これが恋なら終わってる

たろさん

門出

 昨晩、アパートの大家から、突然の発表。

「ここ、取り壊すから、今月中に出て行ってくれ」


 ここが終の住処と思っていた俺は、あっけにとられた。だが、建物の外観や室内を見れば一目瞭然だった。


 六畳一間の畳敷き。一度も替えたことのない小汚い畳には、俺が若かりし頃につけたタバコの焦げ跡がひとつ。

 そのころからタバコは断っているが、禁煙中の時や現在も、吸いたいと思ったことは一度もなかった。吸い始めたきっかけも覚えていないから、吸い続ける必要もなかったのだろうとも思う。


 おトイレは水洗ではあるが、段差のある和式で水の流れが悪い。をした日なんかは、何度水を流したことか。


 台所と言っても、おままごとセットのように小さい流しは、当然お湯なんか出ないし、油で重装備したガスコンロは瀕死の状態でもある。

 

 浴室は、足を伸ばすことを許さない窮屈な風呂釜に、水の出が悪いシャワー。

 この間、ちょっと良いシャワーヘッドに替えたばっかりだったが、持っていくか悩むところではある。

 珍しく洒落た模様のタイルは、(たぶん)花柄をあしらってはいるが、いたるところが剥がれ落ち、梅雨の時期には毎年、見たこともないようなキノコが生える。


 築何十年か、正確な年数は知らないが、見た目は廃墟寸前とも言えるだろう。

 二階へ上がる階段は錆だらけなうえに穴が空いていて、下がよく見える。いつ崩れ落ちるかわからないので、頭上注意の張り紙がしてある。


 俺の部屋は二階にあり、酔っぱらって帰って来た時なんかは何度も落ちそうになった。玄関ドア前の落下防止フェンスだって、針金のように細くて頼りない。


 そんなところに長年住み続けているが、新卒入社してからの付き合いだから、かれこれ20年以上は苦楽を共に過ごしている。


 交友関係はそれほど多くなく、仕事仲間との飲み会は年に数回。

 女性との交際もほとんどなく、俺自身の体にもがあるため、見合いをしてもうまくいかなかった。


 もしかしたら、この部屋が嫁やパートナーのような存在になっていたのかもしれない。愛着があって、ところどころに愛嬌(?)のある、なくてはならない存在。


 まあ、思い出はこのくらいにして、荷物の整理でもしようか。

 今日は土曜で、特にやることもないからちょうどいい。


 とはいえ、たいしたものはないのだが、唯一の高級品は去年の忘年会の福引で当たったノートパソコンぐらいだ。みんなでワイワイやる催し物が大の苦手だったが、世話になったシニア社員の送迎会も兼ねていたので、仕方なく参加したのだった。


 手元にあるこの、年季の入ったスマホで事足りるから、いまだに箱すら開けていない。なんというか、パソコン=仕事のイメージがあって気が進まなかったのも理由のひとつだ。


 お気に入りのマンガ本はヤニ臭かったから、大掃除の時に処分しているし、服もそんなにない。自炊もたまにしかしないから、食器や鍋なんかも数えるほどだ。


 本棚なんかは一応、備え付けみたいなもので、家具という家具はない。

 実際に引っ越しする時は、自分ひとりの力でできそうだ。


 最後に、新しい住まい探しだが、ちょうど有給消化の期限が迫っていたこともあり、大家からの通達があったすぐ後に、上司に電話相談した。

 最近、特に仕事が忙しくないせいか、はたまた上からグチグチ言われていたのか、案外すんなり休みを取ることができたのだった。


 この土日のあとの月曜日、俺は近所の不動産屋に相談することにした。

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