第9話

 台湾での思い出を語り終えた瞬間、胸の奥が焼けるように痛んだ。走馬灯のように巡る光景が、茉央の息を奪っていく。


 ただ陸と幸せになりたかっただけなのに、一緒にいたい人はいない。冷たい事実に身体が凍る。


 隣にいるレオンが震える茉央の背を、そっと撫でた。それだけで痛みが和らいでしまう事に、自分の情けなさに心の中で自虐的に笑う。


「辛かったでしょう。教えてくださりありがとうございます」


 お坊さんは茉央の心情に寄り添いながら、深々とお辞儀をする。茉央は弱々しく首を横に振った。


「その、何か分かりましたか?」


「はい。──その呪術師はおそらく意図的に“神との契り“を貴方に施したのだと思います」


「……えっ?」


 お坊さんの言葉に思わず茉央は見つめてしまう。もしそうだとしても、何のために神の契りを自分にしたのか。何もかもが分からない。


「先ほど人型の紙に名前を書いていたと言われましたが、こちらではその人の代わりをさせ、赤い糸は血を意味している。水は境界線を示しており、溶かしたということは境界線を超えたとなる」


 血や境界線など言われても、そんなはずないと茉央は頭の中で拒否をし続けた。──でも、心臓が早鐘のように打ち、身体が反応している。それがより一層事実だと告げていた。


「何より酒がまずいです」


「お酒がですか?」


 先ほど教えられたものよりも、特別とはいえお酒がヤバいと言われても茉央は、今一つ理解ができない。


「どぶろくみたいな味わいに鉄の味みたいなのがしたんですよね」


「はい、そうです」


「それは“口噛み酒“だと思われます」


 普段からお酒を嗜む茉央からしても、聞いた事がないものだった。


 確かにあの時も不思議な風味と思ったけど、何か特別な意味がある。しかも、嫌な意味を含んでいると確信がした。


「……口噛み酒は穀物や芋などを口で噛み、唾液と混ぜて発酵させる。古くから神事に──神様への供物として使われてきました」


 その言葉で、あの呪術師が最後に告げた“神様の恩寵“が──自分にとって祝福ではなかったのだと、分かれば身体の奥がぞわりと冷えていく。


 あの笑顔の裏に、こんな意味が隠されていたなんて知りたくもなかった。


「父さんなら、それを解くことが出来るのでは?」


 恐怖から言葉が出ない茉央の代わりに、レオンが尋ねる。茉央を助けたい気持ちと不安が混ざり合った声は不安定で、茉央にも伝わり、縋るようにレオンの腕を強く握った。


「残念ながら、私では出来ません」


 希望は脳内に響いた鈴の音により遮られる。何のためにここに来たのか。もう自分は助からないのか。茉央の世界が閉ざされていく音がする。


「神様とは交渉をしなくてはいけません。位が高い可能性があるならば、それなりの人に頼むのが一番でしょう。縁切り神社の神主さんに頼めば、断ち切ることはできます」


「ほ、本当ですか!」


 失われかけた茉央の瞳に光が宿った。茉央の期待に応えるようにお坊さんは強く頷く。


「勿論。頼ってくださったのに、何も出来ないのは心苦しい。彼とは古くからの友人ですから、早速今日連絡します」


「本当にありがとうございます!」


 茉央は胸の奥がぎゅっと熱くなる。涙が自然と溢れ、思わず手を握りしめると、レオンもそっと手を重ねてくれた。


 すぐには無理だとは思うけれど、自分の為に動いてくれる優しさが嬉しくて仕方がない。


 これからどんな闇が待っていようとも、レオンやお坊さんの助けがあれば、歩ける気がした。


 その想いに呼応するように、茉央の肌に咲いたアブラギリの刺青が、微かに甘く苦い香りを滲ませ、肌の奥で息を潜めている。

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