第38話 物乞い
楓「なんということ!! なんということをしてくれたの!!」
辺境伯に部屋を貸し出された生徒会の面々は、部屋の中に入ると、蔵人を詰めた。
しかし蔵人は鼻をほじりながら、聞く耳を持たなかった。
アレックス「貴方は!! 学園には関係のない人間だ!! このようなことをする権利はない!!」
レイジ「これは少々まずいんじゃないかい?」
透子「そうです!!」
蔵人「はぁーん???」
楓「真面目な話です!!」
すぅ、と蔵人の顔色が変わる。先ほどまでのふざけたものではない。真剣な、怖いくらいに真剣な面持ちになった。
蔵人「お前らさ、本当に保護させるとでも思ってんのか? 五百人の人間を? 何年食わせてくれるんだ? その額を計算したか? そして誰が払ってくれるっていうんだ? あのケチそうな辺境伯か?」
楓「そ、それは……」
蔵人「そんな金を払う義理も理屈もないだろ。”庇護を求めるならば、こちらも相応の見返りを求める”――これこそやつの本音だ。辺境伯にとって一番都合がいいのは、俺たちを保護することじゃない。奴隷にして学園を奪うことだ」
楓「――っ!?」
部屋の空気が一気に冷え込んだ。楓は必死に言葉を探したが、喉が詰まって声にならない。透子も青ざめ、レイジは苦笑を浮かべながらも視線を逸らした。
蔵人「俺は奴隷にされるのも、そうじゃなかったとしても文無しで追い出されるのもゴメンだ。戦うのもゴメンだし、死ぬのはもっと嫌だ。だから、なんとか言いくるめて、学園を高値で買い取ってもらって、その金を元手に生きていくんだ」
アレックス「身勝手な!!」
蔵人「――身勝手、だとっ!!!!」
その言葉に、蔵人は珍しく声を荒げた。
蔵人「たしかに俺はお前らとは関係ない人間だ。これまでも、この先もな!! お前らのようなお勉強ができるだけのガキがいいように言いくるめられて、そのとばっちりで奴隷になんてなりたくねえんだよ!!」
怒声が部屋に響き渡った。普段は皮肉や軽口ばかりの男が、ここまで激昂する姿を見たことのなかった生徒会の面々は、思わず息を呑み、恐れを覚えた。
蔵人「それでも多少、あの学園の奴らとは面識も出来た。奴隷にもさせたくないやつも居る。だから俺は俺のやりたいことをするんだ、お前らこそ身勝手で俺の邪魔をするな!!」
吐き捨てるように言い残し、蔵人は乱暴に扉を開け放って部屋を出ていった。
残された生徒会の面々は、しばし言葉を失ったまま立ち尽くしていた。
一人ブランダウの町中を歩く蔵人の足取りは重かった。
先ほど自分が吐き出した言葉を思い返すたびに、胸の奥がざらつく。論理も何もない、ただ感情に任せてぶちまけた理屈――恥ずかしさが込み上げる。だが、それ以上に怒りが収まらなかった。
石畳の路地には、泥炭を燃やす甘苦い煙の匂いが漂っている。煤けた屋根の下を行き交う人々は、誰も彼に目を向けない。子供たちの笑い声、物乞いの掠れた声、商人の怒鳴り声――そのすべてが、蔵人の苛立ちをさらに掻き立てた。
蔵人(……クソクソクソっ! なんで俺がこんな目に……)
胸の奥にぽっかりと穴が空いたような虚しさが広がる。
タバコがこれほど恋しいと思ったことはなかった。指先が無意識にポケットを探るが、もちろん何もない。
彼は立ち止まり、深く息を吸い込んだ。湿気と煤が喉に絡みつき、むせそうになる。それでも、煙を吸い込む感覚だけが、かつての習慣を思い出させ、ほんのわずかに心を落ち着けた。
「旦那……どうか憐れな物乞いに、一枚の銅貨をお恵みくだせえ」
憐れな物乞いは、蔵人にすがってきた。薄汚れたフートで顔を隠して、蔵人はあの盗賊のようだと思った。
ポケットの中を探ると、その盗賊が持っていた小銭袋が出てきた。
大きな硬貨を一つ、蔵人は物乞いの掌に落とした。
物乞いは一瞬、信じられないといった顔をしてから、地面に額を擦りつけるようにして礼を述べた。
「か、神様仏様! ありがとうございやす!!」
その声は掠れていたが、必死さだけは痛いほど伝わってきた。
周囲の人々がちらりと視線を向ける。だが、すぐに興味を失ったように足早に去っていく。
しかし蔵人は、その物乞いのセリフに違和感を覚えた。
蔵人「――仏様?」
蔵人の耳に飛び込んできた「仏様」という言葉は、あまりに場違いだった。
この世界の人間が知るはずのない響き。だからこそ、思わず問い返してしまったのだ。
蔵人「仏様……今、そう言ったよな? 仏って、お釈迦様とか、阿弥陀様とかの仏か?」
その言葉に物乞いも顔を上げる。
煤と泥にまみれた頬、痩せこけた頬骨。だがその奥にある肌の色と目の形は、確かに西洋人のそれでありながら、どこか日本人の面影を帯びていた。
「あんた、まさか……あんたも日本から来たのか!?」
物乞いは目を見開き、驚愕の色を浮かべた。
「その服! その髪色!! その目!! その顔!!」
その声は震えていた。
蔵人もまた、言葉を失った。
目の前の男は、同郷人でありながら物乞いにまで落ちぶれている。それは、おぼろげながら浮かんでいながらも確信を得なかった、未来の自分の姿を突きつけられたようでもあった。
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