魔法は物理法則どころか何もかも超越する

フライエンの酒場

第1話 凸凹というよりガタガタパーティ

「…とすると旦那方は会議に出席する特使様ってわけだ」

「そうだ。よくわかったね」

「はー、魔族の首都なんぞ五十年前の戦争で行ったきりだわな。まあ精々頑張ってくださいな」


乞食が金貨を手に去っていく。僕は幌馬車がゆっくりとこちらに向かってくるのを眺めていた。


特使――つまり外交官として魔族の首都の会議に出席する。もっとも、この役目は今や慣例でしかない。出席して、ひとつ挨拶を述べる。それだけ。


「カエン、乞食に金貨を渡すなんて――よっぽど裕福なのね」


後ろから縁石に座ったまま、魔導書から目を離さずにレーヌが皮肉混じりに問いかけてきた。視線をこちらに向ける気もないようだ。


別に深い意味は意味はなかった。彼の風体があまりにも貧しかったので、施しをするべきだと感じただけだった。


「僕は必要以上に持っているし、彼は必要以下しか持ってない、それだけさ」

「なにそれ。金を持っていると精神まで軟弱になるのね」


それ以上は何も言わなかった。しかし、彼女の声色には「支配者たる貴族」としての矜持が滲んでいるような気がした。


僕ら二人は同じ源流の貴族だ。違いは都市部で商業や海運に注力したか、征服地の領地経営に注力したかである。僕は前者の家系で彼女は後者ということになる。つまり、金や仕事で人を支配するか、武力で支配するかの違いがある。


幌馬車が近づいてくる。カタカタという車輪に巻き付けた鉄が石を踏み潰す音が聞こえるようになると、仲間たちはみなテキパキと自分の荷物の用意を始める。先に用意を終えていた僕は、先程去っていった乞食の言葉を思い返していた。


――これからついに向かうのか。

たちの住むという領域へ。


僕らをそれと隔てる山脈、そしてそこに開かれた街道をじっと眺める。古くからそびえ立つ岩山は日に焼かれて白く輝き、苔がそれを抑えるかのように黒く光を反射している。その巨人の体躯をえぐり取ったように新しい街道が築かれているのが窺える。


「別に大したもんじゃないけどね~」


黄昏れていた僕に対して急に発された高い声に思わず振り向く。ぱっと見、どこにでもいる少女だ。華奢な体つきに肩の辺りで切りそろえた真っ黒な髪。緑色の瞳がからかうようにこちらを見つめている。だが僕は知っている。彼女の本当の年齢を…。


でもどう見ても十代だよね?と言いたくなるが、僕より遥かに年上だ。


「魔族って言葉にビビっちゃった?」


クスクスと、人・魔の混血であるフェリシテは笑う。見た目はほとんど人間だが、笑うと見える犬歯が僕らとは少し別の存在であることを示している。


「ビビったわけじゃないけど、なんというかアングストっていうか…」

「アングスト?」

「漠然とした不安というか…、自分でもよくわからない」

「じゃあ、やっぱりビビってるじゃん」


ケラケラ笑い出した彼女を横目に、僕は確かにそういうことになるなと思った。長年の教育(よくも悪くも父のおかげだ)で、僕はあまり嘘をつくのは得意じゃないみたいだ。彼女が僕にちょっかいをかけていると背後から新手が登場。


イザベル――僕とは完全に別の人種であり、フェリシテからすると半同族の聖職者だ。


「お二人とも、用意は済ませましたか?遊ぶのも結構ですが、御者の方を待たせてはいけませんよ」


彼女には謎の魅力があった。理由はわからないが彼女が――純魔族だからだろうか?銀の長いストレートヘアーと教会の紋が刺繍された白いローブ。僕は思わず目を逸らすが、なぜか彼女は自分から動いて僕を逃さない。じっと見つめて視線で僕を捉える。これは普段から信徒に語る時の技なのだろうか。


それとも遊ばれてる?そういう遊びって聖職者がしてもいいのか?

でも少し不安が紛れたような気もした。


「とにかく。さっさと荷物を放り込んで出発しよう」


僕は逃げるように自分の荷物を手に取り馬車に乗り込む。帝国本土は今は夏で乾燥しているのもあり、影に入るだけで大分涼しい。背後で何か二、三言少女フェリシテと聖者イザベルが話している間に、レーヌが荷物を持って入ってきた。


「なんで僕の横に?」

「空いてたから。そもそもあの二人と横並びは絶対に御免だわ」


まあそうだろうな。レーヌとは付き合いが長いこともあって、その沈黙で何が言いたいか僕には少しわかるようになってしまった。


フェリシテが「私の一家だけで属州を統治する貴族の何倍も儲けてる」と胸を張って言った。レーヌの親父が昔に「属州からの安い商品で領地経営が苦しい」と僕に漏らした。両方正しいことを僕は知っている。属州からの大量の商品で法服貴族は潤い、本土の封建貴族は今の季節の土くれみたいにカラカラになるっていうわけである。


法服貴族――金で官職を購入し、遂に議会にまで影響力を及ぼすようになった新興の貴族たち。実力主義な彼ら自身はみな誇りを持ってその呼び方を受け入れるが、伝統的な貴族たちにとっては蔑称に過ぎない。


聖職者もレーヌにとっては同じ穴の狢だろう。議会では日和見的で常に勝ち馬に乗る。彼女にとってはである下層階級の代弁者を気取る人々を好きになる理由がない。ましてや、度々起こる農民反乱の旗印に教会の紋が刻まれているのだから。


だが、だからといっていつまでも伝統の中で生き続けることはできないことも彼女は理解しているはずだ。現実と理想の板挟みが彼女の葛藤の原因であり、態度として現れているのかもしれない。


後から乗ってきた二人は何もためらわずに向かいの席に座った。ニヤニヤと笑いながら僕にフェリシテが声をかける。


「まだ魔族が怖い?」

「怖いんじゃなくって…、まあ今は怖くないよ」

「魔族のことが怖かったんですか?」


おどろいたかのように、きれいな灰色の目を大きくしてイザベルが聞いてくる。別に魔族が怖いとかそういうわけじゃない。


「怖いというより……緊張していたんだよ。初めてに行くわけだし」

御者が出発する旨を告げると、馬車は徐々に速力を増していく。

「それだけじゃなさそうですけどね。名家カンプラ家の子息あなたが魔族の首都の会議に出席する。最早慣例と化したそんな行事で不安を感じるとは思えません」

イザベルの目はブレずにじっと僕を見つめる。さっきの遊びの目ではなく派閥の一員としての仕事の目、そう感じた。


「色々あるんだよ。とりあえず二人は護衛の役割を果たしてくれれば――」

「護衛として最大限奉仕するためには信頼していただかないと。……そうではないですか?」


信頼関係か、確かに一理あるな。僕がそんなことを思っていると急に横から割り込まれる。


「優秀な護衛は護衛らしく任務を果たすものよ。主人が何をやっても、何を考えていても、ね」


魔導書から目を離すことなく、僕らにそう語った。聖者イザベルは発言から思考のために引く、逆に思考を終えた少女フェリシテが出てきて対決する。


「主人っていうけど、二人はリーダーと副リーダーでしょ?私はそう言われて来たんだけど」


なるほど、主従関係じゃなく対等なグループってわけだ。まあ、間違ってはいないがどうしたもんか。


「主従の関係よ。――本物の貴族だったら序列はわかるでしょう?」

「本物の貴族っていうのは借金の抵当に領地を明け渡す無能のこと?

なら私たちは本物じゃないかも」


イザベルは二人を諭すようにどうにか場を落ち着かせようとしているが、根本的に落ち着いた上で言葉で殴り合っているのであまり意味が無い。片方は笑って毒を吐くし、もう片方は淡々と毒を吐く。イザベルが教えを引用して場を落ちかせようとする。しかし、神ですらこの二人は止められないみたいだ。


父がかつて言っていた――「真の後継者と決めたお前には帝国や人々を見る義務がある」と。だけどもう帝国の政治のドロドロしたものは十分感じたよ…。とりあえずこれを止めないと。頭の中で思っていることをまとめる。


「とにかく」


三人が一斉に僕を見る。レーヌは読んでいたはずの分厚く重い本を閉じて右手に握りしめていた。何に使うつもりだったかは聞かない。


「仕事はやりきらなきゃならない。大分安全になったとはいえ、まだ旅は危険だからさ。帰るまでは出自が何であろうが仲間としてやっていくしか無いさ。どうしても嫌というならここで去ってくれても構わない。僕一人でもどうにかする」


少し待つ。誰も喋りださないことを確認すると続ける。


「こんなことで任務を切り上げて帰ることができるか?帰ってこんなことを話すつもりか?この馬車に乗った以上はやり切るか、今すぐやめるか、それだけだ」


レーヌはいつもどおり魔法書解読に移った。イザベルも教本を読んでいるし、フェリシテも少しヘコんでいる。……が、何故かまたニコニコしながらこっちに話しかけてくる。


「一蓮托生ってやつ?」

「旅が終わるまではそうだね」

「旅が終わっても一緒がいいな」


いきなりの告白だったが、なぜかそれに官能的なものでなく感傷的なものを感じた。じっと見つめる瞳もそれを物語っている気がする。僕が黙っていると、彼女も何かを取り出して読み始めた。


イザベルも何かを言おうとしたが、結局何も言わなかった。僕も何を言えばいいのかわからなかった。


幌馬車は山道を登り始めたらしい。勾配の変化でバランスを崩した時にレーヌと肩がぶつかり、舌打ちされた。乾いた空気のおかげで振り返ると僕の住んでいる美しい街がよく見える。


けれども徐々に勾配が緩くなっていって、戦後つくられた新たな街道に入ると、もう高山をくり抜いたあとの無機質な石壁と掘削の跡であるクズ石しか見えない。夏の日が照りつけるにも関わらず、それらから感じる妙な冷たさは、何故か僕に懐かしさを感じさせた。

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