第7話 契約の代償
「イリーナ! 大丈夫か!?」
俺はイリーナに駆け寄り、傍らに跪いた。
彼女は床にへたり込み、全力疾走を続けた後のように浅く速い呼吸を続けている。顔色は真っ白。汗に濡れた顔の中で、燃える紫の瞳だけがその意思の強靭さを示していた。
「こ、このイリーナ様があれしきでくたばるワケねぇだろうが……! 情報体に掴まれっと体の精気みてぇなモンが抜かれんだよ……! そんだけのこった!」
「喋らないで! 呼吸を整えて!」
ヨーコもいつの間にか隣に来ている。
バックパックから小ぶりのケースを出すと、その中から1本の注射器を取り出した。
ヨーコが注射器を上に向けて軽くシリンダーを押す――中の液体がわずかに噴出。
イリーナの腕を取り、針を刺した。
「いっ……!」
「ガマンして。――どうして戦闘の時はあんなに勇猛なのに、注射は怖いのかしらね」
「こ、怖かねぇよ! ゆっくり針が近づいてくんと何か手が勝手に引けちまうんだよ!」
かわいい。急に女出してきやがってあざといぜイリーナパイセン。
「なに憐れんだような目で見てんだダイチコラァ! イワすぞ!」
「照れてチンピラ語を使うイリーナ先輩、マジキュートっすね。――あれ? 今、俺の事、名前で呼ん……」
「シャあっすぞオラァ! スッぞオラァ!」
「なに言ってんのかわかんねぇ……」
針から逃げるように顔を背けて必死に目を閉じるイリーナ。
慎重に注射器の薬液をイリーナに注入していたヨーコと目が合い――二人で声を殺して笑った。
注射が終わるとイリーナは立ち上がって腕をぐるりと回す。
「あー、なんともなかった。もう2、3本打ってくれても構わなかったのによ」
「――ぶふっ! ……そうですね。さすがイリーナさん。俺だったら泣いてるかもしれませんでした」
「ブッシャラッスゾ、オエェ!」
「ヨーコ。ブレインダウンローダーが効かなくなってきた。もしかして効果時間とかってある?」
「あまりからかうと後で仕返しに遭うわよ」
和気あいあい。前途多難だった謎の世界での生活もなかなか悪くはないのかも――。
「ヘイ! エロいネーちゃんがいんじゃん! オイラにも紹介しろよダイチコノヤロー!」
顔を上げる。ガイコツ顔の情報体――ディメンション・ゼロが宙に浮いてイリーナを覗き込んでいた。
ガイコツの表情なんて常に笑っているように見えるものだが、コイツは今あきらかにニヤついている。
「あんだテメーは」
「おっ! そのはすっぱな物言い――イイですね! 更にエロさが倍率ドン!」
倍率ドンってなんだ。
情報体ってこんなやつなのか? ていうか喋ってるのコイツくらいしか見たことないんだけど。
「あー、さっき契約した俺の情報体です。名前はディメンション・ゼロ」
雑に紹介する。するとディメンション・ゼロは恭しくお辞儀をして、
「ナイストゥーミーチュー、美しいお嬢さん。よかったら今夜食事でもいかが? ワインの美味しい店が――もうネェや! ゲッヒャッヒャッヒャ! ヒャー!」
「コール! アンアース!」
「ちょお待って待って!」
情報体を召喚してディメンション・ゼロを攻撃しようとするイリーナを必死に止める。
「どけダイチ! 野郎はあたしが殺る!」
「殺らないで! 一応あなたを助けた奴なんで! 勘弁してやってつかーさい!」
マジで頼む。お願いだからおとなしくして。
そう願ってディメンション・ゼロの顔を見た。
するとそいつは重々しく頷き、
「アナタになら、殺されてもいい……ワケなかったりなんかしたりしてー! ディヤッハッハッハッハー!」
「頼む、ディメンション・ゼロ! 俺にはこれ以上イリーナを抑えられない! 頼むから静かにしてくれぇ!」
「こおふ! ぶっこおーふ! こーーーぅ! あんあーーふ!」
軽薄チャラ男ガイコツヤロウは全く黙らない。アンアースを召喚されないよう、イリーナの口を塞いでいるのもそろそろ限界だ。イリーナが振り回す拳に顔やら腕やらをボゴボゴに殴られていてもうムリ。痛すぎる。
「あの……さっきは助けてくれてありがとう」
ヨーコ。さすがに落ち着いている。収集つかなくなったこの場を納めようと果敢にもエロドクロに立ち向かっている。
ディメンション・ゼロはヨーコの方を向き、
「おう、嬢ちゃん。あんなザコどもを蹴散らしたくらいでそんな感謝されちゃあケツの座りが悪ぃや。オイラはもっとスゲーヤツなんだからよ」
意外ッ! イリーナに対してはあんなエロムーブかましたくせにヨーコには紳士だ。なんか妙な落語家か江戸っ子みたいな口調になってるが。
「そんなこと。私、一度にあんな大量の情報体を撃退できる情報体なんて見たことがない。あなた、ダイチと契約してくれたんでしょう? 心強いわ」
「えーー!? なにこれオイラ超気持ちイイーー!! なんも言えねぇーー!!」
「紳士なのは一瞬だけかよ!」
敵意は感じない。感じないが――コイツ超うざい!
さっきアツい気持ちでお前と契約した俺の高揚感を返せ!
「んがっ!」
「いてーーーー!」
ずっとイリーナの口を塞いでいた手を思いっきり噛まれ、俺は顔を歪めて絶叫した。
「さっき、イリーナに打ってた注射ってなんだったの?」
「人の自己治癒力を高めて、更にエネルギーを回復させる強壮剤よ」
「俺にも打ってくれないかな? 手がめちゃ痛いの」
「だめ。高いから。そのくらい我慢しなさい」
ジンジンする手を振りながら遺跡を出た。
ディメンション・ゼロはふよふよと浮きながら俺達に着いてくる。ていうかアイツ組んだ両手を枕にして、横になったまま飛んでる。なんかむかつく。
「オメーらのアジトまでどんくらい?」
呑気そうにそう言ったディメンション・ゼロに対してイリーナが食ってかかる。
「マジで着いてくる気かテメェ」
「おうよ。いくらオイラが情報体だからって風呂とか覗かねぇから安心しなエロいネェちゃん。覗くのは着替えくらいだからよ」
「ダイチ! 契約破棄して別の探せ!」
「いやー、コイツ強いし……着替えくらいいいじゃん」
ぬあっ! ヨーコが肘鉄を俺のみぞおちに食らわしてきた! 死ぬ!
ディメンション・ゼロならぬ俺のヒットポイントがゼロに!
情報体との契約の代償。それは――ヨーコからの信頼だったのかもしれない。
「暑い……そして手と腹になかなかのダメージが入ってる……」
「自業自得」
岩陰に腰を下ろし、一息。
呟いた言葉にヨーコが冷たく反応した。
「へへ。なんかアレだね、気楽に話してくれるようになったよね」
「最初は貴方、かなり怯えているようだったから……馴染むの早すぎよ」
俺が言える立場ではないが、いささか俺に対して過保護気味のようだったヨーコが十年来の友人のように接してくれる。それが妙に嬉しい。
喉渇いたけど、とても水ちょうだいとはヨーコに言えないよな――そう思ってなんとなしに上を見た。
すると、ばばばばば……と機械の駆動音のようなものが聞こえる。
「まずい! 隠れて!」
ヨーコが叫んだ――俺の手を取って岩陰に引き寄せる。
すぐ鼻先にヨーコの髪――ふわりといい香りがした。
ドキドキしているとディメンション・ゼロが寄ってきて、ヘラヘラと笑う。
「ラッキースケベかよダイチ。女の匂いで興奮してんじゃねーぞ」
「だっ、だだ、黙れバカ! うっさい!」
「ダイチ! ……静かに!」
ヨーコに怒られた。このガイコツ野郎……!
――くだらないことで腹を立ててる場合じゃない。何が起きてるんだ?
「ホドの連中の装甲車……! こんなところまで!」
ヨーコの切迫した声。
機械の音はどんどん近づいてくる。これは、車の走る音だ。
「あたしが、追い払って、やる……」
イリーナ。小銃を手に立ち上がっている。
だけどその顔には、体力の消耗がありありと浮かんでいた。
「無茶よ! あなたは今日すでに情報体を使いすぎている!」
「んなら、どうすんだよ? 誰か他に戦うやつが――」
お互いを気遣って言い合いをする二人。
――ふっ。
ふっふっふっふっ。
誰かお忘れじゃありませんか? ……来たぜ、ぬるりと……俺が大活躍する時だぜ。
「イリーナさんは休んでいてくれ。……俺が、奴らを食い止める!」
そう言って岩陰から飛び出した俺の視界には、車体に鉄クズのような金属をゴテゴテと取り付けた不格好な車両が1台、こちらに走ってくる姿があった。
手作り感満載のその装甲車は俺の姿を認めると、ギコギコいって停車した。
スピーカーからひび割れた大音声が流れ出す。
「あー、あー、メ・エスクチャス? ――聞こえるか? アミーゴ」
「え、えすくちゃ?」
男のダミ声。しかし一部何言ってんのかわかんない。アミーゴ? って友達って意味だっけ?
「オー、お前も教養のない
何かバカにされている。確かに本なんてマンガくらいしか読まないけど。
「悪かったな! 何か用か!?」
「何か用か、と来たか……ここは俺達ホドの縄張り。お前達は勝手にそこへ入り込んだ
――男の声からは敵意を感じる。だけど……何言ってんのかわかんない! う、うんほ?
「うんこは捨てろ!? 何言ってんだお前!」
そう叫ぶと、装甲車の男は一瞬沈黙。そして、
「テメェ……バカにしたか今? 俺の
トマト? さっきからアイツずっと何言ってんの!? 一部翻訳されないんだけど!
装甲車の窓が開き、そこから
俺は地面を蹴って横っ飛び。狙いを外すと――。
「
ディメンション・ゼロへの指示。
イリーナのマネをして何となく口上を述べてみた。
俺の声に反応したのか、ディメンション・ゼロは俺の傍らに着地し、首を傾げた。
「え? ヤダよ同化なんて。オイラ同化型じゃネーし」
「おえ!? マジ!?」
アテが外れた! 7体の情報体を一撃で退散させた力を見たことで期待していたんだが――もしかしてコイツ、情報体への攻撃に特化してんの!? 銃とかモンスターとかには無力!?
「死ねや!」
装甲車の男が発砲――足元の砂地に弾痕が刻まれる。
――ヤベええぇぇッ! ディメンション・ゼロが俺に同化できないってことは……傷の回復もできねぇってことだろ!? 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬー!
「何やってるの、バカ!」
ヨーコが俺の首根っこを掴んで飛んだ――また別の岩陰へ。
もう少しで撃たれていた――アドレナリンで抑えられていた恐怖が汗とともに一気に噴き出してくる。
「ご、ごめんよ」
「情報体での戦闘にも慣れていないのに――いきなり敵の前へ飛び出すなんて、ダイチあなた死にたいの!?」
ヨーコの本気で怒った顔を見て、俺は心の底から悔いることとなった。
やらかした。
強い情報体と契約できたと思って浮かれていた。
あまりの自分のバカさ加減にうんざり。
「ごめん……つい調子に乗ってしまって。――イリーナは?」
「先にアジトへ行って、応援を呼んでもらうよう頼んだわ」
装甲車の音が近づいてくる――またしても俺のせいで危険に晒してしまったヨーコを、なんとしてもこの場から逃さなくては。
「ディメンション・ゼロ! お前……他に何か能力ないのか!?」
何かないか!? コイツの能力にかけるしかない。なんとかこの場を凌げる何かを――。
「瞬間移動させてやろうか? あんま遠くには飛べネーっつーか、飛ばすと危ねーけど」
「あんじゃん起死回生の必殺技が! すぐ頼む!」
「どこに飛ばしゃーいいン?」
今一番欲しい能力キター! 都合よすぎる気もするが!
俺は顔を輝かせてヨーコを見た。彼女は半信半疑の表情だ。
「ヨーコ! アジトどっちだっけ!?」
「向こう、だけど……ねえ、本当に人を瞬間移動なんてさせられるの?」
ヨーコがアジトの方角を指で示しながら疑問を呈する。
だけど俺はディメンション・ゼロの自信満々な顔(頭蓋骨の見た目だからそんな気がするだけだけど)を見て、コイツならやれる、と確信していた。
「おぉよ。得意技さぁ。――ダイチにくっついてねーと飛べねーカラ……嬢ちゃん。ダイチを抱っこしナ」
「はあ!?」
思わず頓狂な声を上げる――なんで俺がヨーコに抱っこされる必要がある!?
だがヨーコは迷わず俺をお姫様抱っこした。男のプライドが……だが今はそんなこと言ってる場合ではない。
「こう?」
「イーネイーネ! そんじゃあ……対ショック姿勢を取りな」
これでいいかと問うヨーコを褒めそやし、ディメンション・ゼロはそう言うと――俺に声をかける。
「ヘイ、ダイチ。オイラの名を呼びな。――オイラの名は?……ってか!? ゲヒャハハハ!」
「何言ってんだオメーは!」
「いいから。はよせいや。死にたかネーだろが?」
「いたな! クソガキ!」
装甲車が回り込んでこちらに姿を見せた。
プロレスラーのようなマスクを被った男が顔を見せ、サブマシンガンを持った手を窓から出す。銃口が俺達を捉えた。
「往生せいやァ!」
「うおわぁ! ――ディッ、ディメンション・ゼロォ!!」
慌ててそう叫ぶ――すると、俺達の周囲を黒い空間が包み込み、辺りが静かになった。
黒いゲートをくぐり抜ける――光のトンネルとでも言うのか、マンガに出てくるタイムマシンで移動している最中の風景のような空間を、俺と俺をお姫様抱っこしたヨーコ――そしてディメンション・ゼロが共に飛んでいた。
「へひゃひゃひゃひゃ! ……とりあえず、50メートルくらいな。じゃねーと死ぬかもしんねーしナ」
「な、どういうことだよ!?」
「本来あらざるべき場所へ一瞬で動くってコタァ……動き終わった瞬間に、世界がかくあるべきと感じる運動エネルギーがいっぺんに襲ってくるってこったゼ」
「どういうことだよマジで! さっぱりわかんねえぞ!」
「すぐわかるっつーノ。そら抜けるぞ!」
光を抜けた。するとそこは、先ほどの岩陰から少し離れた砂漠の真ん中、更に言うと1メートルほど宙に浮かんだ場所だ――そう認識すると同時、体が突風に煽られているかのように、地面の水平方向へと猛烈な勢いで吹き飛ばされた。激しい風が髪をかき乱す。
「きゃああああ!」
「うわあああーっ! ――ディメンション・ゼロ! なんだよこれ!?」
「言ったっショ。瞬間移動終わりには距離に応じて運動エネルギーが発生すんだヨ」
「聞いてねえー! いや聞いたかもしれんが理解できてねえ!」
「ソレはお前の責任。ホレ! 地面にぶつかんゾ!」
「――ッ!!」
地面に激突する瞬間――ヨーコが地を蹴った。
衝撃――そして浮遊する感覚――すぐさま再び衝撃が来た。
一度の蹴りでは勢いを吸収しきれなかった。ヨーコは何度も地面に足を打ちつけ、減速を試みている。
「うあっ!」
「おあべ!」
ヨーコが躓き、体勢を崩した。俺とヨーコはもつれ合いながら砂地を転がっていく。
砂まみれになってようやく止まり、顔を上げると遠くにアジトが見えた。
呆然としていると、俺にのしかかる格好になってしまっていたヨーコが慌てて跳ね起きた。
「アイツは!? ホドの男は!? 装甲車はどこ!?」
よほど脅威を感じていたのか、顔の砂を払いもせずに敵を捜索している。
ヨーコからしてみても、敵対トライブというのはとても恐ろしい存在なのだと実感した。
「ムコ――――の方だナ。50メートル跳んだ後にもう7、80メートルはふっ飛ばされたしナ。ホレあそこ」
ディメンション・ゼロは手で
俺もディメンション・ゼロの見ている方向に目を向けた。確かにさっきの装甲車がそこにいるようだ。俺達を見失ったのか右往左往している。
「あ、
いきなり頭痛がして呻きながらヨーコに声をかける。風邪でも引いたか?
彼女は逡巡しているような顔でわずかに沈黙すると、ゆっくり頷いた。
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