夫の葬式で笑った妻 ~5,000万円の保険金と、完璧な演技~
ソコニ
第1話 訃報
## 1
「奥様、お気の毒に…」
玄関先で頭を下げる警察官の言葉が、遠くから聞こえる。
私、香坂美咲(こうさかみさき)は、居間のソファに座ったまま、ぼんやりと夜景を眺めていた。タワーマンションの25階から見える街の灯り。いつもと変わらない景色。
「奥様?」
警察官の声に我に返る。
「あ、はい…すみません」
私は慌てて立ち上がり、玄関へ向かった。二人の警察官が、申し訳なさそうな表情でこちらを見ている。
「ご主人の香坂拓也様が、本日午後8時23分、首都高速で追突事故に遭われまして…」
「事故…?」
「はい。搬送先の病院で、午後9時15分に死亡が確認されました」
死亡。
その言葉が、妙にクリアに耳に入ってきた。
「そう…ですか」
私の口から出たのは、驚くほど平坦な声だった。警察官たちが顔を見合わせる。
ああ、まずい。
「あの…本当、ですか?嘘ですよね…?」
慌てて涙声を作る。でも涙は出ない。
「申し訳ございません。現場検証の結果、即死に近い状態だったと…」
「そんな…」
私は壁に手をついて、崩れ落ちるように膝をついた。
演技だ。全部演技。
でも、涙が出ない。
## 2
警察官が帰った後、私は一人でリビングに立っていた。
夫、拓也が死んだ。
38歳。バリバリの広告代理店マン。年収1,200万。見た目も悪くない。結婚5年目。
そして———浮気常習犯。
「…ふ」
気づいたら、笑っていた。
「ふふ…あはは」
声を出して笑ってしまう。止まらない。
だって、タイミングが良すぎる。
ちょうど昨日、私は弁護士に相談したばかりだった。「夫の浮気証拠が揃ったので、離婚したい」と。
でも弁護士は言った。
「慰謝料請求はできますが、ご主人の収入を考えると、離婚後の生活水準は確実に下がりますよ。財産分与も、住宅ローンを差し引くと…」
つまり、離婚したら私は貧乏になる。
35歳、専業主婦歴5年。キャリアのブランクは致命的。まともな仕事なんて見つからない。
でも、夫と一緒にいるのも地獄だった。
毎週末、「取引先の接待」と嘘をついて愛人と会う夫。帰ってきたら私には冷たく、スマホばかり見ている。
私は金づるで、家政婦で、世間体を保つための置物。
「どうすればいいんだろう」
昨夜、一人で泣いた。離婚も地獄、結婚継続も地獄。
そして今日———夫は死んだ。
生命保険5,000万円。
住宅ローンは団体信用生命保険で完済。
遺族年金。
そして「かわいそうな未亡人」という、完璧な立場。
「神様…いるんだ」
私は天井を見上げて、また笑った。
## 3
携帯が鳴る。義母からだ。
「美咲ちゃん!?今、警察から連絡が…拓也が…拓也が!」
義母の泣き声。
「お義母さん…本当なんです。拓也さんが…」
私も泣き声を作る。意外と簡単だった。声を震わせて、息を詰まらせるだけ。
「そんな…嘘でしょ…?あの子が…」
「私も信じられなくて…今、これから病院に行かなきゃいけないんですけど…」
「私も行く!すぐに行くから!」
電話が切れる。
私はスマホを握りしめたまま、鏡を見た。
目は乾いている。赤くもない。
「泣かなきゃ」
洗面所に行き、冷水で顔を濡らす。目をこする。充血させる。
鏡の中の私は、少しずつ「悲しんでいる妻」になっていく。
「うん、いい感じ」
もう一度、自分に言い聞かせる。
**今日から私は、悲劇のヒロインだ。**
## 4
病院の霊安室。
白い布がかけられた遺体。看護師が布をめくる。
拓也の顔が見えた。
目を閉じて、まるで眠っているよう。額に小さな傷があるだけで、ほとんど損傷はない。
「拓也さん…」
私は手を伸ばし、彼の頬に触れた。冷たい。
後ろで義母がむせび泣いている。
「拓也…拓也…!」
私も泣かなきゃ。
でも、この冷たい頬を撫でながら、私の頭に浮かぶのは別のことばかりだった。
**保険金、いくらだっけ?**
**葬式代、いくらかかる?**
**喪服、持ってたっけ?**
「美咲さん…辛いでしょうけど、しっかりしなきゃ」
義父が私の肩を叩く。
「はい…私、頑張ります」
そう言って、拓也の手を握った。
冷たくて、硬い。
もう二度と、この手が私を抱くことはない。
もう二度と、この口が私を傷つける言葉を吐くことはない。
「拓也さん…ありがとう」
小さく呟いた。
誰にも聞こえないように。
## 5
帰りの車の中。義両親が運転する車に乗せてもらった。
「美咲ちゃん、一人で大丈夫?今夜はうちに泊まる?」
義母が心配そうに聞いてくる。
「大丈夫です…一人で、拓也さんとの思い出に浸りたいので」
「そう…辛かったら、いつでも連絡してね」
「はい、ありがとうございます」
車窓から流れる夜景を見ながら、私は考えていた。
葬式は、どれくらいの規模にしようか。
夫の会社関係者、友人、親戚…200人くらい?
**みんなが私を見る。**
**「お気の毒に」「まだ若いのに」「これからどうするんだろう」**
全員が、私に同情する。
誰も私を責めない。
だって私は、何も悪くないから。
**私は被害者だ。**
突然夫を失った、かわいそうな妻。
車がタワーマンションの前に停まる。
「美咲ちゃん、本当に大丈夫?」
「はい、大丈夫です。お義母さんたちも、お気をつけて」
車を降りて、深々とお辞儀をする。
車が走り去るのを見送ってから、私はエントランスに入った。
エレベーターに乗り込む。誰もいない密室。
25階のボタンを押す。
上昇する箱の中で、私は———
ニヤリと笑った。
「これから、楽しくなりそう」
【第1話 終】
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