約束の木の下で 忘れられない初恋の記憶

ぽんこつ

第1話 覚えていますか プロローグ

「忘れられないものは、きっと、最初から忘れる必要なんてなかったんだ」



瀬戸内海の凪いだ水面を、夕凪島へ向かうフェリーは滑るように進んでいく。フェリーのエンジンの低い振動が座面から伝わり、ザーッ、ザーッと微かに聞こえる波を切る音が、落ち着かない心をなだめてくれているようだった。

大学の夏休みを利用して、私は東京の家を離れ、ひとりでこの船に乗っている。

初めての一人旅。

船内には、夏休みを楽しむお客さん達の笑い声と高揚した空気が満ちていた。ざわめきの中に紛れて、私は窓の外を見つめていた。日差しが、フワッとした雲の輪郭をほのかに染めて、水面ではキラキラ、キラッと瞬いている。

その光の揺らぎをぼんやりと眺めていると、あの頃の自分が甦ってくるようで、淡い潮の香りまで鼻に届いてくる気がした。


母の田舎、夕凪島。瀬戸内海で二番目に大きな島で、すでに他界したおばあちゃんが住んでいた場所。

私は生まれも育ちも東京だからかもしれないけど、あの島で出逢った景色や人、その全てが、今でも鮮やかに体の隅々にまで染み付いている。

もう、ずいぶん昔のことなのに。


島々が青く霞んで見え、そのはるか向こうには、なだらかな夕凪島の稜線が広がっている。

その輪郭が、ほんの少しずつ濃くなっていく。

まるで私を待ってくれているみたいに――

そっと胸に手を当てる。

手のひらに少しだけ早い鼓動が伝わってくる。

ふうーっと、小さく吐息をひとつ。

そう、20歳になった私は、今――

10年振りに、約束を果たすため、あの場所へと向かっている。

少しの不安と大きな期待を乗せて。


「初恋って、覚えてるもの?」ふと、そんな会話を思い出す。

友達とよく話した話題。

誰もがそれぞれの時期に、少しずつ違ったかたちで初恋を経験していて。

それでも共通していたのは、みんなにとってそれが特別な思い出であるということだった。

親友の美瑠みるは、中学の時に出会った彼といまも付き合っていて、もう7年になる。

美瑠の初恋は、今もなお現在進行形。

じゃあ、私の初恋は?

私は、ちゃんと覚えてるよ。

忘れるわけがない。

それは――10年前の、あの夏の日。

海が見える、高台にある公園のブランコから始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る