第24話 正しさとは
蔵人は一人図書室で震えていた。
あれほどの啖呵を切ったものの、今彼は報復におびえている。
それだけではない。政宗との間に確執を生んでしまったのではないか――その不安にも苛まれていた。
蔵人は誰よりも臆病者だった。
だからこそ、報復される前にあの賭博を主催していた者たちを暗殺しようとすら考えてしまう。今の彼なら、それを実行できてしまうかもしれない。その思考に囚われるたび、自己嫌悪が胸を締めつけた。わずかな理性だけが、かろうじて彼を繋ぎ止めていた。
盗賊を殺めなければ、不相応な自信を得なければ、ただ怯えているだけの、考えすぎの人間でいられたのかもしれない。
白藤弦音が図書室に現れたとき、蔵人は必死に平静を装った。だが彼女にはすぐに見抜かれてしまった。
弦音「考えすぎっしょ」
蔵人「他人事だと思って……」
弦音「いや、だって無理っしょ、今のオタクくんになにか仕返しするなんて……」
蔵人「いや、追い詰められた人間は何をするのかわからないぞ。俺だって……その……」
弦音「オタクくんは特別だよ。あまり比較できないと思うなあ」
蔵人「特別なものかよ。俺は普通の……いやかなり愚か者寄りの普通だよ」
蔵人の人生は、まさにその繰り返しだった。行き過ぎるほど深く考え、他人の印象を気にし、ルールに縛られ、些細なことで悲嘆に暮れる。自信はなく、理想だけは高いが、それを実践できる器量は持ち合わせていない。そんな自分が、誰よりも嫌いだった。
弦音「自分のことは自分が一番わからないものなんだね」
蔵人「……うるへー」
蔵人はそう言い返すことしかできなかった。
弦音は机に肘をつき、じっと蔵人を見つめていた。
弦音「オタクくんはさ、愚か者って言うけど……あてしから見たら、そういうとこが一番頼りになるんだよ」
蔵人「どこだよ……」
弦音「ふふっ!」
蔵人「どこだよ!!」
もう弦音は何も言わなかった。
蔵人はもやもやとした気分に沈む。だがその笑い声は、苛立ちを募らせる音でありながら、不思議と胸の奥を落ち着かせてくれた。
風紀委員長となった川治政宗は、生徒会にことの顛末を報告した。
同時に、自分たちの権限を明確にしてほしいと願い出る。風紀委員が拘束と刑罰まで担えば、あまりにも危険だと考えたからだ。
ただし、蔵人の行為については伏せておいた。
生徒会はその上奏を受け、早急に法律――すなわち“校則”の制定を決めた。
政宗は生徒会室を出た後、深く息を吐く。
政宗「愛宕さんのやったことは、良くないことだが……良くないことだが……」
拳を握りしめる。蔵人の狂気と勇気を、誰よりも近くで見てしまったからこそ、軽々しく断定できなかったのだ。
それでも政宗は、彼に告げた言葉を胸に刻み、自らの職務を全うすることを誓った。
――夜。
生徒会室には、各学年の代表や委員長たちが集められていた。
楓「――これより、我々の学園を律する“校則”を制定しますわ」
紫宮楓の声は震えていたが、それでもはっきりと響いた。
レイジ「まず第一に、暴力の禁止。ただし正当防衛を除く」
アレックス「第二に、食料や物資の横領を禁ずる。違反者は全員で裁く」
透子「第三に、当番や労働の義務を怠った者には、罰則を設けるべきです」
次々と条文が読み上げられる。紙もペンも足りないため、黒板にチョークで書き連ねられていく。
政宗「……そして最後に。風紀委員は取り締まりを行うが、刑罰の執行は必ず生徒会の承認を経ること。これを明記してください」
政宗の言葉に、楓は深く頷いた。
楓「異議はありませんか?」
その中で、ただ一人、三年生代表の、
悠真「具体的な罰則は?」
蔵人「追放とかだろ」
政宗は一瞬、息を呑んだ。
楓「……追放は、最終手段としましょう。ですが、秩序を守るためには、罰の存在は不可欠ですわ」
楓は黒板に震える手で書き加えた。
• 軽微な違反:労働の追加、物資の没収
• 悪質な違反:校門の前での公開謝罪、一定期間の隔離
• 最終的な違反:追放
チョークの音が止むと、室内はしんと静まり返った。
誰もがその文字を見つめ、重みを噛みしめていた。
蔵人「あと、もう一つ。あんまり言いたくないことなんだが」
楓「なんですの?」
蔵人「生徒間での……その……妊娠とかってどうするんだ?」
教室の中が一瞬にしてざわめき出した。顔を見合わせる者、赤面する者、目を逸らす者、苦笑いする者――反応はさまざまだった。
透子「……っ、そ、それは……」
アレックス「おいおい、場違いな冗談言うなよ」
蔵人「冗談じゃねーよ。実際問題やべーだろ。自分たちの食い扶持も怪しいってのに、その上子供ができた、なんてさ。産婆もいないんだぞ?」
誰もが考えようとしなかった、いや意図的に考えないようにしていた問題だった。
蔵人「一緒に楽しむやつ、無理やりするやる、全部ひっくるめて、何かしらの罰則、特にできちゃった場合は、最悪追放刑だって考えないとだめなんじゃないか? それくらい重くないと作るだろ」
楓「むむう……」
政宗が静かに口を開いた。
政宗「……愛宕さんの言うことは、確かに現実的だ。前者はともかく後者の、無理やりの行為は、絶対に許されない。これは明確に“犯罪”として扱うべきだ」
透子「で、できちゃった場合は……?」
声は震えていた。
楓「……追放は、あまりにも過酷ですわ。ですが、学園全体の負担になるのも事実……でも……」
蔵人「おいおい、甘い対応じゃ、出来たもん勝ちになっちゃうだろうが!! 妊婦は仕事だって制限されるだろうし、誰だって遠慮して、手伝ったりするだろ!! そんな妊婦に対して不平感を持ったやつがなにするか、ちょっと想像を膨らませれば理解るだろうが!! 規則を守ったやつが損をして、妊婦の方にも良い結果にならねえんじゃねーのか?」
蔵人の声は怒鳴り声に近かった。その迫力に、生徒会室の空気が凍りつく。誰もが言葉を失い、ただ彼を見つめていた。
透子「……でも、それじゃあ……妊娠した子はどうすれば……」
透子の声は震えていた。
政宗「……愛宕さんの言う通りだ。規則を守った者が損をするような仕組みは、共同体を壊す。だが、だからといって命を切り捨てることもできない」
蔵人「いや、切り捨てろ」
その言葉はに誰もが押し黙る。
蔵人「もう、ここを維持するためには、それくらい厳しくしないと、だめだ」
正論だった。
しかし正しい言葉が必ずしも受け入れられるとは限らない。正しいだけでは、誰も従わないのだ。
楓「それでは実質死刑じゃないですか!!」
そう、その言葉は、誰もが思いながらも口に出せなかった言葉だった。しかし間違っていたから言えなかったのではない。どちらも正しいのだ。正しいからこそ、誰もが決めかねてる。
それを決断するのが指導者の役割だった。蔵人はそれを知っていた。だからこそなりたくないと心の底から思っていたのだ。
政宗は、腕を組んだまま沈黙していた。やがて、低い声で言う。
政宗「……愛宕さんの言葉もまた真実だ。秩序を守るためには、時に非情な決断が必要になる」
政宗は気がつけば、自分が否定した蔵人の狂気を肯定していた。
アレックス「と、とりあえずこの条項だけは決定しておこう……」
• 性的強要・暴行:最も重い罪とし、追放を含む厳罰に処す。
• 妊娠が発覚した場合:共同体で保護する。ただし労働義務の免除や物資の分配は、生徒会で協議の上決定する。
チョークの音が止むと、誰もが息を呑んだ。
アレックス「今はこれで、とりあえずは納得してください」
蔵人は納得しがたい表情をしながらも、渋々と同意した。
誰かが小さく息を吐いた。安堵のため息か、それとも諦めの吐息かは分からなかった。
蔵人「――っ」
蔵人はいの一番に生徒会室を後にした。この重苦しい空気に耐えられなかったからだった。
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