第45話 帰還

 蔵人は比類なき名馬をただで手に入れた。

 学園への帰り道、その馬に跨り、子供のように大はしゃぎしていた。

エルンスト「その馬だけで、村一つくらい買えるんじゃないか? 羨ましいよ、ホント」

 蔵人はこれでもかというほどのドヤ顔を浮かべ、鼻を鳴らした

 帰路の隊列には、一人だけ欠けていた。大怪我を負ったディートリヒは、ブランダウに残されたのだ。

 荷馬車四台を連ねる大所帯ではあったが、護衛は心許ない。掲げられた白鳥の紋章がなければ、盗賊に狙われてもおかしくないほどだった。

 五日をかけてようやく森の入口へ辿り着く。そこから愛染学園へ至る道は険しい。

最大の難所は、馬車一台がやっと通れる切り立った崖道だった。崖下はほぼ垂直で、五メートル以上の高さがある。崖上には台地が広がっているが、傾斜は急で、積荷を載せた馬車を登らせるのは至難の業だった。

 崖道を進み、その台地を迂回して、ようやく川が見えると、天まで届く白煙の道標が見えてくる。

蔵人「帰ってきた!! 私はこのソロモンに帰ってきだぞ!!」

兵士「ここはソロモンというのか」

透子「違いますけど」

 蔵人の大声に、隊列の面々は思わず顔を見合わせた。

アレックス「……ソロモンって、古代イスラエルの?」

レイジ「知らん。たぶんまたこいつの冗談だろ」

 透子はため息をつき、肩をすくめる。

透子「ここは愛染学園の森です。ソロモンではありません」

 蔵人は馬上で胸を張り、ドヤ顔を浮かべた。

蔵人「いいんだよ! 帰ってきたって叫びたかっただけだ!」

 川には、水くみをする生徒たちがチラホラと見えた。猛々しい黒鹿毛の馬にまたがった蔵人を不思議そうに見ていた。しかしその後列に大量の食料を積んだ荷馬車が現れると、その顔は一瞬で華やいだ。

 蔵人たちが学園へ戻ると、生徒たちは歓声を禁じ得なかった。

 校庭に集められた生徒たちの前で、楓は深呼吸をしてから口を開いた。

楓「皆さん。まずは、私たちが辺境伯との会談で得た結果をお伝えします」

 ざわめきが広がる中、彼女ははっきりと告げた。

楓「我々は“庇護を受ける”という方針を選びました。しかし、反対の声も決して少なくはありませんでした。白票も二百票に及びました。つまり、学園はまだ一枚岩ではないのです。辺境伯はそのことを懸念していました」

 その言葉に、生徒たちは互いに顔を見合わせる。安堵と不安が入り混じった空気が漂った。

 アレックスが前に出て、冷静に補足する。

アレックス「辺境伯は、我々に“一月半の猶予”を与えました。その間に意思を統一し、移動の準備を整えることを求めています。そして、その間の食料供給を約束しました。これが今回の交渉の成果です」

 透子が積み荷を指し示しながら言葉を重ねる。

透子「ですが、これは同時に“試されている”ということです。白票という逃げを続ければ、いずれ外から決められてしまう。私たちは自分たちの意思をはっきり示さなければなりません」

 楓は頷き、さらに踏み込んだ。

楓「そして……従属した後の処遇についても、辺境伯は明言しました。庇護を受ける代わりに、我々は“領民”として扱われます。つまり、この森に留まることはできません。ブランダウへ移り、辺境伯の支配のもとで暮らすことになるのです」

 楓は生徒たちを見渡し、強い声で締めくくった。

楓「この一月半が勝負です。私たちは逃げずに、自分たちの未来を選ばなければなりません。白票ではなく、意思を示してください。庇護を受けるにせよ、拒むにせよ――私たちが決めるのです!」

 その言葉に、校庭は静まり返った。歓声も安堵もなく、ただ重苦しい沈黙が広がる。だがその沈黙こそが、彼らが現実を理解した証だった。

 蔵人はどこか冷めた目でその光景を見ていた。

蔵人(ガキのおままごとだな)

 蔵人は辺境伯の兵士たちを見送るために、その場を離れた。

蔵人「じゃあ、二週間後、そっちに行くわ。連れも一緒にいくから。あとこれ、俺がいなかった場合に、この印の紙切れ持ったやつが来るからよろしくな」

 それは愛染学園の校章だった。蔵人はそう言って兵士たちを見送り、黒馬の鼻先を軽く撫でた。

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