第5話 感謝
## 1
半年後。
私、香坂美咲は、まったく別人になっていた。
髪を伸ばして、メイクも変えた。
ジムに通い始めて、体も引き締まった。
毎日、自分のために時間を使える。
**これが、人生か。**
資産運用も順調だった。
株は15%増。不動産投資の家賃収入も、毎月安定して入ってくる。
5,000万円は、すでに5,500万円になっていた。
「最高」
カフェでラテを飲みながら、私は笑った。
友人たちからは「美咲、綺麗になったね」と言われる。
「ありがとう。少し、自分の時間ができたから」
そう答える。
**「少し」じゃない。全部、私の時間だ。**
義母とは、月に一度お茶をする。
「美咲ちゃん、元気そうね」
「はい、なんとか頑張ってます」
優しい嘘。
本当は、頑張らなくても生きていける。
でも、それは言わない。
**「健気な未亡人」を演じ続ける。**
それが一番、楽だから。
## 2
ある日曜日の午後。
インターホンが鳴った。
モニターを見ると、義母が立っていた。
「お義母さん、どうしたんですか?」
ドアを開けると、義母は少し緊張した顔をしていた。
「美咲ちゃん、ちょっと話があって…」
「どうぞ、入ってください」
リビングに案内する。
お茶を淹れて、向かい合って座った。
「それで、お話って?」
義母は少し言いにくそうに、口を開いた。
「あのね…実は、拓也には別の保険があったの」
私は手を止めた。
「別の…保険?」
「ええ。会社の団体保険なんだけど…2,000万円」
**2,000万円。**
「そんなに…」
私は驚いた顔をした。
内心は、もっと驚いていた。
**まだあったの?**
「それで…受取人なんだけど」
義母は俯いた。
「私と、主人になってるの」
「…そうなんですか」
「ごめんね。拓也が保険に入ったのは、結婚前だったから」
義母は申し訳なさそうに言った。
## 3
「でもね」
義母は続けた。
「私たち、この2,000万円を美咲ちゃんに渡したいの」
「え…?」
「だって、あなたは拓也の妻だったんだもの。それに、これからの人生、お金も必要でしょう?」
私は言葉を失った。
**2,000万円を、私に?**
「そんな…受け取れません」
反射的に言った。
でも、義母は首を振った。
「いいのよ。私たちはもう年金もあるし、困ってないから」
「でも…」
「美咲ちゃん、受け取って。拓也もきっと、それを望んでると思うの」
義母は私の手を握った。
温かい手。
私は、胸が詰まった。
**この人たち、本当にいい人だ。**
息子はクズだったのに。
「…ありがとうございます」
私は頭を下げた。
そして———
本物の涙が流れた。
## 4
義母が帰った後、私は一人でソファに座っていた。
**2,000万円。**
合計7,000万円。
「すごい…」
でも、なぜか喜べなかった。
義母の優しさが、心に刺さった。
**私、最低だな。**
夫が死んで喜んでいる。
保険金で人生を楽しんでいる。
でも、義母は息子を失って、本当に悲しんでいる。
「…ごめんなさい」
誰に言ってるのかわからない。
拓也に?
義母に?
それとも、自分に?
私はスマホを手に取った。
拓也の写真を開く。
結婚式の日の写真。
笑顔の拓也と、笑顔の私。
「あの頃は…幸せだったのかな」
わからない。
もう、思い出せない。
## 5
その夜、私は拓也の遺品を整理していた。
段ボールに入れたまま、ずっと放置していた。
スーツ、ネクタイ、時計、財布。
一つ一つを手に取る。
そして、手帳を見つけた。
開く。
びっしりと予定が書かれている。
会議、接待、出張。
そして———
「M」という文字。
週末のたびに、「M」。
**愛人との予定だ。**
「…最低」
でも、もう怒りは湧いてこなかった。
ただ、呆れるだけ。
ページをめくると、最後の方に走り書きがあった。
**「美咲、誕生日プレゼント何がいい?」**
私の誕生日。
拓也が死ぬ、一週間前の日付。
「…え?」
プレゼント?
そんなこと、言われてない。
もしかして、サプライズを考えてた?
「嘘でしょ…」
私は手帳を握りしめた。
## 6
次のページに、メモがあった。
**「美咲、最近元気ないな」**
**「何かあったのか?」**
**「ちゃんと話を聞かなきゃ」**
拓也の字。
私は息を呑んだ。
**気づいてたの?**
私が辛かったこと。
浮気されて、傷ついていたこと。
でも、彼は何も言わなかった。
私も、何も言わなかった。
「…バカだな、私たち」
涙が溢れてきた。
止まらない。
今度は、本物の涙だった。
## 7
翌朝、私は拓也の墓に行った。
小さな墓地。都心から少し離れた場所。
墓石の前に座って、花を供える。
「拓也さん」
久しぶりに、ちゃんと話しかけた。
「ごめんなさい」
私は手を合わせた。
「あなたが死んで…私、喜んでました」
風が吹く。
「保険金もらって、幸せだって思ってました」
誰もいない墓地。
「でも…違った」
涙が頬を伝う。
「あなたも、私のこと考えてくれてたんですね」
「私が気づかなかっただけで」
私は泣いた。
本当に泣いた。
演技じゃなく。
## 8
しばらく泣いた後、私は顔を上げた。
墓石を見つめる。
「でもね、拓也さん」
私は微笑んだ。
「やっぱり、感謝してるんです」
「死んでくれて」
風が止まった。
「だって、あのまま結婚生活続けてたら、私たち、もっと不幸になってたから」
「お互いに傷つけ合って、憎み合って」
「そんなの、嫌だもん」
私は墓石に触れた。
冷たい。
「だから、ありがとう」
「私を解放してくれて」
「そして、お金も残してくれて」
私は立ち上がった。
「これからは、あなたの分まで、人生を楽しむね」
最後に一礼して、墓地を後にした。
## 9
家に帰る途中、カフェに寄った。
いつもの窓際の席。
ラテを注文する。
外を眺めながら、私は考えた。
**私は、最低な人間なのかもしれない。**
夫の死を喜んで。
保険金で幸せになって。
でも———
**それでいい。**
誰にも迷惑かけてない。
誰も傷つけてない。
ただ、自分の人生を生きているだけ。
「これでいいんだよね、拓也さん」
小さく呟いた。
答えは返ってこない。
でも、私は知っている。
**これでいい。**
## 10
その夜、私はバルコニーに出た。
夜景を見ながら、グラスを傾ける。
赤ワイン。
一人で飲むお酒は、美味しい。
スマホを開いて、カレンダーを見る。
来月は、パリ旅行。
再来月は、資産運用のセミナー。
その次は、料理教室に通い始める予定。
**予定が、たくさんある。**
**楽しいことが、たくさんある。**
これが、私の新しい人生。
拓也がいない、新しい世界。
「乾杯」
夜空に向かって、グラスを掲げた。
**拓也、あなたには本当に感謝してる。**
**私と結婚してくれて。**
**そして、死んでくれて。**
**ありがとう。**
風が吹いて、髪が揺れた。
私は微笑んだ。
**これからも、私は生きていく。**
**自分のために。**
---
## エピローグ
一年後。
香坂美咲は、まったく別人のように輝いていた。
投資で資産は8,000万円を超え、不労所得だけで十分生活できるようになった。
パリで買った服を着て、新しい趣味の絵画教室に通い、友人たちとワインを楽しむ日々。
時々、拓也の墓参りに行く。
そして毎回、同じことを言う。
「ありがとう」
彼女は今、本当に幸せだった。
誰かと一緒にいる幸せではなく。
**一人でいる幸せ。**
そして、それでいいと思えるようになった。
夫の死は、悲劇ではなかった。
美咲にとっては———**解放**だった。
---
ある日、義母から連絡があった。
「美咲ちゃん、もし良かったら…お見合いの話があるんだけど」
美咲は笑顔で断った。
「お気持ちはありがたいんですが、今は一人が心地よくて」
「そう…でも、寂しくない?」
「全然。むしろ、今が一番幸せかもしれません」
電話を切った後、美咲は窓辺に立った。
夜景を見つめながら、また呟く。
「拓也さん、私、幸せだよ」
「あなたがいない人生、最高だよ」
**そして———**
「これからも、ずっとあなたには感謝し続けるね」
**「死んでくれて、本当にありがとう」**
風が吹いて、カーテンが揺れた。
まるで、拓也が答えたかのように。
美咲は、また笑った。
誰にも見せたことのない、本物の笑顔で。
---
**【完】**
---
## 作者からのメッセージ
この物語は、フィクションです。
でも、世界のどこかに、こんな女性がいるかもしれません。
夫の死を悲しまない妻。
保険金で人生をやり直す女性。
**それを、私は責めません。**
人間の感情は、複雑です。
愛と憎しみは、紙一重。
結婚は、幸せの始まりではなく、終わりかもしれない。
**でも、それでいい。**
人生は、一度きり。
誰かのために生きる必要はない。
自分のために、生きていい。
たとえ、それが「夫の死を喜ぶこと」だとしても。
---
**香坂美咲の人生は、これからも続く。**
**彼女は今日も、笑っている。**
**誰にも見せない、本物の笑顔で。**
---
*Fin.*
夫の葬式で笑った妻 ~5,000万円の保険金と、完璧な演技~ ソコニ @mi33x
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