第7話「不器用な優しさ」

 辺境伯の城での生活が始まって、数日が過ぎた。

 僕は依然として、あの豪華な客間に滞在させてもらっている。

 カイル様は、僕が怪我人であると言って、部屋から出ることを許さなかった。

 毎日、三食の食事が時間通りに運ばれてくる。どれも王宮で出されるような心のこもった温かい料理で、僕は生まれて初めて空腹ではないという満たされた感覚を味わっていた。

 寝間着だけでなく、着替えの服も用意された。シンプルだが上質で、僕の体にぴったりと合うサイズだった。

 身の回りの世話は、年配の侍女がしてくれる。彼女は口数こそ少ないが、その手つきは優しかった。

 あまりにも至れり尽くせりな待遇に、僕は戸惑いを隠せない。

 追放された罪人への扱いとは、到底思えなかった。

『カイル様は、一体何を考えているんだろう…』

 この城の主であるカイル様は、一日に一度、必ず僕の部屋を訪れた。

 彼はいつも、決まって僕の体調を尋ねるだけだった。

「具合はどうか」

「眠れているか」

「食事は摂っているか」

 その問いかけはいつもぶっきらぼうで、声のトーンも平坦だ。

 けれど、僕が「はい、おかげさまで」と答えると、彼はほんの少しだけ表情を和らげるような気がした。気のせいかもしれないけれど。

 ある日のこと。

 侍女が運んできた食事の盆の上に、一輪の小さな白い花が添えられていた。

 それは「月光花」という、夜にだけ咲く珍しい花だった。僕が幼い頃、母の庭で大切に育てていた花。

「まあ、珍しい。この花は城の裏にある温室でしか咲かないのですよ。伯爵様が、特別に摘んでこられたのでしょうか」

 侍女の言葉に、僕は息を呑んだ。

 カイル様が?あの、氷のように冷たい人が?

 まさか、そんなはずはない。きっと、侍女の勘違いだろう。

 それでも、その白い花を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

 公爵家では、僕が花を好きだということなど、誰も気にも留めてくれなかったから。

 その夜、カイル様が部屋を訪れた。

 いつものように体調を尋ねた後、彼は僕が花瓶に生けた月光花に目を留めた。

「…その花、好きなのか」

「え?あ、はい。とても…昔、母が育てていたので、懐かしくて」

 僕がそう答えると、彼は「そうか」とだけ短くつぶやいた。

 そして、そのまま部屋を出て行こうとする。

 僕は、思わず彼の背中に声をかけていた。

「あの、カイル様!」

 彼は足を止め、振り返る。

「ありがとうございます。お食事も、お部屋も…その、お花も。…全部」

 勇気を振り絞って伝えた感謝の言葉。

 カイル様は、少しだけ目を見開いたように見えた。

 彼は何も言わず、ただじっと僕を見つめている。その赤い瞳が、何を考えているのかは分からない。

 沈黙が、少し気まずい。

 僕が何か失礼なことを言ってしまったのだろうかと不安になった、その時。

 彼は、ふい、と顔を背けた。

 そして、ぼそりと、本当に小さな声で言った。

「…気にするな」

 耳が、少しだけ赤くなっているように見えたのは、きっと暖炉の光のせいだろう。

 彼はそのまま、今度こそ部屋を出て行った。

 一人残された部屋で、僕は自分の胸にそっと手を当てる。

 心臓が、トクン、トクンと優しい音を立てていた。

 冷酷非情だと噂される「氷血の竜騎士」。

 でも、僕がこの城で触れた彼は、少し不器用でぶっきらぼうだけど、とても優しい人だった。

 生まれて初めて与えられる温もりに、僕の凍てついた心は、少しずつ、本当に少しずつだけれど、溶かされていくのを感じていた。

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