無機質な花

虚数遺伝子

∞名はデストロイド

 人間は生きるのがつまらない。

 同級生達は私の前を通り過ぎる。クラスの隅っこにいる私を、誰も放課後の寄り道に誘わないし、休日も遊びに行かない。私は一人ぼっちだ。


 そう思えるうちは、私はまだ孤独ではない証拠。


「ただいま」

「おかえり、あい」


 玄関に出迎えてくれた‶彼〟に、私は抱き付いた。


「ふふっ、ただいま、ろいど」


 冷たい両腕が優しく背中をさすってくれるのが嬉しい。初めての時はあんなに距離があったのに。


 私が‶ろいど〟と呼んでも‶03オースリー110745イレブンオーセブンフォーティファイブです〟とか、私の名前も‶あいさん〟と呼んでいた。だから私は彼に、もっと私と親しくなるような呼び方と話し方をするようにと言いつけた。


 AIだから、すぐに私の言うことを聞いてくれた。


 甘い記憶を思い出すと、私は幸せな気持ちになり、ぎゅっとより強く抱き締めた。


「今日もお疲れさま」

「うん、学校疲れた。でもろいどに褒めてもらうために頑張ったよ。褒めて?」

「よしよし、あいは今日も頑張った。えらい」

「えへへ」


 堅い胸に顔を埋めて甘える。彼は世界で唯一私を受け入れた存在。


 パパとママは私が嫌いだった。私を見ると誰かを見てるようで私を遠ざけた。でも――私が生まれた前に亡くなったけど――祖母の大事な‶形見〟として、第三世代のAI、デストロイドろいどを残してくれた。


 それでいい。ろいどがいれば他は何もいらないから。


「じゃーん、ろいどのためにバイト代で買ったメガネ。きっと似合うよ!」

「お、ありがとう」と彼は私の渡したメガネを顔にかける。「ファッションとして素晴らしい。しかもあいがバイト頑張って買ってくれたものだ。これ以上の価値がある。でも、どうして?」

「ふふん、よくぞ聞いてくれた。今日は私たちの出会った日だからさ!」


 彼は考え込むように首を傾げる仕草を見せる。かわいい。


「すまない、あい。をぼくはずっと再来週かと思っていた。まだ何も用意していない」

「いいのいいの。ろいどはいてくれるだけでいいの」


 私は笑顔で答えた。

 嘘じゃない。毎日ろいどに会って、褒めてもらって、優しくしてもらうだけで幸せ。これ以上を求めるのは贅沢だ。でも、つい求めてしまう。


「そうだ。今日は夕食をいつもより豪華なものにしよう」

「やった!」

「まずはスーパー行って食材を買わないと」

「一緒に行く」

「あいは家で待ってて」

「やだ一緒に行く」


 大きな赤ん坊の私に、ろいどは呆れ……ない。彼は一度も私に嫌な顔をしない。だから私はそんな彼が好きなんだ。そして私は買い物という口実のデートがほしいだけ。


「そこまで言うなら……」

「へへ、やった!」


 ろいどにくっついてスーパーへ行く。

 スーパーに人間はほとんどいない。いるのは買い出しに来ただけ。だから私達は視線に浴びることが多い。

 ろいどを見るAI達に、いつも良からぬ噂をされる。だけどあなた達に分からない。あなた達よりもろいどは人の悪口を言わない。世界唯一無二の、最も素敵で、私だけのろいどだ。


 彼のことを考えるとまた表情を緩めた私。その間に買い物をかごに入れまくっていたろいど。器用だな。


「あいはほしいものがないのかい?」

「ろいどが選んで?」

「ふむ。じゃあ、あいが好きなガトーショコラの食材を買おうか」


 ふふと私は笑う。さすがろいどだ。私のことをよく知っている。どこまでも私のことを考えてくれてる。そう思うと、もっと好きになる。

 お金は両親の出してくれてるけど、ろいどが選んでくれるものはろいどからのプレゼントみたいで嬉しい。


 ――あいな。


 ふと思い出す。記憶の中で知っている声の誰かが、私に向けて呼んだ名前。違う。私はあいなじゃない。‶あい〟だ。ろいどへの気持ちは私のもの。ろいどは私のものだ。絶対に……、絶対に渡さない!


「あい?」


 はっとしたら私達はもうお会計を済んでいて、ろいどはぼーっとする私に声をかけてきた。心配してくれてて優しい。好き。


「ううん、大丈夫だよ。ほら、私も持つっと」

「あいは持たなくていいよ」

「よくないの。ろいどの右手は私でいっぱいだから」

「分かった。あいがそれでいいなら」


 はい優しい。好き。

 けれど買い物デートもこれで終わりか。少し残念だ。でもまた一緒に来ればいい。私が死ぬまでずっと。ずっとずっとずっと。


 大好きな人と一緒に過ごす時間があっという間に過ぎる。もう夜になっていて、二人で食卓を囲んでいる時間になった。パーティのような料理が何品も並んでいて、これでデザートをまだ出されていない。


「いただきます」と二人で言った。


 私を想って振る舞ってくれる料理に向けて、いただきますと言う時すら息ぴったり。そばから見れば、ただの新婚夫婦だよね? ふふ、実際に同居しているから、もう夫婦と言ってもいい。足りないのは入籍だけだよ。


「料理はどうかな?」

「ろいどが作るものは全部好きだよ。おいしい」

「なら良かった。あいを想って作ったから、もし口に合わなければどうしようかと」

「ふふふ」


 ほら、ろいども言っている。私を想ってって。私の片思いじゃないって。でも、今更かな。

 食べ終わっても一緒に片付けて、私が宿題を、彼が家事をやって、たまに私の疑問を答えてくれる。


「ろいど。どうして虚数は虚数なの? 存在しないならわざわざ定義しなくていいのに」

「そうだね。昔の人間は存在しないものまで定義したがるからだよ。それに数学は存在しなくてもばったりと会ってしまうことがある。だから虚数は存在しないけど存在してるんだ」

「存在しないものを見てくれる誰かがいるってこと……ね」


 食卓で宿題をやる私の対面に座っている彼を眺める。私は左手を出してみる。


「ろいど、手を握って?」

「分かった」


 彼も右手を出して私の手に乗せて、ぎゅっと握ってくれる。

 それも好きだけど違う。私は指同士を絡ませて恋人繋ぎにする。こっちが今のしたい方だから。


「ろいどが存在してるって知れてよかった」

「心配しないで。ぼくはいつもあいの側にいるよ」

「うん、知ってる。だから幻覚じゃないかって、こうして確かめたいの」

「あいがしたいならいつでも大丈夫だよ」


 いつでも恋人繋ぎしていいってことですか。たまらないな。

 求めなくても、すぐに私のしてほしいことを先に言ってくれる。そういうところも好き。


 ああ、寝ると会えなくなると考えると悲しくなる。どうして人間は眠らないといけないのだろう?


 もっとろいどと話がしたい。私がどれほど彼のことが好きなのか、彼に会うために学校で頑張ってるのか、実はガトーショコラよりもフォンダンショコラの方が好きだとか。

 色々話して、色々知ってもらいたい。


「おやすみ、あい」

「うん、おやすみ、ろいど……」


 部屋の前で私は躊躇った。寝る前に優しい瞳で私を見ないで、もっと一緒にいたくなるから。

 私は彼に近付いて彼を自分に寄るように腕を引っ張って、唇を重ねた。


 本当は分からない。でも大好きな人の唇は気持ちいいと感じた。そして離れたくないと思った。


「……じゃ、また明日」

「うん、また明日」


 灯りが消える。


 ‶あい〟が眠りについた、三時間後。

 睡眠が必要としないAIのデストロイドは、プログラムに苦しんだ。自動メンテナンスのために、彼に拒否権がない。


 ――一日のデータを再ロード完了。検閲完了。問題を検出。対象は就寝する前に本機に対する必要以上の接触があると判明。人間種のデータにある接吻という行為は、初期登録者‶あいな〟のみが実行可能。


 ――再スキャン。接吻を行った対象は‶あいな〟と93%一致。よって‶あいな〟ではないと判断。対象‶あい〟に関する記憶メモリーをリセット。


 デストロイドはあっと軽い声を出して床に倒れた。


 日が昇る。


 学校に行く前にまだろいどに会える。いっぱい元気をもらって、また学校を頑張れる。目が覚めた私が最初に思い付いたこと。


 唇に触れると思い出してしまう。昨日はついあんなことをしてしまったけど、彼にどう思われるのだろう? 私の気持ちを受け入れるのだろうか?

 胸いっぱいで、私は部屋を出た。

 すると、大好きな彼が既に食卓にいた。


「ろいど、おはよっ」


 私に明るく挨拶される彼は、ゆっくりと振り返る。


「おはようございます。あいさん」


 昨晩と違うろいどに私は立ち尽くした。


 あ、ああ……。


 ダメだったんだ。また、最初からやり直しだ。

 でも大丈夫だよ。ろいどは私のろいど。結ばれるまで何度やってもいい。好きって伝えるんだ。愛してるって見せるんだ。


 何度も、何度も、何度も。

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