第22話 申し出

深月からの申し出に、俺は一瞬戸惑った。


(深月をこれ以上、巻き込みたくない。俺とかかわり続けることで、天城の悪意の矛先が彼女に向くことは避けたい。深月の持っている天城の情報のこともあるし、下手をすれば深月の進路にまで影響を与えかねない)


だが、同時に冷静な思考が働く。


天城の「最低野郎」ぶりは、前世での裏切りへの恐怖から来ている。彼を救うためには、まず彼の現世の悪習慣を断ち切る必要がある。


彼女は、俺の知らない天城の女関係の秘密を握っているかもしれないのだ。


「深月……ありがとう」


俺は覚悟を決め、率直に告げた。


「深月を巻き込みたくない。でも、天城先生の、その……女関係のことで何かあったら、俺だけじゃどうしようもないこともある。だから、もし何か、彼に関する変な噂とか、情報が入ったら、教えてほしい」


深月は、先ほどの涙が嘘のように、力強く、そして少し誇らしげに胸を張った。


「任せて!佐伯くんの初恋をこれ以上踏みにじらせないよう、あのクズ教師を更生させる。それが、私の罪滅ぼしだから!」


少し嘘を交えていることもあり、深月の純粋な意気込みは少々俺の胸に突き刺さったが、今はその熱意に頼るしかなかった。


「……よろしく」


そう告げた瞬間、昼休みの終わりを告げるチャイムが、甲高く鳴り響いた。


俺たちは慌てて屋上の扉から離れ、階段を駆け下りて教室へと戻った。


帰りのHR、天城先生が教卓に寄りかかり、静かにクラス全体を見渡した。その視線は一瞬、深月と、その隣に座る俺で止まる。


彼の顔にはいつもの余裕のある微笑が浮かんでいるが、その瞳の奥には、鋭利な刃物のような警戒の色が隠されていた。まるで、二人の間で何か「共謀」が行われたことを、瞬時に見抜いたかのように。俺と深月は、なるべく視線を合わせないよう俯いていた。


HRが終わり、俺は急いで荷物をまとめ、教室を出た。祐樹が「陽翔、今日は放課後カラオケ行かないか?」と誘ってくれたが、断った。


「ごめん、祐樹。今日はバイトはないけど、母さんの代わりにスーパーに買い出しに行くんだ」


「そっか。また今度な」


祐樹に手を振り、賑やかな校門を抜けて、俺はいつもの帰路についた。


母さんに頼まれた牛乳と卵のリストを頭の中で反芻しながら、スーパーへ向かって歩き出した、その時だった。


一台の漆黒のセダンが、俺の横をゆっくりと通り過ぎ、十メートルほど前方の道路脇に停車した。


(ん?)


不審に思っていると、車窓が静かに下がり、運転席の人物が顔を出し、こちらを振り向いた。


「佐伯くん」


その瞬間、心臓が跳ね上がった。


天城だった。――上質なカシミアのコートと、ハイネックのニット姿。その美貌によって彼の軽薄さは身を潜め、静かな威圧感を放っていた。


俺は動揺を隠せないまま、天城のいる車のほうへと歩いていった。


「天城……先生」


「話がある」


天城はそう言って、何の躊躇いもなく、助手席のドアロックを解除した。


「乗れ」


有無を言わせない命令口調。このまま立ち去ることもできただろうが、俺は今朝の一連の出来事を思い出した。


深月の突然の告白で忘れかけていたが、深月の脅迫に対し、天城先生は自分を切り捨てることで、俺を守ろうとしていた。それは、ルシアンとしての庇護の愛だったのか、それとも、ただの支配のための策略だったのか。その真意を知りたいという衝動が、俺の足を引き留めた。


「……わかりました」


俺は重い扉を開け、静かに助手席に身を滑り込ませた。ドアが閉まると同時に、外界の喧騒が遮断され、車内は二人だけの密室となった。


天城先生は発進させることなく、ハンドルに肘を乗せたまま、俺を真っ直ぐに見つめてきた。


「君に勘違いをされては困ると思ってね」


彼が口を開いた最初の言葉は、言い訳めいた、それでいて冷たいものだった。

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