チャプター1 遥か未来の砂漠で目覚めて

第1話 目覚めよと呼ぶ声ありおりはべり

 苦しい。

 ……息が苦しい。

 …………くっ、くるしい!! 息できない! 死ぬ! 死ぬ死ぬ! つーか真っ暗闇で何も見えない! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ――――!!


 俺は半狂乱になって手を前に伸ばし、空気を求めて体を起こした。


「がはぁっ!!」


 突然息が吸えるようになった。

 周りも明るくなったようだが、今度は涙で何も見えない。

 とにかく俺は必死で息を吸い込んだ。


「ひゅー……ひゅー……おえっ」


 ようやく少し落ち着いた。手の甲で涙を拭い、まばたきを繰り返す。

 見えるようになった視界の中に女の子がいた。必死に呼吸をする俺を見て驚いているのか、目をまん丸にしてこちらを見ている。


「お、おはようございます?」

「……」


 とりあえず挨拶をしてみたが、女の子は手を口にあてたまま微動だにしない。

 何がなんだかわからない。とにかく状況を把握しようと周りを見渡してみた。


 埃や塵で汚れた病室のような部屋。

 床のタイルはひび割れて欠け、壁にもひびが入っている。

 後ろを向くと、人一人がすっぽり収まるような、ポッド? カプセル? ――みたいなものの中に居ることに気づいた。俺はこの中で寝ていたのか? なんで? ていうかここどこ?


「な……なんなんですか? ここ、どこですか? なんで私連れてこられたんですかぁ……?」


 体を縮めながら某アニメのキャラをマネてみた。

 すると、女の子がこちらにゆっくり近づいてきて、


「◎△$♪×¥●&%#」


 なんか言ってる。なんか言ってるけど聞き取れない。よーしまけないぞー。


「くあせふじこ」

「¥●&%#」

「アビラウンケンソワカ」

「%#◎△$♪×¥」

「ふるべ。ゆらゆらとふるべ」

「◎△$♪×」


 俺が適当に喋ると女の子はなんか返事してくれる。

 でも日本語喋ってくれない。

 日本人じゃないのかこの子?


 てか改めて見るとこの子めっちゃかわいい!

 おめめくりくりだし黒髪さらさらだし超小顔! アイドルかなんかだろこの子! なんか変なピッタリスーツみたいの着てるけど!


 なるほど、見えてきましたなあ。

 バラエティのドッキリだろこれ。「起きたとき謎の廃病院にいても美少女が目の前にいれば落ち着く説」とかの実験だろ。知らんけどたぶん。

 でもそういうのってマジで参加者に伝えないもんなの? ヤラセだと思ってたわ。


「えっとー、ドッキリ大成功のプラカードとかってそろそろ出てきます?」

「%##◎△」


 ……んー、長いなー。このやりとり長いなー。飽きてきたなー。つか芸能人でもない普通の高校生いきなり連れてきてこれはないなー。だんだん腹立ってきたなー。さっき窒息しかけたし。


「あのさー。もういいって。そろそろネタばらしして家帰らせてよ」

「%##◎△」


 ぬぅ。頑なだぜ。役者だぜ。全然折れてくれないぜ。腹減ったしトイレも行きたいぜ。


「参った! 参りました! 僕の負けです! そろそろ勘弁してもらえないっすか」

「%#◎△$♪×」


 キエエー! エンドレスノットリスニングトークきつい! 今文法無視しました! はい俺0点!


 いい加減うんざりして頭の中で喚いていると、部屋の外からコツコツと足音がした。

 すると、紫色の髪の女の人が部屋に入ってくる。奇抜な髪してるけどハーフっぽい美人だ。この人も黒いピッタリスーツ着てて胸とかお尻のライン出ててエロい。そしてなぜかとても不機嫌そうな顔をしている。

 その美人はしかめっ面のまま大股で床を踏み鳴らしながら近づいてきて、


「%#◎△$!! ¥●&%!?」

「ちょッ痛い痛いハゲるハゲる!」


 いきなり俺の髪をわしづかみにしてぐわんぐわん頭を揺さぶってきた! これヤバイだろ! 番組炎上するよ!?


「ちょちょちょ! やめてくださいって! いいんですかこんなことして!?」

「◎△$!! ¥●&%!」

「いってぇ! マジで毛ぇ抜けるって! やめろよ!」


 ぶちぶち、と髪が抜ける音とともに手が離された。

 すると紫髪の人が俺を片手で肩の上に担ぎ上げ、運び始めた。


「お、おい! なにすんだよ! つかすげえ怪力だなアンタ!」

「◎△$!! ¥●&%!」

「ぐっ!」


 ジタバタして喚くと、腹を殴られた。超痛い。

 ……これやべえやつだ。本当に誘拐されてる。

 あまり暴れると殺されるかもしれない、俺は大人しく運ばれることにした。

 廊下に出る。部屋はテレビのセットなんかではなかったらしく、廊下も同じく廃墟のように朽ち果てていた。

 俺は謎の組織に拉致されたのか? ここはテロリストのアジトかなにかか?


 がっちり腕で抱えられたまましばらく運ばれる。

 この女の人細身なのに腕カチカチやぞ。針金を束ねたみたいな硬さだ。


 外に出た。途端に目と喉に激痛が走る。


「痛っ……!」


 夕日か? 陽の光がめちゃくちゃ赤い。それに目に染みる。

 空気も超悪い。塵か細かい砂みたいなものが空気中にものすごく舞っていて、呼吸するたびにむせてしまう。

 ゲホゲホやってたらまた腹を殴られた。それでもっとむせた。また殴られた。

 咳が止まらなくなってしまい、涙目で咳き込んでいると、地面に落とされた。

 砂地だ。手をつくと砂の粒子が手のひらに突き刺さるような痛みを感じる。

 顔を上げると、一面砂だった。ここは砂漠か? それとも鳥取の砂丘?


 すると頭に衝撃。意識がなくなっていくのをうっすら感じた。





 頬に走る痛みと衝撃で目を覚ました。

 とっさに体を起こそうとするが、座らされている椅子にロープでくくりつけられていて身動きがとれない。


 またあの紫髪の女が目の前に立っている。その後ろに、最初に会った黒髪の子が所在なさげに立ってこちらを心配そうに見ていた。

 紫女がVRゲームとかで使うようなヘッドギアを持ち、俺にかぶせてきた。なんだ?

 すると、頭の中に色んな声やら音やら映像がわーっと流れ込んできた。


「うあがががが! あがああがががが!」


 激しい頭痛。目まぐるしく頭の中に映る映像と声。

 あまりの苦痛に悲鳴を上げ続ける。

 喚く俺に腹が立ったのか、紫女に頬を張られる。

 だが頭痛がひどすぎるためビンタの痛みなど感じない。


 1時間にも、2時間にも感じる拷問――悲鳴を上げ続けた喉は枯れ、ひゅうひゅうという音しか出せなくなっている。ヘッドギアを振り払おうと頭を振り続けたので首にも鈍痛を感じる。

 よだれと涙を垂れ流しながら許しを請おうとした――ようやくヘッドギアが外される。


「ワカル コトバ?」

「……は?」

「コトバ。ワカルカ?」

「……へ?」


 紫女が急にカタコトで話しかけてきた。が、いっぱいいっぱいの俺は意味のある返事を返せない。

 すると、女は般若のような顔になり、俺を殴ろうと腕を引いた。あまりの恐怖に目をつぶる。


「ヤメテ! イリーナ、ヤメテ!」

「ハナセ! ヨーコ、ハナセ! コイツ、イラナイ!」

「オネガイヤメテ!」


 争うような声。目を開けると、黒髪の子が紫女の腕を掴み、俺を殴ろうとするのを必死に止めている。


「ワタシ、コトバ、オシエル! %##◎△ニンゲン、ウレル! タカイ!」


 黒髪の子は必死に説得してくれている。……でも今、売れる、とか高い、とか、不穏な単語が聞こえたような……。


「チッ!」


 紫女は腕を振り払うと、ドカドカと部屋を出て行った。

 視界から消える直前に俺を一瞥すると、ツバを吐いて踵を返した。俺が一体何したってんだ。


 黒髪の子は汗を拭うと俺に向き直った。

 自分を指差して、

 

「ワタシ、ヨーコ」


 と言った。それから俺を指差し、

 

「アナタ、ナマエ?」

「ナマエ? ああ、名前?」


 名前を聞かれている。人を誘拐する危険な組織の人間に名前を教えていいものか、と一瞬考えたが、俺んちは身代金など取れない貧乏な母子家庭だ。恐らく身代金目当ての犯行じゃないはずだ、と思い直した。


「俺、ダイチ。日向ひゅうが大地だいち


 ひゅっ、と女の子が息を呑んだ。


「%##◎、スコシ、カキコマレテル。……ワタシ、ヨーコ。アナタ、ヒュウガダイチ」


 自分を指差して再度名乗り、俺を指差して名前を繰り返す。言葉を教えてくれているようだ。――それにしてもなんで急にカタコトで喋り始めたんだ?

 

「ヨーコさん。わかった。……さっきは助けてくれてありがとう」

「ヨーコサン、チガウ。ヨーコ」

「さんっていうのは敬称で……ああまあいいか。ありがとう、ヨーコ」


 ヨーコ(さん付けするとややこしくなりそうなので呼び捨てにする)はにっこり笑ってくれた。


「ゴハン、モッテクル」


 ヨーコが部屋を出ていった。それにしても突然カタコトだけど意思疎通ができるようになったのは一体なぜ――?


 ――スコシ、カキコマレテル。


 まるで頭を殴られたような衝撃とともに一つの可能性に思い至った。――さっきのヘッドギア。あれで俺の脳みそに未知の言語を直接書き込んだのか? パソコンにアプリをインストールするみたいに? だから急に一部だけ言葉がわかるようになったのか?

 だけど、日本語を話してるつもりで違う言葉を口から発してるなんてこと、あるのか?

 

 意識して日本語を喋ろうとしてみる。だけど、口から出たのはまるで聞いたことのない言葉だった。ただし何故か意味が分かる。

 英語で例えると、「りんご」と口に出そうとしているのに勝手に俺の口は「Apple」と話し、更にその「Apple」が日本語で「りんご」だと理解できているような感じだ。

 恐らく、彼女らが話している言葉もカタコトの日本語なんかじゃない。俺が無意識に頭の中で翻訳しているんだ。


 人間の頭の中を弄くり、まるで知らない言語を喋らせることのできる機械なんてマンガなどでしか聞いたことがない。そんなものが本当に――?


 と、ヨーコが戻ってきた。お盆の上に缶詰と水の入ったコップを乗せている。

 ちぇっ。ヨーコちゃんの手料理じゃないのか。と、努めてお気楽な思考をすることにした。そうでないと恐怖に押し負けてしまいそうになるから。


 ヨーコはお盆をサイドテーブルに置き、俺を縛っているロープをほどいてくれた。そして再びお盆を持ち、


「ハイ。スクナイケド、ゴメン」


 そう言って申し訳なさそうにお盆を手渡してくれた。

 いいんだ。食べさせてくれるだけでもありがたい――。


 そう言おうとした俺の言葉は宙に消えた。

 開いた缶詰の中に入っていたのは、ムカデやゴキブリに似た虫が数匹だった。


「わああああ!」


 思わずお盆をひっくり返した。ムカデやらが足の上に散らばり、慌てて飛びすさる。

 虫は死んでるようだ。動く気配はない。


 あまりのことに冷や汗をかきながらヨーコを見ると、彼女は悲しそうな顔をしてムカデを一匹拾い上げ、


「ドクジャナイ。オイシイヨ?」


 そういってムカデを口に入れ、ゆっくり咀嚼して飲み込み、微笑んだ。


 俺はようやく、ここが今までの常識が全く通用しない世界であることを認識した。


 どこぞの士郎とか雄山のように、こんなもの食えるかっ! と言ってやろうとした。だけどヨーコがあまりに悲しそうだからやめた。しかし、虫なんかとても食べられる気がしない。俺は真顔で首を横に振る。


 ヨーコは俯き、虫を集めて缶詰に戻した。また食べさせる気か? そもそも虫じゃなくとも落ちたものを平気で食べる神経が理解できない。

 割れたコップも拾い上げて切なそうに見ている。もしかして食料や水ってとても貴重なのか?


「ミズ、モッテクル……」


 うなだれて部屋を出ていくヨーコを見て、ものすごく心が咎めた。ここはとても貧しい国なのかも知れない。


 再度ヨーコがコップを持って現れた。悲痛な顔をしている。

 俺は頭を下げて平謝りした。


「ごめん! ――虫は今まで食べたことがなくて、少し驚いちゃったんだ」


 ヨーコは無理に口元だけで笑い、コップを手渡してくれた――とても胸が痛い。

 水に口をつける――塩辛い。泥臭い。まずすぎる。吐きそうになる。何か薬でも入れられているんじゃ――?

 だけどヨーコの思いやりを再び踏みにじるわけにはいかない――涙目で水を飲みきった。


「ご、ちそう、さま」


 イガイガする喉で必死にお礼を言った。

 ヨーコは俺が無理して飲んだのを知ってか知らずか、辛そうな笑みを浮かべている。


「スコシ、ヤスム。アシタ、コトバオシエル」


 そう言ってヨーコは部屋を出ていこうとした。

 俺は一人でここに置いていかれる恐怖に駆られ、慌てて呼び止める。


「まっ、まって! またあいつがくるかも知れない! 置いていかないでくれ!」


 ヨーコは振り向き、俺を安心させようと頑張って笑った。


「ダイジョウブ。イリーナ、イソガシイ。コナイ。……ユックリヤスンデ」


 他に引き止める理由が浮かばない。仕方なく彼女が部屋を出ていくのを見送った。


 俺は空腹と吐き気と恐怖で泣きそうになりながら椅子に腰を下ろし、背もたれに体を預けて目を閉じた。

 こんな状態で眠れるわけがない。――そう思ったのもつかの間、すぐさま意識が遠のいていった。





 お袋と学校の友達が寝ている俺の周りに並び、「ドッキリ大成功!」と叫んでいる。

 俺は安心したやら極限の恐怖を味あわされた怒りやらで感情がぐちゃぐちゃになり、泣きながらみんなに喚き散らした。

 みんなはそんな俺を見て、一斉に表情を消した。

 急に恐ろしくなり、俺は怒鳴ったことを謝ろうとした。

 でもみんなは俺を許してくれないらしい。部屋を出ていってしまう。

 俺は泣きながら謝り、みんなの気持ちを傷つけたことを謝罪し続ける。

 みんなは戻ってこない。ベッドから降り、後を追いたいが体が動かない。

 ひたすら泣いて謝り続けた。





「ごめん、ごめんなさいぃ……」


 自分の情けない声で目が覚めた。

 ここは――昨日、ヨーコと話した部屋だ。


「夢じゃなかった……というかさっきのが夢?」


 お袋や友達が俺を笑いものにする夢。

 もしかしたら、家族や友達を悪者にするような夢を見るほど薄情な人間だからこんな目に遭っているのだろうか。俺は誰かからとてつもなく恨まれていたのだろうか。


 どんどん気分が落ち込んでいく。

 生きて帰りたい。みんなにもう一度会いたい。

 俺は恥も外聞もなく、ボロボロ泣き始めた。


 すると、おずおずとヨーコが部屋に入ってきた。最悪のタイミング。

 女の子の前でみっともなく泣くのは耐えられない。涙をぬぐっておどける。


「いやーなんか目に入ってさー。朝っぱらから目がすごい痛いの。もー最悪だよはははは」


 泣き声になってしまい全くごまかせていない。

 だけどヨーコはなぜ泣いていたのか、など聞かずに笑顔でお盆をサイドテーブルに置いてくれた。


 また虫の缶詰か?――と怯えていたが、今度は皿の上に茶色の団子が乗っていた。


「ダンゴ。カロリーダンゴ。ムシよりおいしくないけど、これは食べられる?」

「へっ!?」


 少したどたどしいが、ヨーコが昨日より遥かに流暢に喋っている。カロリーダンゴってネーミングセンスはどうかと思うが。

 ――いや、違うのか? 俺が言葉を昨日より理解し始めているということか? 俺の頭が勝手にカロリーダンゴと翻訳しているのでは? だとしたらネーミングセンスないのは俺?


「あ、多分大丈夫だと思う。……それ、中に虫入ってたりはしないよね?」


 頑張って笑い、茶色の団子を指差して問いかけるとヨーコは目を丸くして驚いた顔をする。


「ヒュウガダイチ。昨日よりずっと話せてる」


 やはり、俺の言語能力が向上しているらしい。

 疑問は尽きないし、昨日の拷問のような頭の痛みを思い出して気分は良くないが、とにかく意思疎通がスムーズに出来るようになったことは喜ばしいことだ。素直にはしゃごう。


「そっか、良かったよ。これで色々とバカ話をして仲良くなれるしね! ――なんつってははは。

 あ、それと俺の名前はダイチ、ね。ヒュウガは苗字なんだ。フルネームで呼ばれると刑務所に居るみたいな気分になるし、ダイチって呼んで」


 さりげなくヨーコに下の名前で呼ばせる作戦。これで恋人気分が味わえるぜフヒヒ。

 などとくだらないことを考えていると、ヨーコはまたしてもびっくりした顔をしている。


「苗字、があるの? じゃあ、ダイチは教会のメンバーなの?」

「えっえっどゆこと」


 この国だと一般人は苗字を持っていないのか? 苗字が禁止されてた江戸時代みたいに? 東南アジアに苗字がない国があるって聞いたことがあるような気もするが……今俺が居るのはそういう国なのか?


「日本人はみんな苗字あるんだよ。ウチはただの貧乏な一般家庭」

「ニホン、ジン?」


 ヨーコは日本人という言葉すら知らないといった素振りをしている。

 ――そんなことあるか? わざわざ日本人をさらいに日本まで来たってのに? そもそもヨーコって名前が日本人的だと思うんだが。


 ヨーコもイリーナとかいう紫女に比べればずっと優しいが、こんなバレバレの嘘をつくようではあまり心を許してはいけないのかも知れない。優しい刑事と怖い刑事作戦なのかもしれないし。

 ただそれを糾弾しても俺の立場は良くならない。

 深く追求することはよしておく。


「まあこんな話はいいか。昨日は驚いてご飯台無しにしちゃってごめんな。それ、食べてもいい?」

「はい。どうぞ」


 お盆を渡してくれた。

 俺は恐る恐るカロリーダンゴを手に取り、一口かじった。


 堅い。歯が折れそう。

 頑張って噛み砕き、咀嚼するとモソモソでボソボソであんまり味がしなくて飲み込むのがすげーつらい。これ本当に食べ物?

 吐きそうになってえずき、涙目でヨーコを見た。

 彼女は固唾をのんでこちらを見守っている。


 吐き出すか、頑張って飲み込むか――悩んだが、水で流し込むことにした。

 水も昨日と変わらず激マズだ。だけどどうにかこうにか飲み込んだ。


「うん! 今まで食べたことのない新鮮な食感と味だね!」


 笑顔でほんの少しのイヤミも込めてそう言うと、ヨーコは吹き出した。


「まずいでしょ、それ。でも虫が食べられないんなら、食料はそれしかないの。我慢してね」


 なんかウケた。なんだか知らないけどすごく嬉しい。もしかして人質が犯人に好意を持つっていうストックホルム症候群かこれ?


 楽しそうに微笑むヨーコを見た。

 うん。ストックホルム症候群とかじゃなくてヨーコがかわいいから細かいこと気にならなくなってるだけだわ多分。そういうことにしとこう。


「しゃあっ!」


 気合を入れて頬を叩き、カロリーダンゴの残りに取りかかる。


「勢いつけないと食べられないの!?」


 そう言ってヨーコはまた笑った。

 それを見ているとダンゴと水のマズさが少しまぎれた。


 食べ終わると、なんとなく気まずい沈黙が辺りをつつんだ。

 気を利かせて何か話さないと――と話題を探していると、ヨーコに先を越された。


「ダイチは、なぜあの遺跡でコールドスリープされていたの?」

「コールドスリー……え?」


 突然、逆に質問された。俺の頭の中で疑問符が乱舞している。


「えっと、てか……俺は普通に家で寝た。起きたらあそこにいたんだ」


 アンタ達が俺を攫ったんじゃなければ。――とっさにそんなことを思った自分の性格の悪さにうんざりした。

 ヨーコは不審そうな顔をしている。


「あのコールドスリープ装置に入った記憶がないの……? じゃあ、あなたはあそこに入る前はどこにいたの?」

「だから家にいたんだって。俺は東京に住んでて……」

「トウキョウ? それどこのトライブ?」

「トライブ? なにそれわかんない。まだ言葉のインストールが済んでないやつかな?」


 いや、トライブっていうのは部族って意味の英語だった気がする。やっぱここはどこか別の国なんだな。


「トライブを知らない……? 少なくとも200年はトライブ同士の抗争が絶えていないはず……じゃあダイチはその前からコールドスリープされていたってこと……?」


 ヨーコはなにやら考え込んでいる。というかコールドスリープってなんだよSFかよ。医者の石かよ。じゃあなに? 俺は家で寝てたら誰かにこっそりコールドスリープ装置に入れられて、そのまま何百年も未来までぐっすりだったってこと?


「あはは……そんなバカな」


 乾いた笑いが漏れる。

 でも、寝てたらある日突然異国のテロ集団みたいな奴らに攫われて別の国で目を覚ますよりは現実的な気もしてきた。謎の言葉インストール装置もあるし、コールドスリープ装置もあるんじゃね?

 いやいやいやそんなことより、それが本当だとしたら……

 俺、この世界でひとりぼっち?

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