6章 僕は決して強い人間じゃないんだ。美波さん。

6-1

 記録会の日に母親から更なる成長を課された美波は、生活態度が一変してメモリースポーツに精を出すようになっていた。

 学校生活でも不良らしさを鳴りを潜め、以前は無為に過ごしていた時間が勉学やメモリースポーツに注がれて、警察に補導されるような失態は完全になくなった。

 涼介に記憶術を教わる前は忌み嫌っていた学業も、いざ集中して取り組んでみると意外なほど簡単に内容が頭に入った。

 それもそのはずメモリースポーツを通して記憶できるようになり、自然と頭の中でイメージ化するようになっていたのだ。

 記憶が容易くなったことで勉学への抵抗が減った美波は、涼介の前だけで見せていた本来の生真面目さも相まって勉強にも熱量を見せるようになった。

 その結果、赤点もあわやだった模試の成績が学年内の中位まで改善したのだ。

 模試の成績を知った両親は今の生活を続けることを勧め、美波の方も現在の生活に不満を感じておらず継続することにした。

 不良を脱却して真面目な女子高生への道を美波が歩み始めた傍ら、涼介と有紗は美波と出会う前と変わらない日常を過ごしていた。


「涼介君、あそこの高いところにある本を取ってください」


 放課後の図書室にて、背の高い本棚の前で有紗が高い段にある書籍を指差して涼介に頼んだ。

 これかな、と涼介は有紗へ確認しながら指差す書籍を抜き出して渡した。

 有紗は抱くようにして涼介から受け取る。


「ありがとうございます、涼介君。前から気になっていたけど高くて取れなかったん

です」

「こんなことならいつでも呼んでよ。力仕事は自信ないけど、背だけなら平野さんよりも高いから」

「背だけってことはないです」

「ほんとに力ないんだよ。他は何かあるかな?」


 苦笑いしてから、ついでという口調で尋ねる。

 大丈夫です、と有紗は答えて鞄へ書籍を仕舞う。


「これから帰ってこの本を読むんです。最近は日も短いので、あんまり図書室に長居できないんです」

「僕も用事はないから帰るよ。帰って世界大会に向けてトレーニングするぐらいかな」

「よければ一緒に帰りましょう涼介くん。トレーニングの進捗聞きたいです」

「いいよ、帰ろうか。僕の方も客観的な意見が欲しかったんだ」


 意見が一致した涼介と有紗は二人で仲良く図書室を出て帰路に就いた。



 涼介と有紗が公園の前を通りかかった間際、公園からブレザー制服を着崩したガラの悪い三人組の男子が二人の前に立ち塞がった。

 三人組のうち最も背丈のある茶髪ピアスが、涼介と有紗の全身を隈なく見てから睥睨する。


「お前たちで間違いなさそうだな。東美波はどこだ?」


 行く手を塞いで唐突に尋問してきた茶髪ピアスに涼介は見覚えがあった。

 東さんに二十六か所のルートを説明していた時にコンビニで絡んできた人だ。

 どうしよう、東さんとは記録会以来話してもいないのに。

 即座に涼介は記憶が結びついたが、どう対応すればいいのか判断できない。

 困惑して固まる涼介に茶髪ピアスが眼前まで近づいてきて脅すように顔を覗きこんでくる。


「聞いてんだけど。東美波はどこだ?」

「いや、知らな、知りません」


 知らないと答えかけて慌てて少し丁寧な言い方に切り替える。

 涼介の隣にいた有紗は茶髪ピアスに怯えて涼介の背中へ隠れた。

 背後へ隠れた有紗を気に掛けながら、涼介は恐怖で震える足を踏ん張って茶髪ピアスと対峙する。


「ごめんなさい。東さんがどこにいるのか、本当に知らないんです」

「この間は一緒にいただろ。東美波に師匠とか呼ばれてたじぇねーか、連絡先ぐらい知ってんだろ?」

「し、知らないよ」


 上擦りながらも涼介は否定した。

 茶髪ピアスは露骨に舌打ちする。


「知ってるもんは知ってるって答えときゃいいんだよ。シラ切るようなら力づくでもいいんだぞ。どうだ、教えろよ?」

「……し、知らない」


 足だけでなく身体まで身震いし始めたが涼介は否定を貫いた。

 茶髪ピアスの眉間に深い縦皺が刻まれる。


「お前らには危害を加えたくねえが、正直に話さないなら仕方ねぇな」

「な、なにを、うっ」


 涼介は聞き返した途端に腹部に強烈な衝撃を受けた。

 吐き気を催しながら膝から崩れ落ち、腹に茶髪ピアスの拳が入ったのだと知覚する。


「りょ、涼介くんっ!」


 突然腹部を抑えてしゃがんだ涼介に有紗が泣きそうな声で縋りつく。

 おいチビ女、と茶髪ピアスは有紗に向かって話しかける。


「お前も知ってんだろ東美波の連絡先。今から言う通りにしないと、この男を立てなくなるぐらいに嬲り殺すぞ」

「や、やめ、やめてくださいぃ」


 暴力に対する恐怖心で声を引きつらせながら有紗は歎願した。

 だが茶髪ピアスは聞く耳など持たず、腹部を押さえてしゃがむ涼介の顔を蹴り上げた。

 涼介は蹴られた勢いで倒れそうになるのを堪えて有紗の前からは退かない。


「チビ女。言う通りにしないとこの男がボロボロになっちまうぞ」

「や、やめて。お願いします」


 涼介が暴力に晒されるのに耐えられず有紗は必死に訴えた。

 茶髪ピアスは睥睨しながら有紗を指差す。


「チビ女。スマホで東美波へこの男がボコされた画像を送れ」

「え、でも……」

「できないならお前も同じ様にして、俺たちが画像を送ってもいいけどな」


 脅してほくそ笑んだ。茶髪ピアスの連れている残り二人も野卑な笑みを口に浮かべる。

 有紗は泣きながら涼介を見つめた。


「早くしろ!」


 茶髪ピアスの怒声と共に涼介の頭部に軽い踵落としが降った。

 涼介は踵落としの勢いを支えきれず地面に倒れ伏してしまい、痛みを堪える苦悶の呻きを漏らす。

 目の前の惨状に有紗は口を開けたまま大粒の涙を流す。


「りょうすけぇくん、ううっ」

「早くしろ。もっとボロボロになるぞ」


 茶髪ピアスは有紗を急かし、起き上がろうとする涼介の頭を足で踏みつけて地面へ抑え込んだ。

 怯え切った有紗は茶髪ピアスに従い、鞄からスマホを取り出す。


「東美波と電話を繋げろ」

「えっ、電話?」

「早くしろ」


 茶髪ピアスに怒鳴られて言われるままに美波に電話を掛ける。

 その瞬間、茶髪ピアスの連れの一人が有紗からスマホを奪った。

 奪われたスマホは茶髪ピアスに渡り、茶髪ピアスは足で涼介を踏みつけたままスマホを耳に近づけた。


「東美波だな。神社裏の資材所跡地まで来い」


 それだけ告げると通話を切断して、スマホの撮影機能で有紗を写した。

 茫然自失でしゃくり上げる有紗を写真に撮ると、有紗のスマホを勝手に操作して美波とのチャットに画像を送信する。

 美波からの返信を見届ける前にスマホをロック画面にした。


「もういいですよね。りょ、涼介君を、解放、してください」


 有紗がべそをかきながら伺いを立てる。

 しかし茶髪ピアスは冷めた表情で涼介の頭から足を退けない。


「このまま帰すわけないじゃん。通報されるかもしれないからな」

「でも、言う通りにしたらって……」

「こいつを解放するなんて言ってないぜ」

「……うう、ひどい」

「お前らには最後まで付き合ってもらうからな。東美波を誘い出すにはうってつけだ」

「……りょうすけぇくん」


 しゃくり上げるような声のまま有紗は頭を踏みつけられている涼介の服の裾を掴んだ。

 踏みつけられたまま涼介は視線だけを有紗に向けて、ごめんねと口だけで謝った。


「りょうすけぇくん、りょうすけぇくん」


 有紗は縋るような思いで涼介の名前を繰り返した。

 茶髪ピアスが連れの二人へ向かって涼介を顎で指し示す。


「こいつのスマホも奪ってとけ。通報されたら厄介だ」


 あいよ、と連れの一人が返事をして、地面に転がった涼介のバッグを物色してスマホを没収した。

 スマホを取り上げてから涼介の頭から足を退かす。


「おい、立て」

「……わかった」


 茶髪ピアスに言われるまま涼介は起き上がった。


「チビ女もだ」

「……」


 有紗は恐怖で腰が抜けてしまい、身体に力が入らなかった。

 茶髪ピアスの連れの一人が有紗の背中を蹴って急かした。

 それでも立ち上がれず、腕を掴まれてようやく有紗は立ち上がる。


「行くぞ」


 茶髪ピアスが促し、涼介と有紗は逃げる方途もないまま連行されてしまった。

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