第34話 投票! そういうのもあるのか……

 翌日、校庭に生徒たち全員が集められた。

 初夏の陽射しは鋭く差し込んでいたが、日本のように体を蝕む蒸し暑さはない。むしろ森から吹き抜ける風はまだ冷たさを残し、頬を撫でるたびに肌寒さすら覚える。

 その涼しさとは裏腹に、校庭を満たすざわめきは熱を帯びていた。昨日、山のように積まれた食料が彼らの心に「救われた」という実感を与え、空気には浮き立つような期待が漂っていた。

 壇上に立った副会長・花園アレックスは、深呼吸をひとつしてから口を開いた。

アレックス「皆に伝えなければならないことがある。オルフェリア殿から正式に提案を受けた。我々を辺境伯領の首都ブランダウへと迎え入れ、庇護を与えるというものだ」

 その言葉が落ちると同時に、校庭はざわめきに包まれた。

「やっぱりそうか」「これで安心だ」「大人が守ってくれるんだ」――そんな声が次々と漏れ、安堵の笑みを浮かべる者も少なくない。拍手すら起こり、空気は一瞬、祝祭のように華やいだ。

 だが、その陰で小さな声が漏れる。

 後方の席で、不良グループの一人が椅子にふんぞり返りながらぼそりと呟いた。

「……結局、尻尾振るしかねえのかよ」

 隣の仲間が苦笑し、「まあ、メシが食えるならいいじゃん」と肩をすくめる。

  そのやり取りを皮切りに、校庭のあちこちで声が上がり始めた。

「庇護を受けられるなら受けるべきだ! 昨日の食料を見ただろ、あれだけの量を俺たちだけでどうやって確保できるんだ!」

「でもよ、庇護ってことは、俺たちはどうなるんだ? 国籍は? 俺たちの自由はどうなるんだよ!」

 賛成と反対の声が交錯し、ざわめきは次第に熱を帯びていく。

 農業班の一人が立ち上がり、声を張り上げた。

「ふざけるな! 俺たちは必死に畑を耕してきたんだ! なのにその畑を手放せってのか!!」

 その言葉に、同じ班の仲間たちが拳を握りしめて頷く。

 一方で、陰キャグループの軌条キザムが小さな声で呟いた。

キザム「……でも、現実問題として冬を越せる保証なんてないんだ。庇護を受けるのは仕方ないと思う」

 隣の式藤不比等も頷き、眼鏡の奥で不安げに目を伏せた。

 風紀委員長の川治政宗が壇上から声を張る。

政宗「静粛に! ……庇護を受けることは、我々の自治を失うことでもある。軽々に決めるべきではない!」

 その真剣な声に、野球部員たち、いや風紀委員達が一斉に背筋を伸ばした。

 校庭の空気は、安堵と反発、希望と不安が入り混じり、熱気を帯びた渦となっていった。

 その渦の中で、蔵人は腕を組み、ただ黙って生徒たちの顔を見渡していた。

蔵人(……俺には関係のないことさ、所詮は部外者なんだからな)

 心の中でそう呟き、彼は口を閉ざしたまま、壇上のアレックスと楓の背中を見つめていた。

 やがて楓が立ち上がり、両手を広げて声を張った。

「皆さん! 落ち着いてください! これは私たち全員の未来に関わることですわ!」

 しかし楓の声はざわめきにかき消され、誰の耳にも届かない。拍手と怒号が入り混じり、校庭はまるで戦場のようだった。

 そのとき銀の髪を揺らし、オルフェリアが姿を現す。背後には甲冑をまとった従騎士たちが控えていた。

 ざわめきは一瞬にして凍りつく。

 彼女はゆっくりと壇上に歩み寄り、微笑を浮かべながらも冷たい声で告げた。

オルフェリア「――選ぶのは君たちだ。そう、選ばなければならない。庇護を受けるか、孤立して飢えるか。どちらかをな」

 その言葉に、再びざわめきが広がる。

 賛成派は「やはりそうだ」と安堵し、反対派は「脅しか!」と憤る。

 楓は不安そうに蔵人を見た。蔵人はその視線に気がついて、目をそむける。しかしじっと、楓は目を離さない。静けさを取り戻しつつあった生徒たちも、楓の視線の先を追い、必然的に全員の視線が蔵人に向かうことになった。

蔵人「……なんだよ」

 蔵人はぼそりと呟いた。だが誰も答えない。

 誰もが事態の収拾を求めていた。蔵人にはその答えがわかっていた。しかし意固地になって目を背ける。

 蔵人はもう一度楓を見た。今にも不安で崩れそうな弱々しい顔をしている。そんな顔を見ると、自分が悪いことをしているような気になってしまう。

蔵人「――はぁ、多数決で決めればいいだろ。俺達は民主主義国家から来たんだからな」

 その一言に、校庭の空気がぴたりと止まった。ざわめきは消え、誰もが互いの顔を見合う。

「多数決……」

 誰かが小さく繰り返した。

 楓ははっとしたように蔵人を見つめ、やがて頷いた。

楓「……そうですわね。私たちは、平等なのですから。ならば、全員で決めるのが筋ですわ」

 アレックスが眉をひそめる。

アレックス「しかし……軽々に決めていい問題ではない。庇護を受けるか否かは、我々の未来を左右する重大な選択だ」

 政宗が口を開いた。

政宗「だから今我々全員が決めるのだろう。蔵人さんの言う通り我々は民主主義の人間だ。それに結論を先延ばしにすれば、混乱はさらに広がるだけではないか?」

 不良グループの一人が立ち上がり、吐き捨てるように言った。

「へっ、面白えじゃねえか。どうせ俺たちの意見なんざ無視されると思ってたが、票で決めるってんなら話は別だ」

 農業班の生徒も声を張る。

「そうだ! 俺たちの努力を無駄にするかどうか、はっきりさせてもらう!」

 陰キャグループのキザムは小さく頷き、眼鏡を押し上げた。

「……なら、僕たちも意見を言える」

 その一言に呼応するように、賛成派も反対派も次々と声を上げ始めた。「庇護を受けるべきだ!」と叫ぶ者、「自治を手放すな!」と訴える者。声はぶつかり合い、しかし先ほどまでの怒号とは違い、そこにはそれぞれの決意が宿っていた。

 校庭は再びざわめきに包まれたが、今度は混乱ではなく、意思表示の熱気だった。

 やがて楓が壇上で宣言する。

楓「投票の方法については改めて準備を整えます。次の集会で、正式に多数決を行いましょう」

 その言葉に、校庭は再びざわめきに包まれる。

 賛成派も反対派も、互いに視線を交わしながら、次に訪れる決戦の場を予感していた。

 初夏の風が吹き抜け、ブナの葉をざわめかせる。

 四九九人の生徒たちは、それぞれの胸に重い思いを抱えたまま、次なる瞬間を待ち望んでいた。

 壇上のオルフェリアは、静かにその様子を見守っていた。銀の瞳に浮かぶのは、どこか冷ややかな、苦々しい笑みだった。

オルフェリア(今のうちに楽しんでおくがいい。自分たちの行先を自分たちで決めることのできる、最後のときだ……)

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