第11話「黒竜レギウス」

 カイル様が僕に城の散策を許してくれてから、僕は日課のように中庭を歩くようになった。

 手入れの行き届いた庭には、北国らしい素朴ながらも力強い花々が咲いている。その景色を眺めているだけで、心が和んだ。

 そんなある日、僕は中庭の隅にある、ひときわ大きな区画がいつも空いていることに気づいた。そこだけ、まるで何か巨大なものがいつもいるかのように地面が固くならされている。

『ここは、何に使われているんだろう?』

 不思議に思っていると、背後から低い声がした。

「そこは、レギウスの寝床だ」

 振り返ると、カイル様が立っていた。

 レギウス。その名前に、僕は息を呑む。

 それは、カイル様の相棒である、あの黒い竜の名前だ。

「レギウスの…?」

「ああ。日中は森で狩りをしていることが多いが、夜はここで休んでいる」

 つまり、あの恐ろしくも美しい竜が、毎晩この場所にいるということか。

 僕が固まっていると、カイル様は「会ってみたいか」と尋ねた。

「えっ…で、でも、危険では…」

「お前には、手出しはしない」

 その言葉には、絶対的な確信がこもっていた。

 カイル様は空に向かって短く口笛を吹いた。すると、遠くの空から一つの黒い点が急速に近づいてくるのが見えた。

 あっという間に、それは巨大な竜の姿となり、轟音と共に僕たちの目の前に降り立った。

 黒竜レギウス。

 間近で見るその姿は、想像を絶する迫力だった。漆黒の鱗は硬質な輝きを放ち、黄金の瞳は鋭くこちらを見据えている。僕など、一飲みにされてしまいそうなほどの巨体だ。

 思わず後ずさりそうになる僕の肩を、カイル様がそっと支えてくれた。

「大丈夫だ」

 彼の静かな声に励まされ、僕はなんとかその場に踏みとどまる。

 レギウスは、僕の匂いを嗅ぐように、巨大な頭をゆっくりと近づけてきた。鼻先から吐き出される息が、温かい風となって僕の髪を揺らす。

 怖いという気持ちよりも、その神々しいまでの美しさに、僕は見惚れていた。

 やがてレギウスは満足したように一つ低く唸ると、僕の足元にその大きな頭をすり、と擦り付けてきた。

「え…?」

 まるで、猫が甘えるような仕草だった。

 カイル様も、少し驚いたような顔をしている。

「…珍しいな。レギウスが俺以外の者に懐くとは」

 そう言いながらも、その口元はどこか誇らしげに緩んでいるように見えた。

 僕は、おそるおそる手を伸ばし、レギウスの硬い鱗に触れてみた。ひんやりとしているけれど、その下には確かに生き物の温かさが感じられる。

「こんにちは、レギウス。僕はリアムです」

 そう話しかけると、レギウスは気持ちよさそうに目を細めた。

 どうやら、僕は彼に受け入れてもらえたらしい。そのことが、たまらなく嬉しかった。

 それから、僕は毎日レギウスに会いに来るようになった。

 彼はいつも、僕が来ると嬉しそうに喉を鳴らし、頭を撫でさせてくれる。時には僕の膝を枕にして昼寝をすることさえあった。

 カイル様は、そんな僕たちを少し離れた場所から、穏やかな目で見守っている。

「レギウスは気難しい奴でな。俺の母以外の人間を、背に乗せたことはなかった」

 ある日、カイル様がぽつりと言った。

「そうなんですか?」

「ああ。だが、お前なら、きっと大丈夫だろう」

 その言葉の意味は、すぐには分からなかった。

 でも、この最強の騎士と孤高の竜が、僕に心を許してくれている。その事実だけで、僕の心は満たされていった。

 王都では、僕は誰からも必要とされない「出来損ない」だった。

 けれど、ここでは違う。

 カイル様と、レギウス。

 僕を、僕として見てくれる存在が、すぐそばにいる。

 その温かい繋がりが、僕にとって何よりも大切な宝物になりつつあった。

 僕はこの辺境の地で、少しずつ自分の居場所を見つけ始めていたのかもしれない。

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