第2話「雑音世界の孤独な王子」
大陸を治める大国、その王子であるレオニールは、呪いを抱えて生きていた。
彼がまだ幼い頃、宮廷内の権力争いに巻き込まれた末に、謎の魔女によってかけられた邪悪な呪い。
「他人の声が、すべて不快な雑音に聞こえる」というものだった。
人の声は、彼にとって耐え難い苦痛でしかない。
優しい愛の囁きも、忠誠を誓う臣下の声も、楽しげな城下の喧騒も、すべてが頭を掻き乱す耳障りなノイズの洪水。甲高い金属音やガラスが砕ける音が混ざり合い、彼の精神を容赦なく削り取っていく。
その苦しみから逃れるように、レオニールは王城の中でも最も静かな、海辺に建てられた離宮で一人暮らしていた。彼の世界で唯一の安らぎは、音のない「静寂」。人のいない場所だけが、彼にわずかな心の平穏を与えてくれた。
漆黒の髪を潮風になびかせ、レオニールは今日もまた、夜明け前の海岸を一人で歩いていた。人の声がしないこの時間だけが、彼が心から安らげる唯一のひとときだ。寄せては返す波の音、砂を踏みしめる自分の足音。それらは呪いの影響を受けず、あるがままの音として彼の耳に届く。
「……」
言葉を発することも、彼にとっては苦痛だった。自分の声すら、反響して耳に戻る際には不快な雑音の一部と化してしまう。自然と彼は無口になり、その美しい顔から感情は消えた。臣下たちは彼を「氷の王子」と呼び、遠巻きに畏怖するだけ。誰も彼の苦しみを知る者はいなかった。
父である国王は彼の身を案じ、国中から名医や神官を呼び寄せたが、誰一人として呪いを解くことはできなかった。やがて人々は諦め、レオニール自身も、この静寂と孤独こそが自分の運命なのだと受け入れるようになっていた。
空が白み始め、水平線が淡いオレンジ色に染まる。今日もまた、忌まわしい雑音に満ちた一日が始まる。
レオニールは深くため息をつき、離宮へ戻ろうと踵を返した。
その時だった。
波打ち際に、何かが打ち上げられているのが見えた。
最初は大きな流木かと思ったが、それは月光を浴びて淡く輝く、美しい銀色をしていた。そして、微かに動いているようだった。
警戒しながらゆっくりと近づくと、レオニールの目は驚きに見開かれた。
そこに横たわっていたのは、一人の少年だった。濡れた銀髪は星の光を編み込んだように輝き、閉じられた瞼の下には長い睫毛が影を落としている。
そして何より異様だったのは、彼の下半身だった。人間の足の代わりに、瑠璃色に輝く大きな尾鰭が横たわっていたのだ。
人魚。
伝説上の生き物が、今、目の前で静かに息をしている。
レオニールは、非現実的な光景に言葉を失った。
同時に、言いようのない感情が胸の奥から湧き上がってくるのを感じる。それは好奇心か、憐憫か。あるいは、自分と同じ「孤独」の匂いを、この美しき異形のものから感じ取ったからかもしれない。
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