Blood Sisters

3-7

麗軒飯店が一か月前に再開した。

店内には油のはじける音、肉を焼く香ばしい匂い、立ちのぼる湯気――。少しずつ客足が戻り、以前のように喧騒と熱気が渦を巻いていた。

今日は“エルの退院祝い”だった。ドアを開けるや否や、エルは待ちきれないとばかりにメニューを広げた。

「うわぁ、本当に戻ったんだね！　えっと……オレンジチキンとジェネラルソース、それからチャウメンに……あ、ヤンヤンエッグロールも！」

指先が走るたび、メニュー表の端から料理が飛び出してくるかのように、彼女の声は弾んでいた。

「……どれだけ頼む気だよ」

苦笑しながら私はジョッキを傾ける。冷えた喉越しに、ようやく「日常」というものが腹に入った気がした。

天井隅のテレビがニュースを流していた。

『続いての話題です。カメリア連邦議会の予算案が――』

『金融王のタカギ氏が、麻薬所持で――』

どうでもいいゴシップばかり。あの日以来、毎日目を凝らしていたが、列車の件が報じられることは一度もなかった。

「くだらない……全部煙に巻かれた」

皿に転がしたチキンの骨を弾き飛ばす。

「もみ消したんでしょ。スキャンダルすぎるもん 。“対バイオテロ組織”が人身売買に関与してたなんてさ」

そう言いながら、エルは私のスパイシーフライドライスに箸を伸ばし、豪快に頬張った。

――真実は葬られた。秩序と政治を揺るがすから。

「そういえば、ダリアはまだ……あそこに？」

ふいにエルが顔を上げた。

「ああ。でも、しばらくは休暇を取ってる。いや、取らされたって感じ。口封じもされてるらしい」

「あの人のことだから……いっそ転職して、うちに就職するかもよ？」

冗談めかした声に、つい笑ってしまった。厨房の奥からレイが姿を現した。

「なあ、エルヴィラ……そんなに食べて胃は大丈夫か？」

「大丈夫、大丈夫。病院食は辛かったからね。その分食べなきゃ」

にっこり笑う彼女の前で、空き皿は瞬く間に山を築いていく。更に、餃子とチキンを注文する。

「……これで礼になるのか？あんな命懸けのことをしてくれたのに、飯だけじゃ割に合わないだろ」

レイは腕を組んで不満げな顔をする。

「ま、エルの食いっぷりなら釣り合ってるかもな」

私が言うと、レイも小さく肩を揺らして厨房に戻る。そのとき、ドアベルが鳴った。

「配達終わったっすよー！」

ヤンヤンが岡持をぶら下げ、息を切らしながら帰ってきた。今はスクーターで街を走り回り、ホールと配達を行き来している。

「あっ、お二人さん！　お久しぶりっすー！」

エルは勢いよく立ち上がり、ヤンヤンを抱きしめた。まるで何年も会えなかった親友に再会したかのように。

「……つい先週、見舞いに行ったばかりだろ」

私の言葉を無視し、エルとヤンヤンは子どものように笑っていた。

ヤンヤンは変わった。――いや、戻ったのだ。過去の恐怖も、しがらみも手放し、ようやく“自分の足”で歩き始めた。

シルヴィアに用意された市民権を断り、「自分で稼いで取る」と宣言した。それが今のヤンヤンの目標。

そして彼女はレイに呼ばれて、すぐに厨房へと足早に駆けていった。その姿を、エルは眩しそうに目で追っていた。きっと彼女の中に、私たちが持てなかった“堅気の希望”を見ているのだろう。

厨房で鍋を振るレイがちらりと見えた。レイも事件後、疲労による入院をしばらくした。だが退院は遅れた。毎日ヤンヤンが過保護に見舞いへ押しかけ、逆に寝不足になったらしい。

「手のかかることだ」と笑う彼女の声には、以前の覇気が戻っていた。――二人とも、強い。

確かなものを手にしている。グラスを口に運びながら、彼らを見つめた。

「ミア？　どうしたの、お腹でも痛いの？」

隣でエルが顔を覗き込む。どうやら私が考え込んでいたらしい。

「いや……エル、ほら。米粒ついてるぞ」

おしぼりで彼女の頬を拭うと、エルは照れたように舌を出した。

「ありがと。じゃあ次は小籠包ね！」

そう言って元気よくヤンヤンに声をかける。笑っている。ただそれだけで、いい。

「エル」

「ん？　なぁに？　あ、チキンもう一個いる？」

頬をいっぱいにふくらませながら振り返る彼女に、私は言葉を飲み込んだ。伝えたいことは山ほどあったのに。

「……また、ついてるぞ」

彼女の頬についたチキンの欠片を指で取って、口に放り込む。

――もし、普通の暮らしが許されるなら。エルと、ただの一般人として並んでいられるなら。

……その願いは胸に仕舞った。

今は、これで十分だ。