第11話 葛藤
天城は佐伯の背中を引き留めることなくただ見送り、帰路についた。
「もっと、自分を大事にしてほしい。」
その瞳は、絶望の淵にいた俺を抱きしめた、エリシアのそれと寸分違わなかった。
(なぜ、こんなにも俺の心を揺さぶる)
愛は人を盲目にし、判断力を低下させる。愛が重ければ重いほどに、裏切られた時の苦しさは増すばかり。ルシアン・グレイヴは、その純粋な愛と信頼ゆえに、最も信頼していた者たちにに裏切られ、愛する国とエリシアを失い、断頭台へと送られた。
アルカディア王国への奇襲を、王が知らないはずがない。
つまり、俺は家族にまでも騙され、見捨てられたというわけだ。
現世に蘇ってからというもの、俺が見る夢は、処刑される瞬間ばかり。冷たいギロチンの刃、歓喜する裏切り者の顔、そして、自分は無力だという絶望。幸せだった時間など、もう思い出せないくらいの時が経った。それほどまでに鮮烈な記憶。
それに、エリシアがいないこの現世などどうでもよかった。
この世界に愛など存在しない。あるのは、一瞬の快楽と、その後の冷たい虚無だけだ。
数えきれないほどの女と関係を持った。何もせずとも女性が勝手に寄ってきたし、拒むのも面倒だった。どうやら自分のルックスは良いらしい。父親は生まれた時からおらず、母親も早くに亡くした。一人の時間というのは厄介で、思い出したくもないことばかりが頭を駆け巡る。
彼女たちの肌を重ねている間だけは、前世の記憶や痛み、すべての嫌なことを一瞬だけ忘れられた。
隣にいる女は誰であれ、俺をルシアン・グレイヴではない、天城陵として見ている。俺の魂の奥底にある傷など、誰も知る由もない。
愛も、信頼も、運命も、何も関係ない。軽薄な男として振舞うことで、俺は永遠に傷つけられることから身を守れる。
そんな俺の前に、佐伯陽翔が現れた。
見た目も、性別も違う。けれど彼の瞳を見た瞬間、心臓を鷲掴みにされた感覚があった。そんなはずはないと思ったが、今、確信した。
エリシアが、現世に転生していた。その事実に吐き気を覚えた。運命は俺に、再び『致命的な罠』を仕掛けてきたのだと。
俺は佐伯を遠ざけようとした。
(今の俺を見て、あいつはどう思うだろうか)
他の誰でもない。愛を信じられず、自ら裏切られ続ける道を選んだ俺を。
佐伯が俺に向けたあの純粋な眼差しは、ルシアンが最も信じた「愛」そのものの輝きだった。
俺は神を呪った。
なぜ今、あいつと引き合わせたのか。こんな姿、見られたくなかった。
愛を平等にすることで、俺は自分の身を守っていたつもりだった。しかし、現実はどうだ?女性を傷つけ、振り回し、先ほどのようなことも初めてではない。
(ルシアン。俺はどうしたらいいんだ?)
俺はポケットから、くしゃくしゃになったレシートを取り出した。佐伯のバイト先のカフェのレシートだ。
あの時、あの場で佐伯を抱きしめたいという衝動に駆られた。それは、愛などという薄っぺらな感情ではない。
最後に抱きしめたエリシアの温もりを、再び求めているという、魂の飢餓感だ。
(なんなんだ。この底知れない衝動は……)
佐伯の瞳を真っ向からとらえた瞬間、どうしようもなく抱きしめたいと思ったのは、彼を純粋な生徒としてではない。千年の時を超え、ようやく見つけた最愛の姫を、再び炎の中から引き上げたいという、ルシアンの慟哭だった。
その認識が、俺の心を激しく揺さぶる。
一瞬、胸が張り裂けそうなほどの後悔と、エリシアの温もりをそのまま受け入れたいという本能が疼いた。
だが、すぐさまその感情を押し込める。愛は裏切りを呼ぶ。純粋な光は、必ず悲劇を招く。
前世での誓いを忘れたわけではない。できることなら、お前に誇れる自分として運命の再会を果たしたかった。
俺はレシートをぐしゃりと握りしめた。
過去は消せない。この先も、ただ一人を愛することなどできない。
そうすることでしか、俺は裏切りを恐れるルシアンの魂を守れないのだから。
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