第12話 抗えない魂
週末の出来事に、ここ最近毎日必ず見てしまう前世の夢。
そのすべてが、月曜日の空気までも重くしていた。
「天城の振舞を改めさせる」
そう強く誓ったにもかかわらず、学校に着いてから俺は天城先生の姿を避けていた。ただただ怖かった。彼の瞳の奥に、愛しいルシアンの面影と、それを破壊しようとする天城陵の冷酷さが同居しているのを知ってしまったからだ。
二限目の英語の授業。天城はいつも通り、流暢な英語で生徒を魅了し、時折女子生徒に微笑みかける。その完璧な教師の仮面の下で、彼が男として最低なクズだと知っているのは俺だけだ。
授業が終わり、俺は急いで教室を出ようとしたが、その声に背筋が凍った。
「佐伯、放課後また空き教室に来なさい」
クラスメイトがざわつく中、天城先生は俺にだけ、冷たい、それでいて有無を言わせない視線を投げかけた。
「進路の件なら、職員室で結構です」
俺は努めて冷静に言った。
またしても変な噂を立てられても困るし、頭がまとまりきっていない。
天城は不気味な笑顔でにこりと言う。
「進路ではない。佐伯くん、元恋人同士、仲良くしようじゃないか」
天城も、もう気づいているんだな…。
その挑発に乗るしかない。ルシアンの魂が、俺を試しているのだ。
「……わかりました」
そうして放課後。俺は職員室の奥にある、教材などが山積みになった薄暗い英語科準備室の扉をノックした。返事はないが、扉は閉まっていなかった。
(まだ来ていないのか?)
少しだけ開いていた扉を開き、そして、視界に飛び込んできた光景に、全身の血が凍り付いた。
机の上に散らばる乱雑な資料の山。それらの資料をおしのけ、机の上に座る女子生徒。そして、その唇を塞ぎ、腰に手を回している天城陵。
女子生徒のシャツは乱れ、肩がわずかに覗いていた。二人は、俺が扉を開けた瞬間に、動きを止めた。
「ッ!」
先に反応したのは女子生徒だった。顔を真っ赤にして、天城の胸を突き放し、はだけた服を乱暴に直し、悲鳴のような声にならない息を漏らして準備室から飛び出していった。
その場に残されたのは、何も言えず立ち尽くす俺と、まるで何事もなかったかのように静かに佇む天城だけ。彼の口元には、口紅の跡が微かに残っていた。
「見世物ではないよ、佐伯くん」
天城は、まるで教師が生徒を咎めるように、冷静に言った。
俺の胸の奥底で、目の前の行為に対する単純な怒りと、強烈な嫉妬が爆発した。この男は、ルシアンの魂を冒涜している!
「あんた……! 最低、クズ野郎!」
俺は喉の奥から絞り出すように叫び、一歩、天城に詰め寄った。その瞬間、彼の顔が、あの憎むべきルシアンの面影を帯びた、冷酷な美しさで歪んだ。
「その言葉を俺に叫ぶのは、何度目かな?」
天城先生はそう言いながら、俺との距離を一気に詰めた。逃げる間もなく、強い力が俺の顎を掴み、顔を引き上げられた。
そして次の瞬間、俺の口は、彼の唇によって塞がれた。
ぐい、と強く押し付けられる感触。香水の匂い、そして微かに残るあの女子生徒の口紅の甘い匂い。
(……!)
俺は抵抗しようと身体をよじるが、天城の腕力には敵わない。俺が叫ぼうとした怒りの言葉も、すべて彼の唇の中で掻き消された。
愛しいルシアンの魂が、現世の最低な教師として、俺の唇を奪っている。
天城は数秒後、ようやく唇を離した。俺は息を整えることもできず、激しく肩で息をしていた。顔は熱を持ち、怒りと羞恥で真っ赤になっているのがわかった。
「ごちそうさま」
天城は、静かに、だが支配的に告げた。その瞳は、どこか楽しそうにも見える。
「佐伯陽翔…いや、エリシア。お前は、俺の魂をどうにかして救済しようと決意したのだろう? だが、俺は誰の愛も信じない」
彼は親指で、俺の唇に残った自分の唾液を拭い取った。
「お前は、俺をどうしたい?好きにするといい。俺は何も拒まない。愛だって囁くことができるし、望むなら、体の関係だって…」
耳元で、天城の熱い吐息を感じる。最低なことを言われているはずなのに、何も言葉が出ない。自分の鼓動がうるさい。
「お前は、永遠の愛を信じるのだろう?」
天城は、まるで氷細工のように美しい指で、俺の頬を滑らせた。その指先が、首筋へと降りてくる。
「ならば、試せ。俺のこの汚れた身体に、お前の愛がどれほど通じるのか。俺の心に、お前の純粋さがどれほどの痕を残せるのか」
彼の指が、俺の制服のネクタイに触れた。緩めるか、締め付けるか。その仕草一つが、俺の運命を握っているようだった。
「お前が拒絶しない限り、俺はどこまでも最低な教師として振舞うぞ、エリシア。」
ネクタイが一気に緩められ、彼の指が俺の肌に触れた。その冷たい指の感触が、俺の身体に電流のような熱を走らせた。
(拒絶しろ! 俺は佐伯陽翔だ!今、こいつに流されてはダメだ…!)
理性が激しく警鐘を鳴らす。だが、その声はエリシアには届かないうようだ。俺の魂は、目の前の男に、ルシアンに、求められている。千年前に断ち切られた愛の続きを、この身体が渇望していた。
「な、んてこと、…ルシアン」
俺が掠れた声で呟くのが精一杯だった。
天城は、その動揺を見逃さなかった。彼は一瞬、瞳にルシアンとしての深い悲しみを滲ませたが、すぐに冷酷な教師の仮面でそれを覆い隠す。
「運命には逆らえない、ということだ」
彼はそう言って、一瞬にして俺の身体を机に押し付けた。乱雑に積まれた教材が音を立てて崩れ落ちる。
「教師と生徒。愛と憎しみ。純粋さと背徳。このすべてを、お前は乗り越える覚悟があるのだろう?」
天城の唇が、今度は優しさなど微塵もない、乱暴な熱量を持って俺の唇を塞いだ。先ほどの挑発的なキスとは違う。これは、俺のすべてを支配しようとする、明確な意思表示。
俺の胸の中の怒り、軽蔑、羞恥……すべての感情が、彼の力強い抱擁と、唇から流れ込んでくる熱によって、溶けていく。
(ああ、ルシアン……もう、いい。私は、貴方のもの……!)
俺の腕は、抵抗することなく、彼の背中に回っていた。制服越しに伝わる天城の体温が、俺の孤独な魂を癒していく。それは、愛し合った者同士しかわかりえない、本能的な安堵だった。
この男がどんなに最低でクズだろうと、俺の魂が求めているのは、この温もりだ。
理性を完全に失った俺は、天城の背中のシャツを強く握りしめた。その刹那、俺の身体は、千年の時を超えて再会した最愛の相手に、すべてを捧げることを覚悟した。
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