『法則改竄(マジック・ハック)の合理主義者(サイコパス)』
@jamaikan
第1巻:法則改竄-コード・ブレイカー-】 第1章:『再起動-リブート-』 (Part 1/10
無機質な天井のシミが、最初に視界を占有した情報だった。
蛍光灯の白い光が不躾に網膜を焼き、嗅覚は消毒液と安物の芳香剤が混じり合った不快な臭いを検知する。全身を包むシーツは湿気を帯びて重く、肌に張り付いていた。典型的な安ビジネスホテルのシングルルーム。文明レベルの低い時代における、画一化された宿泊施設のフォーマットだ。
新見ヒロ、という名を与えられた肉体は、ゆっくりと上体を起こした。軋むベッドのスプリング音が、不自然なほど大きく部屋に響く。
彼は自らの両手を見下ろした。
傷一つない、若々しい指先。贅肉も、鍛え抜かれた筋肉もない、ごく平凡な青年の手だ。その手を握り、そして開く。一連の動作に遅延はなく、思考と肉体の同期は正常。だが、拭いようのない違和感が残る。
「……軽いな」
呟きは、誰に聞かせるでもなく室内の乾いた空気に溶けた。
千年の時を生きた精神を宿すには、この器はあまりにも脆弱で、質量が足りていない。まるで分厚い鉛の鎧を脱ぎ捨て、裸で戦場に立つような心許なさ。あるいは、それすらも些事であるかのような、絶対的な確信。
ヒロはベッドから降り立つと、備え付けのデスクに置かれていたノートパソコンを開いた。旧世代の物理キーボード。指で叩けばプラスチックの安っぽい反発が返ってくる。極めて非効率な入力インターフェースだ。
電源を入れ、ホテルのフリーWi-Fiに接続する。パスワード認証の画面が表示されるが、ヒロはそれを無視した。
「さて、始めようか」
独り言と共に、彼はディスプレイに右の人差し指をそっと触れさせる。
――異能、『法則改竄(マジック・ハッキング)』起動。
彼の意識は、指先から奔流となって溢れ出した。物理的な銅線や電波といった媒体を介さない。彼の精神そのものが情報となり、ホテルのルーター、地域のサーバー、そして国家の基幹回線へと、指数関数的に浸透していく。
それはハッキングなどという生易しいものではない。世界の神経網(ネットワーク)にアクセスし、その管理権限を強奪する行為。この世界の『神』が設定したルールを無視し、管理者(アドミン)権限でログインするに等しい。
――検索条件(クエリ):西暦2025年より過去1000年分の、地政学、軍事、経済、技術、文化における全ての変動データ。
――検索範囲(スコープ):全球(グローバル)。
――実行(エクスキューション)。
数瞬の沈黙。
ヒロの網膜に、常人であれば瞬時に脳が焼き切れるほどの情報が凄まじい速度で流れ込み、再構築されていく。アメリカ帝国の成立。識別紋章(スティグマ)による人民管理。魔導工学の発展。そして、極東の島国・日本だけが鎖国を貫き、内戦で疲弊しているという、かつての世界ではありえなかった歴史。
情報の奔流が止んだ時、ヒロは静かに呟いた。
「……なるほど。状況は理解した。やはり、あの馬鹿弟子が世界をここまで歪ませたか」
その声には、怒りも、悲しみも、絶望も含まれていない。
ただ、壊れた機械を前にした技術者が、その故障原因を特定した時のような、冷たい納得だけがあった。
「残り時間は、40年。――時間がないな」
彼は再びディスプレイに視線を落とす。世界の構造は把握した。次は、この異能がどこまで通用するかの最終テストを行う必要がある。最初の駒を動かすための、軍資金の確保も兼ねて。
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