い出に縛られてた。でも、それだけ。」
香織は目を逸らした。
怒りが、悲しみに変わる瞬間を自分で感じてしまうのが怖かった。
「・・・それならどうして黙ってた?“彼女がいるから連絡しないで”って言えたでしょ。」
「言えなかった。臆病だったの。私も、あなたの彼も」
そのとき、店のドアが再び開いた。
低い声が響く。
「香織・・・紗英・・・」
悠真だった。
二人とも驚いて顔を上げた。
香織は立ち上がり、硬い声を出す。
「何でここに?」
「紗英から連絡をもらった。全部話すべきだって」
香織の瞳に怒りが走る。
「私たちの問題よ。あなたが口を挟むことじゃない」
「違う。俺が一番悪い」
悠真は席に座り、まっすぐ香織を見つめた。
「最初に言わなきゃいけなかった。
紗英から連絡が来た時点で、お前に話すべきだった。でも、失うのが怖くて、
嘘をついた。」
「怖くて?」香織が鼻で笑う。「それで、私を傷つけたの?」
「・・・本当に何もなかったんだ。
手を握ったのは、あの時・・・ただ“もう終わりだね”って言葉を交わした
瞬間だった。」
香織は言葉を失った。
彼の表情が、誠実な苦悩に満ちていたからだ。
紗英も頷く。
「私が、ちゃんと断ち切れなかったの。ごめんなさい。」
三人の間に、沈黙が落ちた。
カップの氷が静かに音を立てる。
香織はゆっくりと座り直し、声を震わせながら言った。
「ねえ・・・私ね、あなたたちを壊したかったの。どんな形でもいいから。
痛みを分けてほしかった。」
「分かるよ」
悠真の声は穏やかだった。
「でも、壊した先には何も残らない。俺たち三人、同じように迷ってただけだ」
「きれいごとね」
「きれいごとでもいい。香織、俺はお前とちゃんと向き合いたい」
香織は目を閉じ、深く息を吐いた。
心の中に、ずっと燻っていた怒りが少しずつ形を変えていく。
憎しみではなく、疲労に近い感情。
紗英が席を立ち、封筒を香織の前に置いた。
「これ、読んで。全部、正直に書いた。
私が何を思って、どうしてあんなことをしたのか」
香織は受け取ったまま、何も言わなかった。
紗英は軽く会釈し、店を出て行った。
残されたのは、香織と悠真だけ。
悠真は小さく呟いた。
「もし、もう一度チャンスをくれるなら・・・俺、本気でやり直したい。」
香織は返事をせず、ただ手紙を見つめていた。
封筒の角に、紗英の字で小さく書かれていた。
“赦すことは、弱さじゃない。愛を信じる力だと思う。”
香織はその言葉を見つめながら、そっと目を閉じた。
涙が静かに頬を伝った。
復讐で失ったものの大きさを、今さら思い知る。
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