第3話 葬儀
## 1
葬儀当日。
朝6時に起きて、鏡の前に座った。
メイクは薄く。でも、ファンデーションはしっかり。クマを隠し、肌を整える。
口紅は、ほんの少しだけ。血色が悪く見えるように。
「完璧」
鏡の中の私は、疲れ果てた未亡人だった。
12万円の喪服を着る。黒いパンプス。真珠のネックレス。
**「悲劇のヒロイン」の完成。**
タクシーで斎場へ向かう。
車窓から見える街は、いつもと変わらない。
でも、私の人生は変わった。
昨日までとは、まったく違う世界。
「楽しみだな…」
小さく呟いた。運転手には聞こえない。
## 2
斎場に着くと、すでに義両親と親戚が集まっていた。
「美咲ちゃん!」
義母が駆け寄ってくる。
「昨夜は眠れた?」
「いえ…あまり」
嘘だ。爆睡した。
久しぶりに、熟睡できた。
「無理しないでね」
義母が私の手を握る。温かい。
**この人は、いい人だ。**
でも、息子はクズだった。
人間って不思議。
「お義母さん、今日は…私、頑張ります」
「ええ、拓也もきっと見守ってくれてるわ」
私たちは祭壇の前に座った。
200万円の豪華な祭壇。白い菊と胡蝶蘭が、棺を囲んでいる。
棺の中には、拓也が眠っている。
もう二度と、目を開けることはない。
「さようなら」
心の中で呟いた。
## 3
午前10時、葬儀開始。
次々と参列者が入ってくる。
拓也の会社の上司、同僚、部下。取引先の人たち。学生時代の友人。親戚。
みんな、黒い服を着て、神妙な顔をしている。
そして全員が、私を見る。
「奥様、お気の毒に…」
「まだお若いのに…」
「ご主人は、素晴らしい方でした」
次々とかけられる言葉。
私は一人一人に、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます…拓也も、喜んでいると思います」
声を震わせる。涙を浮かべる。
**完璧な演技。**
「奥様、しっかりしてくださいね」
会社の上司が、私の肩を叩く。
「はい…私、頑張ります」
その言葉を言いながら、私は思っていた。
**この人たち、拓也の本性を知らないんだな。**
浮気魔で、モラハラ夫で、最低のクズだったことを。
「いい旦那さんでしたね」と言う人たちに、私は頷く。
**そうですね、いい旦那でした(棒読み)。**
## 4
弔辞が始まった。
会社の同期が、マイクの前に立つ。
「香坂拓也は、私の親友でした。いつも明るくて、前向きで…」
美談ばかり。
「彼は家族思いで、奥様のことをいつも大切にしていました」
**は?**
思わず、心の中でツッコミを入れそうになった。
**家族思い?**
**毎週末、愛人とホテルに行ってたくせに?**
でも、私は俯いたまま、涙を拭く仕草をした。
ハンカチを目に当てる。
実際には、涙は出ていない。
でも、周りの人は「泣いている」と思っている。
「美咲さん…辛いでしょうけど」
隣に座る義母が、私の手を握った。
私は小さく頷いた。
**ごめんなさい、お義母さん。**
**私、全然辛くないんです。**
## 5
読経が始まった。
お坊さんの低い声が、静かな空間に響く。
私は目を閉じて、手を合わせた。
拓也の顔を思い浮かべる。
でも、悲しみは湧いてこない。
代わりに浮かぶのは、別のこと。
**生命保険5,000万円。**
**住宅ローンはチャラ。**
**遺族年金も入る。**
**これから自由に生きられる。**
「ありがとう」
小さく呟いた。
誰にも聞こえない。
**ありがとう、拓也。**
**あなたが死んでくれて、私は救われた。**
## 6
そのとき、入口でざわめきが起きた。
顔を上げると、一人の女性が入ってきた。
20代後半くらい。細身で、派手なメイク。
黒いワンピースを着ているが、喪服ではない。
彼女は祭壇を見て、立ち尽くしている。
そして———泣き崩れた。
「拓也さん…!」
会場がざわつく。
私は、その女性を見た。
**あれは…「ユリ」だ。**
拓也の浮気相手。
彼女は祭壇に近づこうとするが、係員に止められる。
「すみません、ご遺族の方ですか?」
「私…私は…」
彼女は言葉に詰まる。
そして、私と目が合った。
彼女は私を見て、ハッと息を呑んだ。
**奥さんだ。**
そう気づいたのだろう。
彼女の顔が、蒼白になる。
私は、彼女をじっと見つめた。
そして———
微笑んだ。
ほんの少しだけ。
周りには気づかれないくらい。
でも、彼女にはわかったはずだ。
**私は、あなたのこと全部知ってるよ。**
彼女は震える手で口を押さえ、そのまま走り去った。
会場が再びざわつく。
「あの女性は…?」
「会社の人かしら?」
「様子がおかしかったわね」
義母が心配そうに私を見る。
「美咲ちゃん、大丈夫?」
「はい…知らない人でした」
私は静かに答えた。
そして、再び手を合わせる。
心の中で、また笑っていた。
## 7
葬儀が終わり、出棺の時間。
棺の蓋が開けられる。最後の対面。
参列者が一人ずつ、花を入れていく。
私は最後に、白い菊を手に取った。
棺の中の拓也は、静かに眠っている。
「拓也さん…」
私は花を彼の胸に置いた。
そして、小さく呟いた。
誰にも聞こえないように。
「**やっと、自由になれる**」
棺の蓋が閉められる。
もう二度と、あの顔を見ることはない。
霊柩車に棺が運ばれていく。
私は深々とお辞儀をした。
涙を流しながら。
でも、心の中では———
**「さようなら、クソ夫」**
## 8
火葬場。
棺が炉に入れられていく。
最後の最後まで、私は泣き続けた。
ハンカチで何度も目を拭う。
周りの人たちが「奥様、お辛いでしょうに」と声をかけてくる。
「はい…でも、これが最後のお別れだから…」
そう言って、また涙を流す。
**演技力、上がってきたな。**
炉の扉が閉まる。
拓也の体が、灰になる。
1時間後、骨上げ。
白い骨が、トレイの上に並んでいる。
「奥様、どうぞ」
係員が箸を渡してくれる。
私は震える手で、拓也の骨を拾った。
喉仏。一番大きな骨。
「拓也さん…」
涙が頬を伝う。
**本物の涙?**
いや、違う。
これは、玉ねぎを切ったときに出る涙と同じ。
**生理現象。**
感情じゃない。
骨壺に、拓也の骨が収められていく。
これが、夫の最期。
「お疲れ様でした」
心の中で、そう言った。
## 9
その夜、初七日の法要を済ませ、やっと家に帰った。
午後11時。
一人きりのリビング。
私はソファに倒れ込んだ。
「疲れた…」
でも、悪い疲れじゃない。
達成感のある疲れ。
スマホを見る。
LINEに、たくさんのメッセージが入っていた。
友人たちからの「大丈夫?」というメッセージ。
一つ一つに「ありがとう、なんとか頑張ります」と返信する。
**いい人を演じるの、楽しい。**
そして、一通のメールが届いた。
生命保険会社からだ。
件名:【保険金請求について】
私は飛び起きた。
メールを開く。
「必要書類を揃えていただければ、2週間以内にお振込みいたします」
**きた。**
5,000万円。
もうすぐ、私の口座に入ってくる。
「ふふ…あはは…!」
笑いが止まらない。
一人で、声を出して笑った。
「やった…やった!」
ソファの上で、飛び跳ねた。
35歳の女が、子供みたいに。
**でも、誰にも見られていない。**
**誰にも、この笑顔を見られていない。**
**私は完璧に、演じきった。**
## 10
冷蔵庫から、シャンパンを取り出した。
結婚記念日用に買っておいたもの。
でも、拓也と飲むことはなかった。
プシュッと栓を抜く。
グラスに注ぐ。金色の泡。
「乾杯」
誰もいない部屋で、一人で乾杯する。
**新しい人生に。**
**自由に。**
**そして———**
「拓也、ありがとう」
本気で言った。
**死んでくれて、ありがとう。**
シャンパンが、喉を通る。
美味しい。
こんなに美味しいお酒は、初めてかもしれない。
窓の外を見る。
夜景が、いつもより美しく見えた。
この景色を、これからも見られる。
このタワーマンションは、私のもの。
ローンはない。
**全部、私のもの。**
「最高」
グラスを傾けながら、私は笑った。
もう誰の目も気にしなくていい。
もう誰にも、演技しなくていい。
**ここは、私だけの城。**
## 11
その夜、ベッドに入った。
久しぶりに、一人で眠る。
いや、これからずっと一人だ。
**最高じゃん。**
隣に誰もいない。
寝返りを打っても、誰にも文句を言われない。
いびきも聞こえない。
「静か…」
この静けさが、心地よい。
目を閉じる。
拓也の顔が浮かぶ。
でも、悲しくない。
申し訳なくもない。
ただ———
**「お疲れ様」**
それだけ。
私は深呼吸をして、眠りについた。
今日は、長い一日だった。
でも、最高の一日でもあった。
**明日から、新しい人生が始まる。**
**【第3話 終】**
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