異世界の孤児院って絶対悪徳だよね?

トラックに轢かれて死んだはずの看護師・神田奈央は、エルフェリア王国の伯爵令嬢、マリエン・レーバークーゼンとして目を覚ました。


金髪に青い目をした、美しい伯爵令嬢。


大病院を運営する伯爵家での何不自由ない暮らしが用意されていて、黙って大人しくしていれば、親が決めた結婚相手に嫁ぎ、それなりの幸せを掴めるだろう。


しかし神田…マリエンには確固たる目的があった。


それはこの世界で人助けをすること。


そしてマリエンには、人助けできる自信もあった。


何しろ転生前には異世界系マンガを千冊以上読破しており、知識は豊富だ。


「まずは人身売買をやってる孤児院を探さなきゃ」


異世界系マンガでは決まって、孤児院が「悪と欲望の巣窟」であり、孤児院の運営者はこっそり人身売買で儲けているものだ。


ヒロインは危険を顧みない持ち前の行動力で人身売買を暴き、子どもたちを救う。


その過程でヒーローと出会って愛されちゃったりもする。


早速マリエンはベルに呼ばれてやってきた侍女に、「孤児院で奉仕活動をしたい」と告げた。


ーーー


マルグリッタ孤児院。


マリエンが馬車から降りると、管理者であるシスター・ユリアナが人の良さそうな笑顔で迎えてくれた。


マルグリッタ孤児院の子どもたちは皆健康そうで、服も清潔。食事も栄養バランスが取れている。


シスター・ユリアナは温厚な語り口で孤児院の運営について説明してくれるが、よどみのない説明に、逆にマリエンの疑念は深まる。


「貴族令嬢が来ると聞いたから、いい食事をだしていい服を着せているだけ。これはカモフラージュね」


読み書きや職業教育までしていると聞いて、「ここまで整っているのは逆に怪しい」と、疑いは深まる。


マリエンは食事を準備しているキッチンを舐めるような目で監視し、事務室や子どもたちの寝室を探る。


子どもたちと遊ぶのも勉強を教えるのも読み聞かせをするのも、そっちのけだ。


とにかく証拠を探す。だってそのために来たんだから。


(でも、何もない…巧妙に隠しているのね…!)


「そうだ、子どもたちの身体を確認するのよ!傷があれば虐待の証拠になるわ!」


マリエンは子どもたちの寝室に子どもを集め、ひとりひとり服を脱がせて傷がないか確認する。


(ない…どうして…?)


そこへシスターがやってきて、悲鳴をあげた。


「子どもたちの服を脱がせるなんて、なんてことを!それも他の子が見ている前で…!」

「だって証拠が必要なんだもの…」

「とにかく、早く服を着せてあげてください!」


予定していた時間では何も得られず、マリエンが「また来ます」と告げるとシスターは戸惑った顔をした。


奉仕活動に来たのに、子どもと遊びもせず、子どもの服を脱がせて裸を確認してたのだから当然だ。


しかしマリエンは意に介さない。


「嫌がるってことは、後ろ暗いところがあるということよね。やっぱり怪しいわ」


ーーー


マリエンは今日もマルグリッタ孤児院へ行く。


孤児院に着くと、シスター・ユリアナが「今日もありがとうございます」と、多少無理をしたような笑顔で迎えてくれた。


ここ最近毎日のようにマリエンの訪問を受け、監視されているので、シスターもスタッフたちも正直うんざりしている。


何かを探っているらしいが、探られるようなものがないので、戸惑うばかりだ。


スタッフの中には「孤児院の下に遺跡か埋蔵金が隠れているのかも」なんて、突拍子のないことを言い出す者もいた。


今日もマリエンは何も見つけられず、トボトボと帰途につく。


そこで15~17歳前後の女の子たちが、楽しそうにおしゃべりしながらやってきて、孤児院の門をくぐった。


孤児院の年齢制限を超えているので、ここにいた子たちだろう。


マリエンはぱっと馬車から飛び出し、彼女たちに話しかける。


「辛かったわね…」

「何がですか?」


「人身売買で孤児院から売り飛ばされて、命からがらここに逃げて来たのではないか」というマリエンに、女の子たちは吹き出した。


「ありえません」

「そもそもシスターのせいで売られたのなら、ここに戻ってこないし」

「シスターのことをとっても尊敬しているから、ときどき奉公先から里帰りしているんです」

「奉公先もいいところばかり紹介してもらえるから、ここはすごくいいですよ」


(そんな…)


ーーー


「聖女みたいに優しいと言われるマルグリッタ孤児院のシスター・ユリアナの人身売買を疑い、噛みついた女」として社交界で悪評が広まっても、王都の全孤児院から出禁になっても、マリエンは止まらなかった。


「この世界の誰もが見逃してる…でも、私は知ってるの。異世界では孤児院は闇なのよ!」


マリエンは手当たり次第に孤児院の裏口から忍び込んだ。


ごみ箱を漁り、薬品の瓶を見つけては「子どもを薬漬けにしてる証拠!」と叫ぶ。


事務室の鍵を壊し、経理書類を手当たり次第に引っ張り出してきて、何も見つけられず、ただただ散らかす。


孤児院の管理者が行く先々まで尾行して、粘着する。


転生前からマリエンの友人だった令嬢たちは、最初のうちはマリエンに止めるよう警告してくれたが、マリエン…神田が行動を改めないので離れていった。


家族からも使用人からも白い目で見られ、マリエンは孤立していく。


けれどマリエンは諦めない。


この孤独すら、正義を達成するために必要だからだ。


異世界転生したヒロインたちは、壁にぶちあたっても不屈の精神で乗り越える。その過程が読者の胸を熱くし、最高のイケメンを呼び寄せるのだから。


「みんな今に私が正しいってわかるわ…だって異世界では孤児院は絶対闇だもの…」


ーーー


マリエンは王都から少し離れた場所に、古びた孤児院を見つけた。


「きっとここだ…ついに見つけたわ」


夜、マリエンはすっかり慣れた手つきで孤児院の裏口の鍵をピッキングする。


そして物陰から、職員同士の会話を盗み聞いた。


「今夜は運ぶんだろ?」

「ああ、15歳の女の子を三人だ。ちょうどいい買い手がついた」


マリエンの目が見開かれ、今までの苦労が報われた喜びで胸がいっぱいになる。


拳を握りしめて「やった…やったわ…」とつぶやいた。


今すぐ自分の勝利を、正しさを、正義を、全世界に向けて叫びたい。


正義感と使命感が彼女の背中を強く押す。


(私は正しかった…私はこの世界の英雄だ)


暗がりで立ち上がり、息を大きく吸って「待ちなさい!」と叫ぼうとしたとき、頭に衝撃を感じた。


ーーー


目を覚ますと、マリエンの身体は椅子にロープでくくりつけられていた。腕も足も動かない。


「おはよう、正義の味方気取りさん」


顔を上げると、赤毛に涙ボクロがある1人の女がこちらを見ている。


絶体絶命だが、マリエンの気分は高揚していた。


だってここは悪徳孤児院の地下だから。


「私は正しかった!やっぱりこの世界の孤児院は闇なのよ…!」


女は「ふふ」と笑って、「正義を証明できてよかったわねぇ」とマリエンを祝福した。


「だけど何の意味もないわ」


女は銀色の器具を布で磨く手を止めた。


真実を突き止めたという高揚感が消え、じわじわと恐怖が迫ってくる。


「声がなければ、誰も信じてはくれないもの。それに人を疑ってかかる曇った目も、いらないわ」


叫びたいのに声を出せない。


耐えがたい痛みとともに、マリエンは声と光を失った。


ーーー


マルグリッタ孤児院では、今日も子どもたちが笑ったり頭をひねりながら勉強したりしている。


今日はマルグリッタ孤児院で王都近辺にある孤児院を運営する人たちの情報交換会があり、シスター・ユリアナは朝から忙しくしている。


王都の郊外で孤児院を運営しているという赤毛の女性が、会議の終わりにマリエンの話題を向けた。


「そういえばマリエン・レーバークーゼン嬢のこと、聞かれましたか?」


運営者たちは口々に話し出した。マリエン・レーバークーゼンは、彼らにとって共通の話題なのだ。


「むごいことですわ」

「でもバチが当たったと思いませんか?すべての孤児院を悪の温床扱いしていたのでしょう?うちの孤児院は不法侵入されて驚きましたよ」

「うちもです!虐待だ何だと社交界で言いふらされて、一時期は支援金が減ってどうなることかと思いました」

「でももう言葉も話せないなら、あることないこと言いふらしもできませんね。目も見えないなら我々を探りようもないですし」


「もう彼女に煩わされなくていいのは確かですね」と赤毛の女が話を締めた。


もう誰も、あの郊外の孤児院を疑う者はいない。


正義感に取りつかれた転生者は、もう声を挙げられないから。


◆◆◆


「その後、マリエンは伯爵邸で匿われるようにして暮らし、最後は世話に嫌気がさした侍女に殺されました。以上が転生者番号1056・神田奈央さんについての報告となります」


「正義の暴走だなぁ…」「思い込みの激しそうな人だったもんね」と会議室に囁きが広がっていく。


発表者のイセカイエージェント株式会社・中川は着席した。上司の大塚が聞く。


「最後の孤児院は、もともとの異世界にはなかったんだよね?」

「はい。神田さん…マリエンがなかなか諦めなかったので、システムを変更して悪徳孤児院を追加しました」


「はい!」と新人の山森が手を挙げた。


「システム追加やったことないので、やり方とか注意点、教えてほしいです!」

「そうだなあ。やったことのない人も多いだろうから、この際全社的に展開しよう。中川さん、頼める?」

「はい。自分用のマニュアルは作ってあるので、きれいにして共有フォルダにあげておきますね」


「さすがシゴデキ中川」という声を聞きながら、中川は神田のことを思い出していた。


神田は「転生して人助けがしたい」と言っていた。


前世が看護師だったから、「臓器売買を行っている悪徳病院」を経営する伯爵家の令嬢として転生させたのだ。


なのに彼女はテンプレートにこだわって孤児院を疑い、善意の孤児院運営者たちを煩わせた。


あまりにめげないので、異世界のオーナーから「新しいモブ、うっとうしい」とクレームが入り、システム変更して排除せざるを得なくなったのだった。


まず自分の周りを知ることから始めていれば、すぐそばにある悪に気付き、人助けができたはずなのに。


中川はぐいっと伸びをした。


「まあ山森君がシステム追加を覚えるきっかけにはなったから、人助けはできてるか」

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