第15話 無機質な選別
意識の混濁は、まるで深い沼の底から水面を目指すように、ゆっくりと晴れていった。最初にマルトの五感を刺激したのは、つんとした金属の匂いと、肌を刺すような冷気、そして全身を包む奇妙な浮遊感であった。重い瞼をこじ開けると、視界に飛び込んできたのは、見慣れた村の木造家屋の温もりとは似ても似つかない、無機質で冷徹な光景であった。
滑らかで継ぎ目のない金属の壁、床、そして天井。全てが、ぼんやりとした照明を反射し、冷たい光沢を放っている。それはまるで、伝説に語られる巨大な獣の腹の中にでもいるかのようであった。彼が知る鉄や銅といった金属とは明らかに性質が異なり、触れた指先から伝わるのは、生命の温もりを一切拒絶するような、絶対的な冷たさだけであった。
「……う……ん……」
隣で身じろぎした気配に、マルトは慌てて視線を向けた。そこには、彼の家族、そしてシルヴァレンヌ村の住民たちが、数百名、まるで打ち上げられた魚のように折り重なって倒れていた。皆、意識が朦朧としているのか、あるいは恐怖に身を竦ませているのか、虚ろな目で一点を見つめている。
「お父さん!お母さん!」
マルトは、必死に両親の姿を探した。幸いにも、すぐ近くに二人の姿を見つけ、彼は安堵のため息をついた。父は、力なくマルトの頭を撫で、母は、その小さな身体をかき抱き、震える声で彼の名を呼んだ。マルトの友人であるルイザ(8歳)、そしてフォニア(9歳)も、それぞれの家族の傍らで怯えたように身を寄せ合っていた。彼女たちは、あの夜、村の川で水浴びをしていたところを拉致されたため、未だに全裸のままであった。その華奢な身体は、恐怖と寒さから細かく震え、白い肌には痛々しいほど鳥肌が立っている。
「ここは、どこなんだ……一体、何が起きたんだ……?」
村の長老であるエイブラムが、かすれた声で呟いた。彼の言葉に、周囲の者たちも、堰を切ったように不安の声を漏らし始めた。あの夜、村を襲った鉄の獣。家々を紙のように破壊し、人々を赤子のように掴み去っていった悪夢の光景が、それぞれの脳裏に鮮明に蘇る。自分たちが、あの怪物によって拉致されたのだという事実を、誰もが認めざるを得なかった。
「静かにしろ!下手に騒げば、何をされるか分からんぞ!」
村の猟師である屈強な男、ゲルドが鋭い声で周囲を制した。彼の言葉には、恐怖を押し殺した冷静さがあった。彼は、この異常な状況下で、人々がパニックに陥ることを最も恐れていた。しかし、その冷静さも、檻の壁に埋め込まれた一つの「窓」が放つ、不可解な光景の前には脆くも崩れ去った。
誰かが、その窓に気づき、おそるおそる近づいた。直径一メートルほどの、水晶のような透明な物質が嵌め込まれたその窓の向こうには、信じがたい光景が広がっていた。
漆黒の闇。どこまでも続く、底なしの暗黒。しかし、それは単なる闇ではなかった。無数の、ダイヤモンドの如き輝きを放つ光点が、まるでビロードの布に撒かれた宝石のように、その闇の中に散りばめられている。そして、その星々の海の中央に、巨大で、荘厳で、そして言いようもなく美しい、青と白の渦巻く球体が、静かに浮かんでいた。
「な……なんだ、あれは……?」
窓を覗き込んだ男が、絶句した。その声に、他の村人たちも次々と窓の周りに集まり、その神々しくも不気味な光景に言葉を失った。
アーレンシア大陸に生きる彼らにとって、世界とは、広大な大地と、それを覆う天空、そして夜空を飾る月と星々であった。宇宙空間という概念も、自分たちが暮らす世界が惑星と呼ばれる球体であるという知識も、彼らには存在しない。彼らの常識では、空の果てには神々の住まう領域があるか、あるいは大魔術師が作り出した天蓋がある、と信じられていた。
「魔術……だ。これは、大魔術師が作り出した幻影の世界に違いない……」
エイブラム長老が、震える声で言った。彼の言葉は、混乱する村人たちに、一つの仮初めの「理解」を与えた。そうだ、これは現実ではない。我々は、何者かの強力な魔術によって、異次元の迷宮に囚われているのだ。そうでなければ、この光景を説明することはできない。
「見て……青いところは海で、白いのは雲なのかしら……まるで、神様が描いた地図のようだわ……」
若い母親が、うっとりとした声で呟いた。その巨大な球体は、確かに、彼らが知る世界の姿を、遥か高みから見下ろしたかのように見えた。恐怖の中にあって、そのあまりの美しさは、人々の心を一瞬、捉えて離さなかった。しかし、その美しさは、同時に、自分たちが故郷からどれほど遠く、そして絶望的な場所にいるのかを、無慈悲に突きつけるものでもあった。
その時、彼らの心を支配していた束の間の静寂は、金属の擦れるような、低い作動音によって破られた。
檻の壁の一部が、音もなく横にスライドする。光沢のある金属の扉が開き、そこから、あの夜に見た奇妙な物体が、ゆっくりと姿を現した。直径一メートルほどの金属の球体。宙に浮かび、その表面の赤い光点を、まるで昆虫の複眼のように、不気味に明滅させている。
村人たちは、その不気味な浮遊物体に息を呑んだ。再び、現実の恐怖が彼らの心を鷲掴みにする。そして、その物体から、無機質で平坦な声が響き渡った。
「出ロ、選別ヲ始メル」
その言葉は、村人たちが使うものと同じ言語であったが、イントネーションは存在せず、感情というものが完全に欠落していた。ただ、プログラムされた情報を再生しているかのような、冷たい機械音。しかし、その言葉の意味するところは、村人たちの心に、原始的な恐怖を植え付けた。「選別」。その言葉が、自分たちの命が、何者かの価値基準によって選り分けられることを意味していると、誰もが本能的に理解した。
浮遊物体は、村人たちを檻の外へと促し、そして先導するように、ゆっくりと廊下を進み始めた。ゲルドが、一瞬、抵抗しようと拳を握りしめた。しかし、その動きを察知したかのように、浮遊物体は赤い光点を彼に向け、その光が鋭く明滅した。ゲルの身体が、見えない力によって締め付けられ、彼は苦痛の声を上げてその場に膝をついた。
「ぐっ……うぅ……」
「ゲルドさん!」
村人たちが悲鳴を上げる。浮遊物体は、再び平坦な声で繰り返した。
「抵抗ハ無意味。速ヤカニ移動セヨ」
もはや、誰も逆らうことはできなかった。彼らは、まるで屠殺場へと引かれていく家畜の群れのように、お互いの身体を支え合いながら、薄暗い金属の廊下を歩いていった。マルトは、ルイザとフォニアの手を固く握りしめた。二人の少女の小さな手は、氷のように冷たくなっていた。
やがて、彼らはとある広い部屋へとたどり着いた。その部屋の中央には何もなく、ただ天井から、無数の細い管がぶら下がっているだけであった。村人たちが部屋の中央に集められると、突如として、天井の管から何かが勢いよく噴射された。
「うわっ!」
「冷たい!何だ、これは!?」
村人たちは、突然の出来事に悲鳴を上げた。それは、まるで豪雨のような、しかし、水ではない、少し粘り気のある無色透明の液体であった。人々は、びしょ濡れになりながら、その気味の悪い液体から逃れようとした。しかし、次の瞬間、彼らはさらなる恐怖に襲われた。
自分たちが身に纏っていた、最後の尊厳とも言える衣服が、瞬く間に溶けていくのである。農作業で着古した麻の服も、祭りのために仕立てた晴れ着も、猟師が纏う丈夫な革の鎧も、その液体に触れた瞬間、まるで砂糖菓子のように泡を立てて溶け始め、やがて跡形もなく消え去ってしまった。
「ああ……!服が……私の服が!」
「なんてことだ……」
村人たちは、完全に全裸にされ、互いに身を寄せ合いながら、恐怖と羞恥に震えた。女性たちは、悲鳴を上げてその細い腕で身体を隠そうとしたが、もはや隠すものなど何もなかった。人間としての尊厳が、一片の情けもなく、無慈悲に剥ぎ取られていく。ルイザとフォニアは、マルトの背中に隠れるようにして、声を殺して泣いていた。
しかし、不思議なことに、村人たちの人体には、何の影響もなかった。肌は、わずかにひりつく程度であり、火傷を負うことも、肉が溶けることもなかった。その事実が、かえってこの行為の非人間性と、それを実行する者たちの、人間とはかけ離れた技術レベルを物語っていた。
再び、あの金属の浮遊物体が現れ、全裸にされた村人たちを先導し始めた。彼らは、恥辱と恐怖に心を蝕まれながら、さらに奥の部屋へと進んでいった。そして、彼らがたどり着いたのは、巨大なドーム状の空間であった。その広さは、村の広場を遥かに超え、天井は見上げるほどに高い。
その部屋の中央には、床から巨大な金属の触手が何本も、まるで悪夢の中の森のように生えていた。その触手は、巨大な蛇のように、ゆっくりと、しかし滑らかに蠢いている。そして、その先端からは、血のように赤い光が放たれ、部屋に入ってきた村人たち一人一人を、まるで品定めするかのように、頭のてっぺんから爪先まで、舐めるようにスキャンしていく。
村人たちは、その異様で冒涜的な光景に、もはや声も出せずに立ち尽くしていた。そして、その時、ドーム全体に、あの無機質な声が響き渡った。
「選別ヲ開始スル」
その言葉を合図に、金属の触手が、一斉に動き出した。
一本の触手が、蛇が獲物に飛びかかるかのような素早い動きで、エイブラム長老を掴み上げた。老人は、悲鳴を上げる間もなく、その巨体に似合わない力で宙に持ち上げられ、そして、部屋の隅にある巨大な穴の中へと、まるでゴミを捨てるかのように、無造作に放り投げられた。
「お爺ちゃん!」
長老の孫娘であろう少女の、甲高い絶叫が響き渡った。しかし、その声は、穴の底から聞こえてくる、何かを焼き尽くすような轟音にかき消された。穴の縁からは、地獄の業火を思わせる、赤黒い炎が揺らめいているのが見えた。そこは、焼却炉であった。
触手は、次々と老人や老婆、そして病気や怪我で弱っている者たちを掴み上げては、焼却炉へと放り込んでいった。彼らは、何の抵抗もできず、あるいは抵抗する間もなく、その短い生涯を終えていく。若く健康な若者たちは、別の触手によって掴まれ、まるで家畜を仕分けるかのように、ドームの右側のスペースへと区分けされていった。そして、マルトやルイザ、フォニアといった小さい子供たちもまた、別の触手によって、左側のスペースへと容赦なく分けられていった。
「やめろ!俺の母さんを離せ!」
一人の青年が、母親を掴んだ触手に飛びかかった。彼は、村でも一番の力自慢であったが、その力も、金属の触手の前には無力であった。彼は、別の触手によって、まるで虫けらを払うかのように弾き飛ばされ、金属の壁に叩きつけられて動かなくなった。
「ああ……神よ……お許しください……」
村人たちは、目の前で繰り広げられる地獄絵図に、ただ絶叫し、祈り、あるいは気を失うことしかできなかった。しかし、神は、彼らの祈りに応えることはなかった。機械は、無慈悲に、そして恐ろしく効率的に、選別を続行していく。
マルトは、子供たちが集められた区画で、母親から引き離され、その光景を震えながら見つめていた。彼の心は、既に壊れかけていた。人間としての尊厳、命の価値、家族の絆、そういったものが、ここでは何の意味も持たない。彼らは、ただの「資源」として、冷徹に選別されているに過ぎなかった。
やがて、選別は終わった。ドームの中央には、若者と子供たちだけが、それぞれのスペースに残された。老人や病人、そして抵抗した者たちは、全て焼却炉の炎の中に消えた。シルヴァレンヌ村の歴史と知恵は、一瞬にして灰と化した。
マルトは、母親が連れて行かれた右側の区画を、涙で滲む目で見つめていた。彼の心には、絶対的な絶望と、そして燃えるような怒りが、同時に宿り始めていた。この先、自分たちに何が待ち受けているのか。希望など、どこにも見当たらなかった。ただ、無機質な金属の壁と、冷たい機械の視線だけが、彼らを支配していた。
魔王軍、ただいま人類救援中!~宇宙からの侵略? 知ったことか。世界の終わりを決めるのは我々だ~ DG @kazukilll
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