第8話 三人の影たち

「その赤い腕輪は、なあに?」

 満足し弛緩した表情でベッドに横たわっていた女が体を起こし、傍らの若く精悍な男の身体を指でなぞりながら、甘い声で問いかける。

「実は俺、この宇宙で最高の秘密諜報員なのさ。この腕輪はその証し」

「あはは、うっそー、この宇宙で最高のジゴロの間違いじゃないの?」

 女は、男の言葉に吹き出しながら応える。

「ばれたか。本当はブラック企業でこきつかわれるしがない営業マン、君といる時が人生最高の瞬間さ」

 その言葉を聞いた女が、男の体に抱きついて挑発するような視線で尋ねる。

「秘密諜報員だとしたら……私をこれからどうなさるつもり?」

「お姫様には身体検査かな? こんなことするかも……こんなこともしようかな……」

 秘め事が再開されそうなその瞬間に、無情にも彼の腕輪が点滅し、呼び出し音を発した。

「こちらレッド、ただいま流星群を回避して宇宙空間を航行中、二時間後にコールバックする」

「ふざけるな、お前がホテルにいることは判っている。大仕事だ、10分以内に仮想会議スペースに参集せよ、違反した場合の罰則がきついのは判ってるな、以上」

両掌を上に向けて。お手上げといった風情で女に囁く。

「といった訳で、ブラック企業の鬼上司からの緊急呼び出しがかかったよ……多分、出張じゃないかな。この埋め合わせは必ずするから」

「……本当に残念だけど、仕事じゃ仕方ないよね。戻ったら必ず連絡してね。待ってるよ」

未練たっぷりの熱い抱擁を交わしてから、移動用スーツを瞬着してホテルの部屋を出る。

『こちらレッド、今から会議スペースに移動する』

そうメッセージを発すると、瞬時に彼の身体はこの街のどこかにある彼らのアジトの受信BOX内に出現していた。


**


「ヨシノブ、今回の模擬戦でお前が作った防御障壁、完璧に近かったぞ。物理攻撃も光学兵器も重力波すら遮断するのだから、文句なしの影勲章、しかも三度目の受賞だ。おめでとう」

 表彰台上で、ドリー・キャプテンに十字型の影勲章を首に掛けられ、抱擁された十二歳のヨシノブは喜びに頬を染めながら両親のことを思い出していた。

“ヒダ星への旅客機の墜落で父さんと母さんが死んだときには、こんな日が来るなんて想像できなかった。俺、もうじき独り立ちしたら二人のお墓を立てるよ〟


「ヨシノブにはもう一つ、嬉しい報せがある。お前は今日でこの訓練施設を卒業だ。そして先日引退した影の地位を引き継ぐこととなった。コードネームはブルー、正式名はブルー・シャドー・オブ・ヒダ。新しいブルー、本当におめでとう。君にはこれから超重要人物を護衛する任務が待っている」

 表彰台にヒダ訓練施設の校長でもある先代のブルーが上がり、青い腕輪をブルーの腕にはめた。予想外の名誉と、自分の為に亡くなった一番大切な人のことを思い出してブルーは涙を止められなかった。

“俺がブルー? ヒダ星の影の組織に拾われた時には想像もしてなかった。そして姉さん、あなたがいなかったら俺は生きていなかった。墜落地点から人里まで必死の彷徨をした時、渇きと疲労で何度もあきらめかけた俺を励ましてくれた。救助された直後に亡くなったあなたを診た医師から、あなたが自分の水と食料を俺に与えた為に命を落としたと聞いた。俺が今生きているのはあなたのおかげです。あなたが生きていたらどんな恩返しでもしてあげるのに〟

姉を思い出して泣くブルーの涙は、いつ果てるともなく流れ続けた。


**


「シルバー、古い付き合いだけれど、あなたに脳と脊髄以外の生体組織が残っていたかしら? この前、奇跡的に残っていた親知らずの神経を抜いたのが最後かと思ってた。今日は何の御用? 私をくどきにきたの?」

 シルバーと呼ばれる患者とこの肉感的な中年の女医とは長い付き合いだ。彼の肉体で痛みに関する症状ではいつも面倒をみてもらっている。脳と視神経、脊髄以外の全てのパーツを人工物に取り換えてからは、たまに世間話をするだけの関係となっていたが、今日は、その為に来たわけではないようだ。

「確かに、あんたと話すのが楽しいことは否定しないが、じつのところ不思議な幻肢痛で悩んでいる。壊れたパーツを交換したり、新しく開発した武装パーツを装着した部分が、機能的には問題ないのに安静時に痛みを感じるのだ。それも指先やつま先の痛みで、何十年も感覚すらなかった部分で痛みだけがいきなり蘇る」

「疑似ホメオスタシスを機能させる為に残している脊髄の末端部分が炎症を起こしているのかもしれないね。軽い炎症止めを脊髄液にいれようか?」

「そのあたりの診察はサイバー外科でやっている。どうもそうじゃないらしい。俺が損傷を目視確認した部分で、かつ交換後に起こるんだ」

「……」

「以前、最初に大きく肉体を損傷した時に起きた幻肢痛でやった治療をまたやってくれないか?」

「……」

「どうした? 難しいのか?」

「……どう言えばいいのかな……仕方ないね……あの時何をしたか説明するわ」

「なんだか大袈裟な話になってきたな? 何か俺の身体に問題があるのか?」

「あなたの体には何の問題もない。問題はあなたの心なのさ」

「どういうことだ?」

「最初の幻肢痛の時に施したのはフェイクで実はあなたの体をさすっていただけ。神経末端の壊死した部分を削ったと嘘をついたら、施術後にあなたの痛みはきれいに消えていた。だからサイバー外科で器質的要因がないと判断されたのなら、痛みはあなたの心が生み出しているの。それを知ってしまったので、偽の施術ではもう効果がでない」

暫くの沈黙の後に、シルバーが口を開く。

「だとしたら俺はどうすればよい?」

「このところ閑だったでしょう?」

「言われてみればそうだが……」

「体中機械にした者の宿命よ……痛みなんか気にしていられない程、大変な仕事に就くことね」

 そう女医に告げられた時、シルバーの銀色の腕輪が光った。

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