第3話  イェソドのアジト

 ヨーコとともに部屋を出る。

 薄暗い廊下には、チカチカと瞬く電球が吊るされている。明かりはそれだけで、窓も全くない。ここは地下なのか?

 不気味な雰囲気にゾクッとして、思わず身震いした。


「大丈夫? 慣れない環境で具合が悪いのなら……」

「へ、平気っすよ。これからやってやるぜ! って意味の武者震いさ」

「ムシャ?」


 ヨーコに気を遣わせないようにと虚勢を張って笑顔を浮かべてみせた。そして武者震いは翻訳されないようだ。


「俺のいた時代では燃えてきたぜーって時に体が震えることを武者震いって言うんだよ」

「ムシャってなに?」

「ニホンのサムライのことだよ」

「ニホン? サムライ?」


 当たり前だが固有名詞や文化に根付く言葉はダメだ。ほとんど伝わらない。


「あーごめん。俺の国の話はまた今度教えるよ。……もしかして現代知識無双の可能性出てきたか……?」

「何か言った?」

「すんません、戯言っす」


 日本という国やサムライという文化すら知らないのであれば、俺の知る知識で大儲けとかできるんじゃないかと皮算用してしまった。

 ぶつぶつ小声で喋る男は気持ち悪がられてしまう。ヨーコに嫌われたくないので独り言は控えよう。


「それじゃ、こっちに来て」


 通路にはドアが並んでいる。先導するヨーコに続いて歩いた。

 飾り気の全くない殺風景な建物だ。食うものにすら事欠く世界では、華美な装飾など後回しなのだろう。


「ここよ」


 何枚目かのドアの前でヨーコが足を止めた。

 ごくりと喉を鳴らす。


「中にイリーナとボスがいる。――ボスは穏やかな人だけど、あまりおかしなことは言わないでね」

「は、拝承」

「緊張しすぎるのもまずいけど……とにかく私がフォローする。あなたは正直に質問に答えて」


 心拍数が上がってきた。しかし俺はヨーコに恩を返すと決めたはずだ。覚悟を決めてドアをくぐろう。

 顔を引き締め、ヨーコに向かって頷いた。

 ヨーコも頷き返してくれ、ドアに向き直った。


「失礼します」


 ヨーコが軽くドアをノックし、取っ手に手をかけてゆっくりと押し開いた。


 中には小さな机があり、長い金髪の男が椅子に座っている。

 紫髪のイリーナも秘書のように机の脇に立っていた。秘書と違うのは小銃を手にしていることだ。

 銃を持ったイリーナを見て内心パニックになったが、平然とした表情を崩さないよう努力した。

 ヨーコが軍人のように背筋を伸ばす。


「ボス。コールドスリープされていた人間をアイン遺跡で発見しました。名前は、ダイチ」


 俺は一歩前に出た。イリーナが銃口を向けてくる。

 しかし俺は跳ね回る心臓をなだめ、ボスから目を逸らさない。


「ダイチです。コールドスリープから目覚めさせていただき、誠にありがとうございます」


 そう言って再び一歩下がった。

 頭は下げない。どういった身ぶりが悪印象を与えるのかわからないからだ。

 思ったより落ち着いた声で喋れたぜ――と自画自賛していると、ボスが口を開いた。


「礼儀正しい少年だ。ダイチさんはどうしてコールドスリープされていたのかな?」


 穏やかな声だが、感情が感じられない。当然だが警戒されているようだ。


「正直に申し上げますが――わからないのです。自室で寝ていたはずが、起きたらコールドスリープ装置の中におりました」

「ほほう。興味深いね。君が起きていた時は何年だったのかな?」


 俺は西暦と和暦の両方で答えてみた。が、


「セイレキニセン……? レイワ……? そんな暦はない。今は創始歴228年だ」


 そうしれき? 今までの暦が使われなくなってしまっているのか。だとすると、俺がコールドスリープしたのは何年前なのかが正確にわからない。

 とにかく、俺もわからないということを伝えるしかない。


「あの……これは私の印象でしかないのですが。私がいた時代と現在の世界の状況がかけ離れています。もしかしたら何百年も前にコールドスリープされてしまったのかも――」

「そんな以前の人間がコールドスリープから目覚めた例はない。せいぜいが4、50年といったところだ」


 そんな事言われても。俺にもわかんないし……。

 なんて返そうか悩んでいると、ヨーコが助け舟を出してくれた。


「情報体の存在を知らなかったことや、虫を食べたことがないという彼の言葉から推測するに、少なくとも私達とは全く違う文化で生きていた事は間違いないかと思われます」


 ボスは片眉を上げ、長い金髪を指に巻き付けて遊んでいる。演技してる可能性もあるしなあ、とでも言いたげな仕草だ。


「まあ、ヨーコがそう言うなら。――やけに彼に肩入れするね? 貴重な自分の食料も彼に食べさせてしまったようだし」


 驚いて思わずヨーコを見た。

 彼女は視線をボスから離さないまま言葉を続ける。


「私達がまるで知らない文化の知識がある人間は貴重です。逆に、他のトライブに取られたら脅威にもなりかねません。私は、ダイチをイェソドのメンバーに推薦します」


 ボスは自分の長い金髪を口元に持っていき、息を吹きかけてたなびかせた。キザったらしい仕草なのにイケメンだからサマになっている。嫉妬心がむくむく湧いてきた。


「教会のスパイだという可能性は?」

「その時は私がダイチを殺します」


 沈黙。俺はキリキリ痛む胃を手で抑えたくなったがこらえた。


「いいだろう。彼を情報体と契約させてみたまえ。君のサポートができればいいがな」

「承知致しました」


 ヨーコが頭を下げた。お辞儀の風習があるらしい。俺も慌てて頭を下げる。


「イリーナ。ダイチとヨーコについて行きなさい」

「……はっ」


 わずかな沈黙がイリーナの逡巡を示している。

 下手な行動を取れば殺される――そう感じるのに十分な間だった。


「アイン遺跡の調査が終了しておりませんでしたので、そちらで情報体を探します。出発は、明日でもよろしいでしょうか。ダイチの体調が十分ではな……」

「今すぐに決まってんだろ。バカかお前は」


 ヨーコの話を遮り、イリーナが割り込んできた。

 殺意すら感じる凶悪な表情。


「イリーナ。あまりヨーコをいじめるものじゃない」

「……すみません。ですが非常時に呑気なことを言うもので」

「不慣れな彼を慮っているのだろう。尊重してあげなさい」


 ボスは鷹揚な顔でイリーナを嗜めているが、ポーズだ、という印象が拭えない。俺が穿った見方をしているのかもしれないが――。


「ダイチ、行ける?」


 ヨーコからは本気で心配している気持ちが伝わってくる。俺は大きく笑顔を作り、


「一晩ぐっすり寝たしメシも食べたし絶好調だよ。とっとと俺の情報体を捕まえに行こうぜ」


 俺はヨーコの食事を横取りしてしまったのだ。1秒でも早く仕事をこなせるようになる必要がある。

 そんな俺達のやり取りを観察するように見ていたボスが口を開いた。


「まるで兄妹か恋人のようだね。ヨーコは彼に一目惚れでもしてしまったのかな? 確かに、この組織イェソドでは君の恋人になりたがる人間はあまりいないだろうしね。お似合いかもしれないな」


 ヨーコが俯いて顔を真っ赤にした。

 俺は怒りで頭に血が上るのを自覚する。


「ヨーコをバカにするのは俺が失敗してからにしてもらえませんか。俺は彼女に助けられました、命をかけてこの組織のために働こうと思っています」


 ヨーコが俺なんかに惚れていると思われ、恥をかかせてしまうことに耐えられなかった。つい言い返してしまう。

 ボスは口元だけで笑ったが、イリーナが凄まじい形相で近づいてきた。


「てめえ……それだけの大口叩いたんだ。もしできなかったら――このあたしが、てめえとヨーコを殺すからな」


 まずい――俺の軽率な発言でヨーコまで危険に晒してしまった。何とか弁解を――。


「もういい? 早く出発した方が良いのでしょう?」


 毅然とした顔でヨーコが言い放った。

 イリーナが目を剥く。


「殺した後、お前らの死体はこま切れにして砂漠にバラまいてやる。初めてお役に立てるな? モンスターどものエサとして」

「もし失敗したらそうして構わない。行きましょう」


 ヨーコは振り向き、ドアを開けて外に出ていった。

 イリーナは今にも俺を撃ちそうな顔をして、銃身を指で叩いている。

 俺は慌ててヨーコの後を追った。


 ヨーコは別の部屋に俺を案内すると、そこにあったロッカーから服を取り出した。


「はい。このスキンスーツを着て。そんな薄い服じゃ日射しで火膨れになってしまう」


 そういえば俺は寝たときに着ていたスウェット姿だった。それにずっと裸足だった。


「それと……これ。マスクと銃」


 口元を覆うガスマスクのようなものとゴーグル、それに拳銃を手渡された。


「砂を吸って咳き込んでいたから」

「あ、ありがとう。……俺、銃の実物を初めて見たんだけど」


 ヨーコが目を丸くした。


「本当に平和な時代から来たのね……いい? ここが安全装置セーフティ。これを外して引き金を引けば弾丸が発射される。15発装填よ」

「オートマチックなんだな。スライドを引いたりしなくていいの?」

「知識自体はあるのね。砂で弾詰まりジャムを起こしたりしたら引いて」

「わかった……ただ、撃つのは練習してからのがいいかなと思う」


 反動とか怖いし。もし弾がヨーコに当たったりしたら死にたくなるし。


「そうね。いざという時にだけ使って」

「うん」


 俺は着替えようとヨーコが部屋を出ていくのを待った。

 ヨーコは真顔のまま、俺を見ている。


「あの……着替えるので悪いけど……」


 ヨーコがはっとした。


「ご、ごめんなさい! すぐ出ていく」


 いそいそとヨーコが部屋を出ていった。


「出来の悪い弟を見ているような感じなのかな……」


 あまりにも異性として意識されていないことにヘコんだ。何とか仕事のできるところを見せてアピールするしかない。

 スキンスーツは少し大きいが、着れないこともなかった。

 上半身、腕、手袋、下半身、靴といったパーツに分かれていて、着た後にそれぞれを留め具で留めるようだ。真っ黒で、首から下を覆うような格好になる。


「ガ◯ツスーツみてえ。カッコいい」


 太もものところに銃を収容するホルスターが付いていた。そこに銃をしまう。

 そしてマスクとゴーグルを装着。部屋の壁に付いていた鏡で自分を見ると、ディストピアもののキャラクターみたいな見た目になっていて思わず笑ってしまった。マスク越しにコーホー、という声が漏れる。


「着れたよー」


 マスク越しにこもった声でヨーコに呼びかけ、部屋を出た。

 彼女は大ぶりのリボルバーを2丁腰に差している。


「うん。それじゃ行きましょう」

「あ、その前に」


 俺はヨーコに向かって深く頭を下げた。


「せっかく大事なヨーコのご飯をくれたのに、ひっくり返してしまってごめんなさい」


 ヨーコは腰に手を当て、なんだそんなこと? という顔をした。


「いいの。そんなことより情報体は危険よ。あなたの精神が乗っ取られる可能性もある。遺跡までの道中でモンスターや他のトライブに襲われる場合もあるし、気を引き締めて」


 一貫して俺の身を案じ続けてくれている。生き残るためにも、なによりもヨーコのために絶対に失敗は許されない。


「ああ。――俺にはこの世界での経験が全くないから、すまないけど指示を貰えるかな。それを絶対守る」

「よかった。さっきは妙に張り切っていたから、手柄を挙げようと無茶するんじゃないかと心配していたの」


 俺には何もできないという自覚がある。足手まといになるのは避けられない――彼女の邪魔だけはしないようにしなければ。


「無茶はしない。……外でまず守るべきことは何かある?」

「一番の脅威は他のトライブの人間よ。大声を出したり、不用意に物陰から姿を見せたりしないこと。それから、モンスターがいるから妙な生物には近寄らないこと」

「モンスターってどんなやつがいるの?」


 モンスターという単語にうっかりワクワクしてしまった。ヨーコがジト目でこちらを見てくる。


「ポイズンリザードとか、ジャイアントスパイダーとかだけど……絶対に、近寄らないように、ね?」

「わ、わかってる。気を付けるために聞いたんだ」


 名前からすると毒を持っているトカゲとかデカい蜘蛛とかかな?

 核戦争でも起きて、生物が突然変異してしまったのだろうか。人間にもミュータントになった奴がいたりして?

 いかんいかん。ウキウキしてる場合じゃない。集中しろ。


「それじゃ、出発するわ」

「う、うん」


 緊張してきた。殺されるのは当然だが怖い――だがそれ以上に、俺が失敗するとヨーコの命が危ない。

 殺されなかったにしろ、ただでさえ良くないであろうイェソドでのヨーコの立場が更に悪くなる。

 まずは、死なないこと。そして、ヨーコの指示を守ること。それだけに集中するんだ。


 ヨーコに付いて少し歩く。

 すると、ドアの前にイリーナが立っていた。


「死ぬ前に気が済むまでヤッてきたか?」

「あなたと違って私には魅力がないから。ダイチも私なんかに欲情しないわ」


 するよ!

 とか思ってる場合じゃない。イリーナこいつ……本当にムカつくやつだ!


「危険な任務の前に気持ちをほぐしてくれて助かります。イリーナさんはちゃんとヤッてきましたか?」


 だああっ! くそっ! 言い返しちまった!

 またヨーコに迷惑かけちまう!


「ほおぉ……クソ度胸があるじゃねえか? まだあたしにそんなこと言えるなんてな」

「えーと、すみません?」


 イリーナが歯を剥いた。


「今更遅えんだよボケ! 少しでも妙なことしてみろ……ケツの穴を増やしてやっからな」


 ブ◯ックラグーンみたいな罵倒だ! リアルで初めて聞いた!


「思ったより似てるわね。2人」

「「どこが!」」

「ほら」


 ヨーコのツッコミにうっかりイリーナとハモってしまい、思わずイリーナと目を見合わせる。

 床に向けてイリーナがツバを吐いた。


「あんまナメんじゃねえぞ。おめえらの命はあたしが握ってるってこと、忘れんな」

「よくわかってる。頼りにしてるわ」

「死ねボケ」


 イリーナは口がめちゃくちゃ悪いが……直接暴力を振るったりしてくることは少ない。思ったより悪い人じゃないのかも知れない。ヨーコの手慣れたあしらい方を見ているとだんだんそう思えてきた。


 そうして俺達は、アイン遺跡に向けて出発した。

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