〈11〉「プルメリアですけど」
「プルメリアですけど」
『はい』
それは、神様へのお供えとして
ニョマンがいつも集めている花の名前です
「何語でした?」
『英語ですね』
もう、ニョマンは辞典に頼らなくてもそれが何語か
分かるくらい、言語に精通しているのでした
「フランジパニは?」
『オージーの人はプルメリアをフランジパニと呼ぶようです』
「バリ語では何と言います?」
『ジュプンです』
「カトキチはボクのことを“ガヤ”と呼ぶけど、あれもバリ語なの?」
『ガヤ?』
「他のマデ達も、ボクをそう呼びます」
『さぁ』
おそらく“ガヤ”は何かしらの良からぬ語彙を含んだバリ語であると
思われますが、ニョマンはボクにその言葉の意味を教えてくれません
『今日は出かけないのですか』
「さて、どうしようかと」
『シアンチュウ、ですか?』
「ええ、まあ、どうしました?」
『いえ、べつに』
ニョマンが何か“モゴモゴ”言っています
「行きたいところがあるのなら」
『いえ、大丈夫です』
「その“大丈夫です”は、どっちの大丈夫です?」
『そっちの大丈夫です』
「エッ、どっちの?」
『フフッ』
どうも、スッキリしません
「遠慮ですか?」
『なんか』
「ナンカ?」
『遠いので』
「遠いって、どれくらい?」
『イッパク・フツカです』
ニョマンが指を一本と二本、立てました、なかなか可愛いです
「お泊りですか」
『はい』
「楽しそうですね」
『でも』
「でも?」
“泊りがけで何処かに行くのに、自分から男の人を誘うのは気が退ける”
みたいな事をニョマンが早口のインドネシア語で言うのでした
「毎日となりに寝ているのに」
『それとこれとは』
「話が違う?」
『はい』
では
「ヨーヨー!タマニハ・フタリデ・リョコウニ・イコウゼ~!」
ラップ調に言ってみました
「シゴトハ・カトキチニ・マカセテサ~」
ニョマンが、キョトンとしています
「タノシイ・コトシカ・カンガエ・ナ~イ!」
『プッ』
と、ニョマンが笑いましたので、ボクの勝ちです
この場合“韻”が踏めたかどうかは問題では無く
ボクの“ラップ”がニョマンを笑わせた事に意味があります
「それで、何処に行きたいのです?」
『チンタ・マーニです』
「チンタ・マーニ?」
(チンタ・マーニ”は我らの聖なる山“アグン山の恋人と呼ばれている
高原地帯なのさ~“チンタ”は“恋しい”“マーニ”は“ハニー”まさに
“アグン山”が“ワタシの愛しき人”って呼んじゃうくらい
エメラルドでグリーンなカルデラ湖なんだぜ~、おまけに
今じゃ、バリ島有数のリゾート地ときたもんダァ~)
と、何故かカトキチも、ラップ調に教えてくれました
(ウルワツが南のパールなら“チンタ・マーニ”は北のダイアモンドだね)
「さっき、エメラルドって言ってなかった?」
(細かいことは、気にしないの、サァ~)
「オマエはサマサマ・オバサンか」
(オマケに標高がアグン山の中腹くらいあって、涼しいの、サァ~)
「さぁ~、だけ踏んでるつもり」
(ナガソデ、モッテる?)
“チンタ・マーニ”の名前は、日本に居るときにも聞いていました、機会があれば
行ってみたいとも、思っていました、しかし、先ほどニョマンさんにお借りしました
“日英インドネシア語辞典”に依りますと“チンタ・マーニ”は“如意宝珠”即ち
“何でも望みの叶う珠”であると記されていました、やや、カトキチ説とは違う
ようですが今回は、カトキチの見解を採用したいと思います、何故なら
カトキチがこの旅をとても熱心に勧めてくれるからです、もしかして
彼の地に、カトキチの淡い思い出があったりするのでしょうか?
そんなカトキチに“チンタ・マーニ”への行き方を聞くと
(イキはのぼり、カエリはくだり、あとはマッスグ)
なんて、適当な案内しかしてくれませんでしたが
(ダイジョウブ、キットタノシイって)
と、やはり、絶賛お勧めでしたので、なんだか楽しみになってきました
明朝、ニョマンとボクは、チンタ・マーニへ旅立ちます
そんな夜、ニョマンがボクにこんな話をしました、それはボクが
バリ島に着いた日に、このコテージで起こった事故の話でした
『あの夜、プールにいましたね』
「あの夜?」
『足をピチャピッチャしていましたね』
「ああ、はい、ボクがここに来た最初の夜のことですね」
『そうです、ワタシは朝のフルーツのジュンビをしていました』
「いつも、朝早くからご苦労様です」
『いえいえ、あの日アナタの少し前にオージーの人がいなくなりました』
「いなくなりました?」
『プールでいなくなりました』
「それは“亡くなりました”の事ですか?」
『はい、プールのソコにいました』
「それは、他人事とは思えないですね」
『マッシュルームの食べすぎだったようです』
おお~“明日は我が身”の話ではないですか
『ハッケンが、オクレました』
「コワイ話しです」
『日本語では“カミヒトエ”と言います』
「日本語に詳しいですね」
『はい、日英インドネシア辞典より、です』
「良い辞典をお持ちですこと」
『つぎの朝、オソウシキをしました』
「お葬式?」
『はい、みんなでタマシイを海に送りました』
「お知り合いの人だったのですか?」
『いえ、死ねばみんな送ります』
「そうですか、アレ?そのお葬式ってあのパレードみたいなの?」
『パレード?』
「ホラッ、並んで行進しながら歌い踊っていませんでした?」
『いました』
「賑やかでしたね」
『ニギヤカなほうがサミシクないでしょう』
「なるほど」
『死は、ツギのタンジョウのおイワイです』
「おお、輪廻転生みたい」
『リンネテンショウ?』
あれはボクがここに来て、初めての朝食をとっていた時の事でした
プールとカフェの間に敷かれたモザイクタイルの上を
バリニーズの人達の行列が賑々しく、通り過ぎて
行ったのでした、あのパレードがプールで
亡くなった人のお葬式だったなんて
まったく、思いもしませんでした
「でも、今どうしてこのタイミングで、その話をボクにしました?」
『それは…ですね』
ニョマンが言葉を探しました
『バリではよく人がいなくなります』
「亡くなるってことですか?」
『はい、10人うまれても、のこるのは半分くらいでしょう』
「エッ、そんなに」
『ええ、ワタシも今、ひとりですし」
「そうでした、すみません」
『アナタが、アヤマルことではありません』
「そうでした」
『バリは、人がいなくなることにナレテいると思います』
「慣れている?」
『はい、悲しいですけれど、オドロキません』
「おどろかないの?」
『100年後に、アナタとアナタの知り合いがこの世界にいると思います?』
「居ないかな?」
『だったら、100年後でも今でも、いなくなるのにチガイはないでしょう』
「無いのかな?」
『でしたら、いなくなることに、オドロカないと思います』
「思います?」
『でも、アナタがいなくなるかも知れないと思うと、少しチガイました』
「違うって、何が?」
『はい、アナタにはいなくならないでホシイと、思いました』
「それは、どういう?」
『アナタがいなくなることにワタシはナレないと思います』
「慣れない?」
『はい、こんな気持ちは初めてです』
あら
『いなくならないで下さいね』
「ニョマン」
『はい』
「それって、告白?」
『コクハクって、何です?』
「調べなくて良いです」
『コクハク、コクハク』
「ボクは、いなくならないですから」
『ホントに?』
「はい、ボクは居なくなる迄、居ますから」
『よかった』
ニョマンさん、ここはツッコムところです
『それで、思ったのですが』
「はい」
『今を楽しめば、良いのではないかと思いました』
「今を楽しむ?」
『はい、オワッタことや先のシンパイより、今を楽しもうと思いました』
「それは良い判断ですね」
『ありがとうございます』
「今が一番近い過去ですから」
『イチバン、チカイ、カコ?』
「はい、一番近い未来でもありますけど」
『イチバン、チカイ、ミライ?』
「過去も未来も“今の自分”からはどうすることも出来ないので“今”を楽しめば良いのです」
『それは、ワタシの言っていることにチカイですか?』
「同じです」
『ウレシイです』
ニョマンが微笑みました
『明日は、ハヤオキですか』
「そのつもりです」
『起こしますね』
「おねがいします」
『おやすみなさい』
「おやすみなさい」
“始まれば終わる”
そんな事も知らずにボクは生きてきました
ニョマンは、終わりから遡って生きて来たのかも知れません
ふたりは違う世界に生まれ、異なる死生観に育ちました、けれども生死の
繰り返しを歴史とするなら、生きるのも死ぬのも同じ方向に進んでいる事になります
だとしたら、生と死を逆の方向から見てきたふたりにも、これからの人生で
交差する瞬間があるかも知れません、ないかも知れません
おやすみなさい
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